「安珍・清姫伝説/絵解きから歌舞伎舞踊まで」を聴き、舞いを鑑賞してきた。
はじめに、安珍・清姫伝説の解説。
熊野に参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が一目惚れし誘惑するも熊野詣の帰りに寄ると約束した。約束の日に安珍は訪ねず、欺かれたと知るや大蛇となって安珍を追い、道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという物語りは「法華験記」(11世紀)に記され、「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でよく公演されてきた。
そのためか、いまも道成寺には釣鐘がない。この事件でなくなった鐘を、正平14(1359)年に奉納した。そのときの鐘は、いま京都の妙満寺に伝わるとされる。
つぎが、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」。
『娘道成寺』は、「安珍・清姫伝説」そのものを扱ったのではなく、この鐘供養で舞った演舞を指す。
その舞姿がご覧の通りで、まとう衣服の贅沢なことこのうえもなくきらびやかだった。
舞いは、本番さながらで見ものの早着替えもあって圧倒された。
なお、「法華験記」の時代は、ふたりに名はなく、清姫も未亡人だったという。『娘道成寺』というのは、鐘供養での演舞だから娘として舞わせたそうだ。
[注]写真は「気ままに起承転々天」さんのを使わせていただきました。
明日は、学生時代に訪ねた道成寺を。
●日時 11月8日(土)14時10分開場 14時40分~16時10分
●会場 東洋大学・・・白山キャンパス 5号館B2F・・・井上円了ホール
●内容 歌舞伎舞踊の鑑賞 長唄「京鹿子娘道成寺」など
はじめに、安珍・清姫伝説の解説。
熊野に参拝の途中、一夜の宿を求めた僧・安珍に清姫が一目惚れし誘惑するも熊野詣の帰りに寄ると約束した。約束の日に安珍は訪ねず、欺かれたと知るや大蛇となって安珍を追い、道成寺の鐘の中に逃げた安珍を焼き殺すという物語りは「法華験記」(11世紀)に記され、「道成寺物」として能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎でよく公演されてきた。
そのためか、いまも道成寺には釣鐘がない。この事件でなくなった鐘を、正平14(1359)年に奉納した。そのときの鐘は、いま京都の妙満寺に伝わるとされる。
つぎが、歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」。
『娘道成寺』は、「安珍・清姫伝説」そのものを扱ったのではなく、この鐘供養で舞った演舞を指す。
その舞姿がご覧の通りで、まとう衣服の贅沢なことこのうえもなくきらびやかだった。
舞いは、本番さながらで見ものの早着替えもあって圧倒された。
なお、「法華験記」の時代は、ふたりに名はなく、清姫も未亡人だったという。『娘道成寺』というのは、鐘供養での演舞だから娘として舞わせたそうだ。
[注]写真は「気ままに起承転々天」さんのを使わせていただきました。
明日は、学生時代に訪ねた道成寺を。
●日時 11月8日(土)14時10分開場 14時40分~16時10分
●会場 東洋大学・・・白山キャンパス 5号館B2F・・・井上円了ホール
●内容 歌舞伎舞踊の鑑賞 長唄「京鹿子娘道成寺」など
美しい舞いや早着替えの技を観てみたいものです。
>ふるくから使われた街道には、歴史と風習や伝説が封印されて生活感が漂います。
泉州地方には南北朝時代の山城などがあることから、紀州街道沿いにも歴史的な史跡があるのではと期待していましたが、期待はずれでした。
なぜか 子供の頃より知っていました。
但し
清姫が未亡人だったという説は初めて伺いました。
娘道成寺はあまりにも有名で、ボクもその舞踊を見たのですが、場所そのほか細部の記憶は失いました。
徳川時代。将軍は尾張、紀州、水戸の三藩から水戸を除いた二藩から選ぶことになっている。
次期将軍を決める会議に赴くために、尾張の殿様が行列従えて通ると、鍛冶屋の前で「トンテンカン」の音が殿さまには、
「テンカトル」と聞こえた。
はじめ、尾張の殿さまに次期将軍に指名されるも、一度は断って謙虚さを示せぱ、 当然、引き止められると思ったのに、
結局紀州の殿様に決まってしまった。
帰りも尾張公が鍛冶屋の前を通りかかっても、やはり「テンカトル」と聞こえる。おかしいなと思っていると真っ赤になった
鉄を水の中に突っ込んだ途端、・・・・・・「キシュー」
なんと「天下を取るのは紀州だった」というオチでした。
大岡越前もその徳川吉宗の時代の人。
.名を大岡忠相というので、「忠岡神社」は何となくその人物とご縁がありそうに思えますが、江戸に生まれた人ですから、
この神社とは何のゆかりもありませんでした。(^^ゞ
日本は、人口が減少していきますから、愛をはぐくんで子供をたくさん産んでください。
祠の中は、「みょうと」石だけに”みょうに” 艶めしかったです。
安珍・清姫の時代は、お坊さんは結婚はご法度であり、女人を遠ざけねばなりませんでした。
安珍・清姫伝説は、法華経の霊験と功徳を説く仏教説話で、法華経供養のあと二人は天上界で生まれ変わるとされます。
なお、はじめて道成寺をあつかった「法華験記」には、僧と女の名は伝えられていません。
もしかして もしかして 私の他にも誰か いい女がいるのなら 帰っていいのよ かまわずに
のように心不全の質問に代えて歌うよりは、どぶろっくという漫才コンビが歌う方が風刺が効いて面白いかもしれません。
もちろん、もしかしてだけど・・・。
そういえば、水素で走る燃料電池車は、もっと先に実用化されると思ってましたが、トヨタが12月に発売するようです。
こちらの方は、もしかしなくなっちゃいました。 (^^ゞ
歌舞伎座は 一度だけ。
大学ってほんとに色々な催事をするのですね!
次回、12月13日はお会いしたいですね。
PS:オイラブログの御紹介ありがとうございました。
「安珍・清姫」と「娘道成寺」については、正確には知らなかったので良い勉強になりました。
「娘道成寺」の舞いは、なかなか素晴らしい歌舞伎舞踊でした。足運びや挙措は、お能のようでもありました。
舞う方も、まばたきはほとんどありませんでした。(@_@)
終えた後の懇親にお誘いいただきましたが、あいにく先輩と同伴してましたからご遠慮しました。m(_ _)m
写真を借用させていただき、ありがとうございました。
(更家) さん へ
2014.10.18は、中山道を歩いていましたか。
iinaは、鬼怒川に泊まって日光界隈を見学していました。この旅は、更家さんからコメントのあった皇居参観して
最後に川越祭を楽しんでいました。 更家さんは、いつものように宿場町と石仏に歓迎されてました。
日光には何度も出かけているので、行った日が千人武者行列であったため渋滞に巻き込まれたくなくて敬遠しよう
かと思ったのですが、有料道路を使って跳びぬけ、見逃した3か所(輪王寺・ 二荒山神社・大正天皇御用邸)を
見れて満足した旅でした。幸いに全行程も快晴に恵まれました。
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/acdbde51a2bd27b0e50474ed29b67cbe