25. スズメバチはなぜ刺すか (松浦誠著 1988年発行)
『 ハチに刺されるによる死亡のケースを見ると、そのほとんどが刺されてから一時間以内、普通10~30分という短時間におこっている。
これは毒グモに咬まれた場合(18時間以上)、毒ヘビに咬まれた場合(6~48時間後)にくらべて異常に早く、たんなる毒作用による死亡でないことを物語っている。
このハチ刺されによる症状はアナフィラキシー型過敏症とよばれており、反応時間がきわめて速いので即時型反応ともいわれる。
だから、ハチにアレルギー体質の人が刺された場合には、対応が遅れると命とりになりかねないという恐ろしいものである。
アレルギー体質の人にたいしてハチ毒は抗原として作用しているのであって、毒として働いているわけではない。
だから、ハチアレルギーの症状は刺したハチの種類にはほとんど関係なく、同じような様相を示す。
これは一般に人の体組織から多量のヒスタミンやセロトニンなどの化学媒介物質が放出されて、それらがさまざまな症状をひきおこすと考えられている。』
『 巨大なスズメバチの巣も、最初はたった一匹の女王バチによってつくられる。働きバチが羽化してからの巣というのは、大きく頑丈で手がこんでいて、まさに「ハチの城」の名前にふさわしい。
ところが女王バチのつくる巣は、大きさがせいぜいテニスボールくらいまでの小さくてもろい単純なつくりの工芸品といったほうがよい。
こうした女王バチの作品も巣の細部を見ると、さまざまな工夫の跡があちこちに見られる。たとえば、巣全体を支えている吊手に注目してみよう。大型のスズメバチではこの部分は、巣柄とよばれている。アシナガバチの巣と同じように蓮の実の柄のような棒状をしている。
その表面には女王バチの唾液が塗りつけられ、まるで漆を塗ったように賢固になっている。一方、クロスズメバチやホオナガスズメバチでは、女王バチのつくった巣はたった一枚の三角形をした紙状の吊手に巣の重量のすべてを委ねている。
この三角形の吊手をよく見ると、下のほうに行くにつれて、しだいにねじれながら細くなっている。
クロスズメバチでは下側から見ると左まわりに90度のねじれをもっているが、ホオナガスズメバチではさらにねじれた螺旋状をしている。どちらも最後には棒状にのび、幼虫室の底につながっている。
このねじれの部分に用いられている素材は、外皮や幼虫室の壁にくらべ、はるかに細かく噛み砕かれ密になっている。
女王バチがこの吊手をつくるときは、数十分かけて念入りの作業をし、たくさんの唾液を混ぜて、材料を強化する。
こうして、ねじれをもった三角板状の吊手は、しだいに増してゆく幼虫室の重量を巧みに吸収し緩和するばかりでなく、女王バチの動きや外からの振動にたいしても、かなりの弾性で持ちこたえている。
しかも、これら吊手の部分に、女王バチはたえず手をくわえ、巣全体が落ちないように注意をはかっている。』
『 外から巣材を運んできたハチは真っ先にその修理にとりかかる。観察を続けた結果、巣内のハチが、巣の内部から外皮をかじりとり、それをさらに細かく噛み砕いて育児室の巣材として利用しているのであった。
かじりとった後にできたスペースが育児室のスペースとして利用される。スズメバチの建築術は、外から運ばれた巣材はいったん外被として使用され、巣の発達にともなって、内部から削りとられて、それが育児室の壁の材料として再利用されていく。
また、巣盤をささえている支柱の材料も、同じように外被に由来しているが、このほうは繭の抜け殻などの繊維質も多量に付け加えられて、補強される。』
『 紙製の巣は断熱性に富むうえ、外被に見られる数重の層と、その内部の空気室や育房が、暖まった空気を貯える機能をもっている。
外被を明かりに透かしてみると、針で刺したように小さな穴が無数にあいている。それらの穴は巣内でうごめく幼虫や成虫の体から出される炭酸ガスや余分な湿気を巣外へ送り出すとともに、外の新鮮な空気を絶えず供給する通気孔の役目をはたしている。』
『 どんな動物の社会でも、大人が子供のために餌を与えるのは当たり前の話である。では、その逆があるかといえば、ちょっと想像もつかないだろう。スズメバチでは成虫が幼虫に食物を与えるとき、必ず口移しに一匹ずつ与えていく。
餌をもらった幼虫は口もとに無色透明な液体をあふれるばかりに分泌している。成虫は、それを熱心になめとる。スズメバチは野外から集めてきた食物を巣の中に貯めておいて利用することがまったくない。幼虫に餌を与えておけばいつでも分泌液の形でフィードバック出来る。』
『 足立さんが最も精力を傾注したのは、スズメバチのなかでも最大のオオスズメバチが自然状態の巣のなかでどのような生態をくりひろげているか、ということであった。
このスズメバチの巣はもっぱら土中に営まれるうえ、近くに寄るだけで無差別に遠慮のない攻撃をしかけてくる。その巣の内部をのぞくことの難しさは、このハチを知る者ならずとも容易に想像がつくだろう。
足立さんが考え実行したのはつぎのような、かって誰もなしえなかった方法である。それはハチの飛ばない夜間に、巣から十数メートル離れた地点に体がすっぽりと埋まる程度の縦穴を掘る。
さらにそこから横に深い溝を一直線に掘り進めて巣の近くまで到達する。その間、溝の上部は枯れ草や木の枝で厚くおおっておく。
それから、見当をつけた巣の位置に向かって少しずつ横穴を広げていき、巣に突あたったらすばやく枠のついた金網で外側からふたをする。
そして、ハチがこちら側にやってこないようにまわりをがっちりと土でかためる。こうして準備が整ったうえで、穴のなかから息をこらして巣の様子を観察するという。
こう書くと簡単なようだが、もちろん一晩や二晩でできるような仕事ではない。真の徹夜作業三回と午前一時頃から出かける半夜作業七、八回を含むものであった。
足立さんもスズメバチ観察中に何度もスズメバチの猛攻を受け、死線をさまようほどの激痛の体験も三度にわたってくりかえしている。しかし、そうした体験にひるむどころか、ますますのめりこんでいくのもスズメバチのもつ不思議な魅力といえるであろう。』(第26回)