24. なんで英語やるの? (中津燎子著 1978年発行)
『 英語の最大公約数的基礎ルールとは、
1、英語は、人間同士の言語で、お互いの意志を伝達するために存在し、あらゆる他の国の言語と対等である。
2、英語はある規定によって発せられた音を伴い、しかも、音を重視する聴覚型言語である。
3、英語は、腹式呼吸で発生し、発音する。
4、英語は、自他を明快にわける思考を土台にしている。』
『 先ず、英語は音を伴う、と言う常識的な段階で、いや、それ以前に、音をどう出すか、と言うよりも、もっと前に、呼吸する段階で、私も文子さんも七転八倒した。呼吸そのものが出来ないのである。
英語には破裂音と言う音があるのは皆知っている。ところがこの破裂は文字通り、破裂するのがあたり前で、破裂するためには十分な呼吸が用意されなければならない。
破裂しない音は破裂音とはみなさないのが常識と思っていた私は、文子さんの破裂音に驚愕した。
正式に、B,D,F,K,P,T,Vなどが、破裂音として彼女は考えているようだがそれすら十分の一の息と音である。
その音のほかに、CH,SH,TH,H,L,M,N,S,C,Qもやはり正規の破裂音と同様の呼吸量を必要とする。
おおむね、英語の単語はそうした一つ一つの単音の合併と連結で出来上がり、文章はその単語と単語の、連結で出来上がる。
その上英語のアクセントの中で、破裂音がうけもつ役割は重要で、規定の分量の音を出してくれないと、次の音にさしつかえ、次々と節回しにも影響が出てくる。
従って十分に息をすい、吐き出す時に音を出す、と言う基本ルールが出来ない文子さんのスピーチが私にまるきり、ききとれなかったのは当然であったわけだ。
私は彼女に複式呼吸をやらせた。彼女は呆然自失して、英語と呼吸が関係あるんですか? と目を廻しそうになったし、私は嘆息しか出て来ない。
世界中にどれだけの数の民族が住み、どれだけの数の言語が存在しているかは、克明にしらべた事がないのでわからないが、英、独、仏、伊、スペイン、ポルトガル、ロシア、中国、韓国、蒙古、中近東、東欧、アフリカ、全く限りがない。
その言語の音声をざっときいてみると、かなり破裂音のような強い息を出す。したがって強い音をもつ言語が多い、と思う。
それにくらでて、我が日本語ははっきりちがう。あまりわめく必要がない。わめくよりむしろ、静かにやさしい音を出す。従って、大して呼吸や音に気を使わずに、言語が発展したような気がする。』
『 私を教えた、J.山城と言う二世の先生は、鬼のように残酷で、悪魔のように非情で、妥協を許さぬ人であった。怒り心頭に発して、何度レッスンをやめようと思ったかわからない。
だがその鬼よりひどい教師が教えた英語のおかげで、私はそれからの長い年月英語によって安定した職業につき、留学の機会を得た。
在米時代も不自由一つしなかったどころではなく、自由自在に生きて、あらゆるものを学ぶ事が出来た。
私の子供が成長した時に、必要ならば彼らに伝えることができる、英語の最大公約数的基礎条件、と言うものも、その先生が叩き込んでくれた基礎から、得たものである。
いかに、彼の叩きこんだ基礎がほんものであったかは、アメリカにいる間中、骨身に徹して悟らされたものである。
彼の主張は、単純で、言語を習得するのに必要な事は、その目的と、基礎訓練で、頭脳も、才能も、学歴も、人間も、関係ない、と言う事であった。私も全面的にそう思う。』
『 J.山城は、ロサンゼルス生まれの二世で終戦後、老いた両親をつれて鹿児島に帰ってきたと言う事とロサンゼルスのカレッジを出たらしい事の二つしか知らなかった。
彼のレッスンは、最初から四メートル離れて、ごく短い説明と模範の発音をした後、アルファベットから始まったが、驚いた事に一時間中Aだけで終始した。
何しろ四メートルはなれた彼の耳に届くには声を発するだけでも至難のわざであった。結局、最初のレッスンはわめくだけでAの音にならず「きこえません」で片づけられて終わった。
声はかれ果て、汗びっしょりで目が廻りそうになって帰宅しその夜は泥のごとく眠ったのをおぼえている。
そう言う調子なのでアルファベット二十六文字が無事にすらすら行くわけがない。母音、破裂音、それにRにL、と難問の山だった。大体26文字全音が根底からやり直しで、口先だけのぺらぺらやごまかしが一切通じなかった。
無我夢中でやっている中に一ヵ月たらずで、腹式呼吸で音が出せるようになり、のどもよく開くようになった。
アルファベットが終わると四センチ程の厚さの本をわたされた。第一頁からずらりと「This is a pen」「This is a book」と言う基本文型が並んでいて、基本文型で本一冊が埋まっていた。
これを一行ずつよみあげて行くのがレッスンであったが、これはABCの単音とちがって、単音の結合に入り、文章になると、トラブルの続出で、THがよければ、Iがきこえないと言われSの息はどこだとかきかれる。
私はテキストをよむが、彼は何も持っていず、向こうむきで煙草を吸っていたりする。私が妙な音を出すと、大変静かに、「すいませんがもう一度」(I beg your pardon?)と言う。
二回言い直して、三回目がだめな時はていねいに「もう一度、最初から始めてください」と言う。
私はこの「もう一度、最初から始めて下さい」と言う彼の声が、夢にまでひびいて来てうなされた。何故なら彼の最初からと言う意味は、又、ABCのAからやり直せ、と言うことであった。
どんなに頁数が進んでいようとも、Aからのやり直しが鉄則であった。本の三分の二まで行っていながら、Aからのやり直しで、Oあたりでひっかかってしまい一時間が終ったりすると、全身の血が逆流した。
この循環方式は実にきびしいもので、誰でもがこの方式の訓練をうけられるとも思わないし、又うけるべきだとも考えない。やはり英語を使う職業人以外は無理だろうし、その必要もないだろう。
文章の基本型の最後のあたりでひっかかって二回もAからやり直しがつづいた時、私は二度目のやめたい「やめたい病」の発作を起こした時、危うくやめてしまうところだった。
彼は私がいらいらするのがどうしても理解できないらしい。煙草を吸いながら、
「あなたは私の英語をまねするから出来ないのです。あなたの英語を発見してください。まねた英語はほんものでないから、ほんものの価値はあたえれれません。ものまね英語を喋るより自分の国の言葉を堂々と喋るべきです」
「自分の英語を発見しろ。おうむのまねには限度がある」と言った山城氏の言葉がはっきり納得できないうちは癪にさわってやめるにやめられないのである。
半ば、けんか腰で数回つづけている中に、ふしぎな事に何だかわかって来た。要するに彼の発音をそのまままねようとするため、私は、自分本来の声や、舌の動き方に関しては案外無神経だった。
彼の声や唇にばかり気をとられ、自分のを最初からそちらの方向にむける事にばかり、けんめいだったのだ。
「ああ、私にも私の声があったんだわ」とはじめて気づいて、自分を研究し始めた時から私はどんどん進んで行った。破竹の勢いで忽ち基本文型は終了しストーリィブックの一冊目もすらすらと進んだ。
私は三度目の正直で、みたびやめたい発作をおこしてしまった。最後の三百頁程のストーリィブックの五分の四まで行ったあたりでひっかかり先に進まなくなったのだ。
本の内容は十歳前後の子供の生活やおとぎ話の短編がいくつも」集めてあって面白いのだが、場面、人物、感情、あらすじの描写も複雑になって単に「読む」だけで通じないし、いざ山城氏の背中にむかってわかるように朗読するのは大変だった。
そこでほんの一寸の舌のしくじりでも私は最初の一頁からやり直さねばならない。苦労して本の五分の四まで来てひっかかった単語は「りす」であった。
りすは、SQUIRRELとつづってある。元来、RとLが一つの単語の中の入っていると舌は七転八倒なのだ。
Rで舌先はのどの奥に向ってまきあげられ、Lではさっと出て前歯の裏にしかるべく強さであてねばならない。その間、声は出しっ放しだから舌が動くにつれて音がちがって来るわけだ。
しかも、そのRとLの間にIとE顔を出していると、苦労倍増である。このIとEを消す事は出来ず、かと言ってやたらに強調すると一語として長くなりすぎる。
そこで非常に巧妙に、素早くRとLにくっつけて、しかも存在を示す発音が必要なわけである。私は一冊の本を丸三回ゆきつもどりつした。
すべてがこのりす君が、チョロチョロしたおかげである。三回目も、NOが出た時、私は本を投げて泣いた。本は二つに割れて床におちた。私は、悲しくて泣けたのではなく、口惜しさと怒りでカッとしたのだ。
「でも……私にはEがきこえません」と言った。私の興奮はその時冷水を被ったようになり、口がきけなくなった。
「あなたはSQUIRRLと言うけれど、そう言う単語はないので困ります」彼は心から当惑していた。何と言っていいかわからず、途方にくれたように立ち上がって床から、二つに割れた本を拾い上げ、セロテープで丹念に修理した。
それから、その本を私に手渡して言った。「I am very sorry,but I can't say yes to you when I knew it was wrong. Let's try it again」(すみませんが、まちがいと知っていて私はあなたに、イエス、と言うわけにはいかないのです、もう一度、やってみましょう)
私は呆然として一語もなかった。だまって本をとりあげ、四度目の繰り返しを開始した。しかし、如何に何でも四回目である。
前半の部分など暗記している位だから、風の如き早さで一語もまちがわずによみ進んで来て、問題のりす君の所にさしかかった。
それがするりと通過して遂にこのりすの章を終わった時私は全くびっくり仰天してしまった。
山城氏は依然として四メートル向こうにいたが、大して感激した風もなく、「O.K,今日はこれまでです」と言っただけであった。十五分ほどの時間超過であった。
それから二回目のレッスンでこの本の最後の頁を終えたときも、「Perfect」(完全です)と言っただけで、ぽかんとしている私に淡々と、「あなたの基礎訓練は終わりました」と告げた。
それで私は卒業したわけだ。あっけない事限りない。それ以後に行われた年一回の恒例の英語のテストの結果、私の給料はぐんとはね上がった。』 (筆者は当時国際連合軍交換台の要員であった)
『 人々はよく、国際的感覚の持主だとか、国際的な人間だとか、コスモポリタンだとか口にするけど、精神的無国籍者と国際人とは、全く別人でありながら紙一重でよく似ている。
私自身、もし、通訳(ウラジオストック、ロシア領事館)だった父の配慮がなっかたら、前者の方向にたやすくむいて行ったのではないかと思う。
私の子供の時にもそうした二種類の人々を見かけた記憶があるし、アメリカに行っても、更に多くの、精神的無国籍者と、国際的感覚の持主やコスモポリタンと出あった。
真の国際人とは、自分自身の、ひいては自分の母国の文化をしっかりと持っている人だ。だから他国の人々と対等に話が出来、相手の文化を理解できる。
自分が何もない人間は、相手をはかる尺度すらなく、その時、その時の風の吹きようで、どのような色にも染まる。
精神的無国籍者の典型的なタイプは、たとえどのように自由に見えても、結局は相手によって色が変えられる、と言うむなしさを持っている。
しかも本人が殆どそれに気づいてないのも特色で、もし、気づいていたらとしたら精神的無国籍者にはなり得ない。
私は、文化と言う言葉より、民族の土着性と言う方があたっていると思う。どんな民族でも、たとえ流浪の民のジプシーでも、ユダヤでも、その民族のもつ何万年の歴史の重みからにじみ出る土着性がある筈だ。
ある一人の人間が赤ん坊の時から十歳位までに出来上ってゆく過程では、その土着性が何よりも大切なものではないかと痛感している。』
(「何で英語やるの?」は昭和49年大宅ノンフェクション賞を受賞)(第25回)