26. 読み聞かせ (ジム・トレリース著 1987年発行)
THE READ-ALOUD HANDBOOK (1985 edition by Jim Trelease)
『 読書量の低下は一般的現象(1960年以降)だが、すべての子供たちがそうであるわけではない。中には圧倒的な反応で私を驚かせるクラスもあった。そういうクラスの子供たちは、本を愛し、貪欲に読んでいた。
そうした伝染病的な読書熱流行の直接原因は、どの場合も、受け持ちの教師の態度にあった。教師が本を愛し、子供たちに読み聞かせをし、本について話し合うことで、その愛情を子供たちと共有していたのである。
私の話に対する子供たちの反応を目のあたりにした教師や親たちから、”読み聞かせにふさわしい本”のリストを教えてほしいという要望を数多く聞いた。
さて、こうした経験を重ねているうちに、”読み聞かせにふさわしい本”のリストがないことに気づいた私は、自分でそう言うものを作ってみよう、という気になった。
最初はごくつつましく、自費出版で小冊子を作り、地元の書店に販売を依頼した。初版の費用はわずか六五〇ドルだった。
ところがその小冊子は、三年間にアメリカ国内三〇州とカナダで二万部が売れた。1982年、そのうちの一冊がペンギンブックス社の目にとまり、同社から出版の話が舞い込んだ。こうして出来上ったのが、この本の第一版である。
つい最近、私の「読み聞かせのためのハンドブック」を読んだばかりのバージニアの新米ママは、アビー女史の担当する一通の投書を目にした。この新米ママはアビー女史に「ハンドブック」のことを知らせた。
この新米ママの手紙とアビー女史の反応が新聞に載ってから、10日足らず、ぺンギンブック社には12万部の注文が舞い込んだ。 』
『 読み聞かせというのは、きわめて多面性を持つ経験で、大人も子供に負けないくらい、恩恵を受けることが多い。とりわけ今日のように自分自身がテレビ育ちと言う親が多くなった時代には、その傾向が強いといえよう。
テレビ育ちの親たちのベットタイム・ストーリーは、耳から入ったものではなく、目から入ったものである。
私に向かって、子供たちに本を読んでやったおかげで、子供時代に一度も読んだことのなかった本を知ったばかりか、子供時代に一度も味わうことのなかった読書の喜びを知った、と打ち明けた教師や親の数は信じられないくらい多い。
読み聞かせの経験が自分にとってどれほど意味のあることか、と語ってくれたある父親のことである。
「数年前、私はあなたの講演を聞きました。まだあなたの本が出る前のことです。あれ以来、私は一日も欠かさず息子に本を読み聞かせてます。息子はいま四歳ですが、最近は絵本や詩だけでなく、小説も読んでやってます。
息子が私の読んでやる物語をとても気に入ってくれるのはもちろんですが、読み聞かせは、私にとっても同じくらい意味のあることです。
実は、私の両親はスパニックでして、英語は話すことも読むこともできませんでした。ですから、二人とも私には一度も本を読んでくれませんでした。
やがて私も学校に入り、本を読むようになりましたが、先生が教えてくれたのは、図書室にあるノンフィクションでした。ずいぶんいろいろなものを読みました」
その父親、そこでひと呼吸おき、こうつけ加えた。「でもいままで――息子と肩を並べて一緒に本を読むようになるまで、私は世の中に人をげらげら笑わせたり、泣かせたり、心を揺さぶったりする本があることを、まったく知りませんでした」
私はその父親の率直さに打たれ、どこで私の話を聞いたのか、と尋ねた。すると彼はにっこり笑って、こう答えた。
「私は、あなたがベイステート医療センターで講演をなさったときに、あの場にいた二〇人の小児科医の一人です」 』
『 私が自分の子供たちに読み聞かせをしているのは、別に大学で幼児教育コースをとったからではないし、かかりつけの小児科医にそうしろといわれたわけでもない。私がそうしたのは、私の父が、子供だった私に読み聞かせをしてくれたからである。
だから、私が親になったとき、私は一つの世代から次の世代へ受け継がれるべき松明があることを知ったのである。
いまから半世紀以上もの昔、捨て子を自宅に引き取った、一人の貧しいクエーカー教徒の女性がいた。その女性は毎晩その子にディッケンズを読んで聞かせてた。
むろん、そのときの彼女は、自分のよんでやる本の言葉や物語が、のちにその子にどれほどの影響を与えることになるかなど、知るよしもなかった。
その子のジェームス・ミッチナーは、三九歳にして最初の本を書き、七八歳で三二番目の本を書いた。その中には、五二ヵ国語に翻訳され、六〇〇〇万部以上も売れ、数え切れないほどの読者をたのしませることになるベストセラーも何冊か含まれていた。 』
『 ある日、地方の図書館で開かれる子供を対象にした講演に先立って、私は廊下で一人のおばあさんに呼びとめられた。「すばらしいものをお見せしましょうか?」と、そのおばあさんはいった。
私が興味ありげな表情をすると、おばあさんは床にぺたりと座り込み、孫を膝に乗せて本を渡した。その孫は三歳半になる男の子だったが、おばあさんから本を受け取ると、すぐに読み始めた。
楽々と、つかえることなく、みごとな声の表情で、言葉を一つひとつ指さしながらである。私が質問するのを予期してたように、おばあさんがささやいた。
「八ヵ月前から、この子に本を読んでやり始めたんです。私の膝にのせて、一語一語を指さしながら。すると一ヵ月前、読む役がこうして逆転してしまったのです」
「お孫さんは、それが気に入っていますか?」と私は尋ねた。「気に入っているなんてものじゃありませんよ。その役に惚れ込んでいます」
そのおばあさんの成功の大部分は、本を読み聞かせるときに、孫が徐々に目で見、耳を傾けるよう条件づけたところにある。
おばあちゃんが自分に目を向けてくれているという情緒的な喜びと同時に、その男の子の視覚と聴覚にもそんたびに喜びが与えられていたのである。
このよう状態を何度も繰り返すことで、男の子は、本は楽しみの対象になるものだ、本は喜びをもたらしてくれる、という観念を持つようになったのである。
孫の心にそう言う観念を植え付けることによって、このおばあさんはその子の発達の次の課題――集中力持続時間――のためのベースを築いたのである。 』
『 早くから読める子を生む家庭環境
1) 子供に定期的に読み聞かせをしている。
2) 家庭内に本、雑誌、新聞、漫画などがある。
3) 紙と鉛筆がいつも子供の手の届くところに用意している。
4) 家庭内に、果てしなく続く質問に答え、読み書きをする子供の努力をほめ、子供の作品を家の中の目立つところに飾ることで、子供の読み書きへの興味を刺激する。』
『 子供のために望ましいこと。
1) 読み聞かせはできるだけ早くはじめること
2) 乳児の言語能力と聴取能力を刺激するために、マザーグースやさまざまな歌を利用すること。単純だが大胆な色使いの絵本で視覚を刺激する。
3) あなたと子供の時間が許す限り、読み聞かせること。
4) あなたが感動した本であること。そして最後まで読むこと。
5) 聞き手が耳から入ってくることを頭の中で思い描けるよう、ゆっくりしたペースで読むこと。
6) 非常用の本を用意し、病院の待ち時間、交通渋滞の時、読み聞かせようの本を用意する。
7) 父親は特に子供への読み聞かせの努力をすること。小学校教師の98パーセントが女性だということもあって、年のいかない男の子は、本といえば女性と学校に関係あるもの、と考えがちである。
読書力補強指導クラスの70パーセントが男の子なのは偶然ではない。父親が本や読み聞かせにかかわれば、男の子の考えの中にスポーツと同じ位置まで引き上げられる。
8) 子供がテレビの前で過ごす時間を抑えるために、ラジオ、CDを活用し、自分で本を読んだり、絵を描いたりできるように居間を工夫する。
9) 両親が、読書をしたり、手紙を書いたり、絵を描いたり、ギターを弾いたり、歌を歌ったり、料理をしたり、家計簿をつけたり、資料を整理したり、手本を示す。 』
私が36歳の時(この私とは、ブログの作成者で現在66歳)、子供が生まれ、寝る時に毎日母親が様々な絵本や物語を読み聞かせた。父親である私は、小川家(ノーベル賞の湯川秀樹は祖父・駒橘より漢籍の素読を習った)に倣って、漢文の素読をやりたかったが、私自身漢文の素養がなかったので、漢文の素読はあきらめざるを得なかった。
私は、会社勤めのため、午前7時に家を出て、午後9時頃帰宅するため、朝食後、出勤前の15分を私と息子の朝読みの時間として使わしてほしいと、妻の許可を得た。
こうして、子供が小学校2年生から、中学校の2年生まで、毎日朝読みを行った。
本は1冊自分の本を用意し、一緒に並んで座り、一区切りづつ私が指差しながら、読む。次に同じ所を私が指さして、息子が読む。
この一区切りは、事前に私が電車の中で読んで、次に読むところを確認しておく。
読んだ本は、素読のすすめ(安達忠夫)、短歌100(山口太一)、俳句100(山口太一)、方丈記、おくのほそみ道、司馬遷(林田慎之助)、万葉秀歌(斉藤茂吉)、論語(貝塚茂樹)、数学のしくみ(川久保勝夫)、A TO Z(Gyo Fujikawa)、Mother Goose (pictures by gyo fujikawa),THE OLD MAN AND THE SEA(hemingway)などで、朝読みを行った。この時、老人と海などは、訳本と事前の調べを行った。
この朝読みでの一番の成果は、私と息子が朝の15分で多くの本を一緒に読みきり、親子の絆が深まったことであり、バートランド・ラッセルが人生で一番楽しかったのは、新妻と歴史書を読んだことだとあったが、今では朝読みは私の楽しいかった思い出である。(第27回)