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空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 125 板挟みの小西と宗

2023年01月15日 17時18分26秒 | 貧乏太閤記
 首都漢城を占領した報告が16日には秀吉に伝えられた、続いて宇喜多、毛利、黒田も入城したという
「そうか、清正と行長と長政が競っておるか、ははは、負けず嫌いの者どもだからのう、まあそれゆえに進軍も早いのであろう、儂も船の準備が整えば朝鮮に渡るつもりじゃ、漢城に儂の御座所を作るよう播磨、因幡、但馬の大名に命じよ」
 漢城では久々に兵士に休養が与えられた、各軍団長から兵たちには「朝鮮の一般の女に狼藉を働いてはならぬ、漢城の娼婦や芸妓を集めて、朝鮮商人の利益となるよう取り計らわせるなら、それを許す」とした、だから正規兵や足軽は、そのようにしたが
無理やり人夫として朝鮮に連れてこられた百姓の若者は給金も微々たるものであったから、朝鮮の農家などに押し入って狼藉に至ったことは想像できる。
為政者が対外的に弱ければ、人民が被害を被るのは常であった
人民とてバカではない、そんな王室を見ている、漢城では置き去りにされた市民は王室が逃げると暴徒化して、王宮に押し入りまだ残されていた金銀財宝や高価な食器や道具、装飾品を奪略した
逃げる王族を襲う暴徒もあった、光海君らがそれを追い払わなければ、王と言えども途中で命を落としたかもしれない。

諸将が集まって軍議が行われた
「それにしても朝鮮は思ったより広い、山は高くはないが起伏のある丘が多く谷もある、そこに逃げ込まれては追う術がない」
「小隊で行動していると時々、土民などに襲われて被害が出ている、戦局には今のところさわりはないが輜重隊が襲われるようになれば兵糧不足の恐れも出てくる」
「しかし思ったより朝鮮は豊かであった、百姓たちは米や家畜を持っているし、城塞には兵糧の貯えを置き去りにして敵が逃亡するので現地調達が案外楽にできる」というのが大方の一致した意見であった。
それは全てではないが朝鮮民衆から奪うという行為でもある、内地では石田三成が名護屋に30万石の兵糧を集めて、それを釜山に送ってから朝鮮の各軍団にに送っているから、それだけでも間に合うのだが、現地調達できればますます戦も容易になる。
「殿下からは何としてでも『朝鮮王を生きたまま捕えよ』という命令が届いておる、我らの次の仕事は開城、平壌を落して王を捕らえることじゃ
平壌城を落したら、今一度軍議を開き、次を決めようではないか」
ということで一致した。
小西らが漢城を出た後、20日には小早川隆景の第六軍が漢城に入城した
5月28日 臨津江(イムジンガン)で金将軍率いる朝鮮正規軍を破ると、加藤、小西、黒田の三隊は共に開城(ケソン)まで進み占領した、更に三隊は平壌の占領を目指して北上した
開城から分かれた加藤は北東の奥深く威鏡道(ハンギョンド)へ向かった
黒田は、小西、島津と平壌を目指した
この中でもっとも苦労したのは第一軍、小西、宗の軍団であった
釜山上陸以来、転戦に次ぐ転戦で上陸時には2万近かった兵も、すぐに戦える兵は15000程まで減少していた、補充はつかずしかも先は長い

 漢城から平壌は遠くはない、間もなく第一、第三、第四軍は平壌が見える大同江(テドンガン)の川岸手前に着いて布陣した。8日には大同江を挟んで朝鮮軍と対峙した。
「この川は実に広い、船が無ければ渡れまい、だが敵陣には船が見える」
敵勢を見るに、凡そ1万数千だが正規兵ではない市民らの姿もある、農民なども駆り出されているのだろう。
「我らは4万、河さえ渡ればこっちの勝利は間違いないのだが」
川は梅雨の始まりでもあり増水しているようだ、「水量が減ったら徒河を開始しよう、住人を探して案内させるしかあるまい」
だが、川のこちらには人っ子一人いない、みな平壌の方に行ってしまったのだろう、水量は変わらずついに14日になった、すると島津義弘が提案した
「ここで無為に日を浪費する間に明の援軍が来る恐れもあるかもしれぬ、ここはひとつ博打をするしかあるまい」
「ふむ、何か良い策がござるのか」
「一軍は開城方面へ半里ほど、三軍は川下に半里ほど撤退を装て後退して備えてくだされ、我らは3000でここに野営をする、あとはお任せくだされ、敵は主力が迂回したと思いおそらく船でこちらに夜襲をかけてくるであろう」
そして深夜になると予想通り敵は動いた、船が次々と河を渡って来た、そして敵の陣形が整ったところで島津軍はかがり火を蹴倒して後方に一斉に逃げ出した。 すると朝鮮軍は勢いづいて島津軍を追い始めた、島津軍は二手に分かれて山影の道へと逃走した、敵は長蛇になって追ってきたが、谷間の中ほどで左右からも上からも一斉に鉄砲が鳴り響いた。
薩摩得意の、釣り鉄砲であるたちまち朝鮮兵は倒れた、だが後方はまだ迫ってくる、そこに第二射が轟音を立てた、朝鮮軍はさすがに伏兵に気づき後退を始めた。死者数はさほど多くも無かったが、恐怖心に駆られて朝鮮兵は河目指して逃げていく。
島津軍は槍隊を先頭に追ったが、本気で殲滅する気はない、ただ大声で追いかけていく、早い敵は船で逃れたが、逃げ遅れた者は河の中へと徒歩で入っていった、それでも向こう岸に渡りきった。
「見たか、徒河地点は二か所ある、よおく覚えておけよ」
翌15日の深夜、日本軍は徒河点から続々と渡って平壌城を三方から包囲した
夜が明けて、城兵は日本軍の侵入に気づいてもどうにもならず籠城するしかなかった
平壌城からの使者が日本軍に向かって休戦の旗を掲げてやって来た
「宗殿、小西殿がおられると見受けたが、ぜひお会いしたい、われわれは降参する」、宗義智が現れて使者に引見した
 後方にいる10名ほどを指さして使者は言った「あそこには左議政様がおられる、宗殿と話したいと申されたのは左議政様であります」
宗義智は一昨年、通信使の再開依頼に漢城を訪れた時、左議政と会っている
朝鮮では朝廷の官職で最上位が領議政で、日本の太政大臣に匹敵する、そして左議政、右議政と宰相が続くが、それぞれ左大臣、右大臣に匹敵する。
「今、小西殿も参られる、互いに護衛の兵を100歩ずつ下げて武器を持たぬ通詞を交えて双方三名ずつで話し合いましょう」
そうして交渉が始まった
「我々は降参して平壌を貴殿らに渡す、我らは義州に行くが姿が見えなくなるまでは貴国の兵は河の向こうに待機して追わぬと約束すること、住民の大部分はここに置いてゆくが乱暴狼藉はしないこと、城内の兵糧も置いてゆく条件はそれだけじゃ」
「なるほど、戦をせずに開城であれば皆を納得させることは出来ましょう、それで良いと思います」朝鮮通の小西と宗だけに話はすぐにまとまった、これが加藤清正であればそうはいかなかったであろう。
「しかし何故、秀吉は我らの国を侵略するのか」左議政が言った
「太閤殿下にはもともと朝鮮を侵略するつもりなど無かったのです、朝鮮を通って軍を明国に進める、そのために朝鮮に道案内を頼むというのが始まりでありました」
「だが、そんな話は無理である、お二方はわが国と明国の関係はよおく存じておるであろう」
「それは知っております、だが殿下は明国を従えるという思いに取りつかれてしまったのです、それは誰にも止めることはできませぬ」
「明国も、我が国も貴国に対しては今まで害を与えたこともないし、戦うこともなかった、足利殿の世から我が国とも明国とも、うまくやっていたではないか」
「それはそうだが、太閤殿下は日本を平定して今が最も勢いづいておられる、その力のやり場に困っておられるのです」
「それでは我らには大迷惑じゃ、なんとかできぬのか」
「・・・」
「暴君じゃな! 秀吉は」

























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