二条城は、慶長8年(1603年)、徳川将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、伏見城の遺構を移すなどして、寛永3年(1626年)に完成した。
豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて、桃山時代様式となっている。
本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の殿を、移築したもの。
二条陣屋は二条城の城下にあって、からくり屋敷(武者だまりや屋形船の茶室、井戸、隠し階段)として知られる。
伊予今治の城主となった小川祐忠が関ヶ原の戦いで敗れ出家し、長男の千橘が萬屋平右衛門を名乗り、両替商に転向した。元々が武家の家柄だったからか、二条城の直ぐ南にあったからか、二条城や京都所司代へ上洛する大名達の宿泊先となり、大名の宿泊に対応した設備や防火対策も施されている。
見学は事前に電話か往復はがきで申込む。[重要文化財]
<注> 写真は、15年ほど前にiinaが撮ったもの。
二の丸御殿では車寄せから内部に入り、大広間や黒書院・白書院などを見て回りました。
当時のまま現存する各部屋は、最高権力者に相応しい見事なものでした。
広くてみごたえありました。
ここで歴史が動いたのですね。
でも、二条陣屋のことは何にも知らなかったです。
植えておくと自然にソラマメが実ると思ってました。剪定が必要とは、おつかれさまでした。
二条城の座敷は、時代劇で見る殿様が一段高いところに座って、家臣たちを見下ろす場面の通りでした。
(tamirin) さん へ
「442日系部隊 アメリカ史上最強の陸軍」の存在は、時代に翻弄された歴史の哀しい足跡です。
そもそも人間同士が殺し合うことの虚しさを思います。政治家は、戦争のない世の中をつくらなくては
いけません。
(鷲谷芝嵐) さん へ
いろいろな意見を尊重すると、何もできないことの典型を見るようです。強いリーダーシップが必要です。
二条城には、一度っきりとは、真にドッキリものです。
二度目を実現させると語呂がちょうどいいです・・・
(ぼたん) さん へ
時代も何もみんなミックスとは「裏腹」に、ファッションも最先端を行く「裏原」の街ですね。
(ムツゴロウ) さん へ
主要な観光バスのコースに、二条城は組み込まれていそうです。
二条陣屋は、事前予約が必要ですから一般的ではありません。
「Amadeusの京都のおすすめ」のamadeusです。
二條陣屋は約3年前から改修工事をしており、現在は参観休止中です。
今年の9月から再開されるようですので、御注意を。
特別拝観は、地方からでは見逃すことになりますが、地元ならではの情報通なら、観光には頼もしい強い味方です。
実は関が原の戦ですでに死亡していて後は影武者だったという説があります。
旅行でもしていましたか。忙しかったのですね。
隆慶一郎の『影武者徳川家康』を読みました。
iinaとしても隆慶一郎の小説は面白く、好きな作家です。