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原田甲斐の古里

2018年11月07日 | 


原田城趾
は、伊達家の重臣原田氏の館が築かれ、原田佐馬介宗時(伊達騒動の原田甲斐の祖父)まで居城していた。本丸、二の丸の跡は苔むした土塁や空堀を遺し、樅(モミ)の古木が残っている。

原田家は伊達家初代とされる伊達朝宗の代からの譜代の家臣で、伊達家家中でも重きを成した。原田城は伊達家15代晴宗が置賜郡に進出し居城を米沢城に遷した天文年間(1532~1555)前後に原田家14代美濃介が築いたといわれる。
伊達家17代・伊達政宗が天正19年(1591)に米沢城から岩出山城(宮城県大崎市)移封に伴い原田家17代当主宗時もこれに従い当地を離れた。

19代の原田甲斐は船岡城主にまでになったが伊達騒動の首謀者の一人とされ酒井雅楽頭邸宅で伊達安芸を殺害し、その場で伊達家家臣から討たれた。
原田城は藤ヶ森と呼ばれる丘陵に築かれた平山城で、三方を崖地、背後を吾妻連峰で囲われた天然の要害で前方を流れる犬川を天然の堀としていた。

現在は城跡一帯が置賜公園やダリヤ園として整備されている。
(山形県東置賜郡川西町上小松)
川西ダリア園


 逆光に映えるダリア

 大輪のダリア


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コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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お早うございます (延岡の山歩人K)
2018-11-07 08:33:28
川西ダリア園
スケールが大きくて
圧巻の眺めです \(◎o◎)/
水辺のお花は 特に美しいと思います

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(延岡の山歩人K) さん へ (iina)
2018-11-07 09:44:34
原田城趾一帯が、置賜公園とダリヤ園になっていました。

城跡の隣りの民間ダリヤ畑が記事下の2枚で、大輪がみごとで、更に ずらっと並んで咲いていました。



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原田甲斐 (ウォーク更家)
2018-11-14 21:32:52
そうでしたか、原田甲斐の居城の船岡城は行きましたが、原田甲斐の祖父までは、原田城が原田氏の居城でしたか。

しかも、樅の古木まで残っているとは知りませんでした。
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(ウォーク更家) さん へ (iina)
2018-11-15 09:05:03
> 出羽三山を訪ねることが、過去、現在、未来を巡る「生まれ変わりの旅」になる、と信じられていました。・・・「過去=月山、現在=羽黒山、未来=湯殿山」
そんなことなら、山形に行った際に参ればよかったです。(^_^;)
「五重塔」内部を、10月上旬まで特別開放していたのに、遠すぎて諦めたいきさつがあります。

山奥まで幽玄の羽黒山ですね。

> 原田甲斐の居城の船岡城は行きましたが、原田甲斐の祖父までは、原田城が原田氏の居城でしたか。
樅の古木が残る「原田城」を歩いてきました。山形県東置賜郡の川西町にあるというのを知って行きました。
        此処は、伊達家が居城にした高畑城に近いです。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/4f455950db6dbbe39c95fb8208e1e0fb

そのうえ、「元山寺」と呼ばれる「垂水遺跡」にも立ち寄りましたょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/be3d912755bc97208ed868c66c461a07

   (ウォーク更家)さんの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました

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