30. 奪われし未来 (シーア・コルボーン著 1997年発行)
(Our Stolen Future by Theo Colbrn,Dianne Dumannoski,and John Peterson Myers Copyright 1996 長尾力訳)
『 環境問題に関してはいわば「歴戦の勇士」だったコルボーンにもなかなか払去れない負い目があった。相手を説き伏せる「権威」をもちあわせていなかたのである。
こちらに学位がないとわかると、すぐに「迷惑な善行家」「テニス・シューズをはいた小柄な老婦人」という目で見られてしまう。
知的好奇心に燃えたコルボーンは、それまで独学で身につけてきた知識に大いに触発されてもいた。こうしてコルボーンは51歳の年に、大学院生として新たな門出をむかえた。
そしてコロラドの西の斜面をとぼとぼと歩き回って方々の水を採取しては、生態学の
修士論文を書き上げることにしたのである。
男性の指導教官の中には、こんな年を食った大学院生の指導に力を注ぎ込んでも仕方がないという者もあった。
それでも、コルボーンは、必死で食い下がり、ねばりにねばった挙句にとうとう博士号を取得したのである。』
『 そもそもの奇妙な現象に関する数百にも及ぶ研究をどうすれば一つの絵柄に組み立てられるのだろうか?
汚染地域のアジサシはなぜ、巣を見捨ててしまったのだろう?またアジサシの雛に広く見られた奇妙な衰弱は、一体何を意味していたのだろう?
メス同士でつがいになっていたセグロカモメの報告例があった。しかし、作業が手に負えないほど厄介に思えたときですら、自分はまだついているという実感がコルボーンにはあった。
実際、五大湖の環境調査に科学者として参加できたのは願ってもないチャンスだった。
コルボーンは当時58歳ですでに孫もおり、ウィスコンシン大学から動物学の博士号を取得したばかりだった。』
『 コルボーンの机の上には、野生動物関連のファイルが山のようにつまれていたが、今度はこれに内分泌学の教科書の数冊が、新たに加わることになった。
まず内分泌系の基礎知識からマスターしようと考えたコルボーンだったが、この作業は実際にやってみると、ひどくストレスのたまるものであった。
内分泌学の教科書は、分厚く、読みにくかったし、頭字語がいっぱいで、常に前のページを繰って意味を確認しなければならなかった。
結局コルボーンが内分泌学の勉強に集中できるよういなったのは、実践向きで、わかりやすい「臨床内分泌生理学」を手にしてからのことだった。
コルボーンは、この教科書をその後数ヵ月ほど、肌身離さず持ち歩いた。
ホルモンに焦点を絞ってみると、いままでは見過ごしてきたデータが新たな意味を帯びてきた。
コルボーンはふと、スウェーデンの毒物学者ベングトンソンの基調講演を思い出した。
ベングトンソンはバルト海での合成有機塩素系の化学物資による汚染が進行してゆくにつれて、魚の精巣が小さくなってきた事実を事細かに報告していた。
これは、ホルモン作用が攪乱されている証拠だろうか?
そこでコルボーンはもう一度、ハクトウワシに現れた異常なつがいの行動についての報告を検討することにした。
この異常行動は、卵の殻が薄くなったり、ハクトウワシの個体数が激減する以前から確認されていた。ハクトウワシは以前から、つがい行動には一切興味を示さなくなっていたのだ。
「これはおそらく、ホルモン作用が攪乱されてしまったためだろう」コルボーンはそう考えた。
ファイルを綴っていてぞっとしたことは、このほかにもいろいろあった。しかもそこからは、ある共通したパターンが浮かび上がろうとしていた。
鳥類、哺乳類、魚類にはどうやら共通した生殖問題が現れているようだった。』
『 研究が最終期限を迎えるころまでには、コルボーンは、優に2,000本を超える科学文献と500種類もの政府刊行物に目を通していた。
コルボーンは自分がまるで鼻の効くビーグル犬にでもなったかのように感じていた。
この先どうなるかについては見当もつかなかったが、持前の好奇心と直観力に駆られて、ジリジリと獲物を追いつめていたのである。
コルボーンは、興味深い類似現象を多数見つけ出していたし、いろいろの研究の間に響き合うものが多々あることにも、気づいていた。
すべてのピースが何とか一つに組み上がりそうだという感触がコルボーンにはあった。
手持ちのデータをすべて並べてみれば、どんな絵柄になるかがはっきりつかめるかもしれなかった。
コルボーンはとりあえず、これまでの研究成果を、記録台帳に書き込んでみた。
「個体数の減少」「生殖の減少」「生殖効果」「腫瘍」「衰弱」「免疫抑制」「行動変化」といった分類項目欄にデータを記入していくうちに、コルボーンは、五大湖に棲息する43種類の野生生物の中でも、特に多くの問題がもち上がっている十六種に焦点を絞り込んでいた。
コルボーンは、椅子の背にもたれたまま、でき上がったリストに目を通してみた。
ハクトウワシ、マス、セグロカモメ、ミンク、カワウソ、ミミヒメウ、カミツキガメ、アジサシ、ギンザケ。
さて、ここには一体どんな共通点があったのだろうか?ここに挙げた野生生物はみな、五大湖の魚を食べて生きている生物の頂点に立っていた。
五大湖では、PCBのような汚染物質の濃度はかなり低いので、通常の水質検査ではその濃度を測定することはできない。
しかし、この残留性の高い化学物質は、組織的に濃縮され、食物連鎖の頂点へと登りつめていくにつれ、その蓄積量も指数関数的に増していくのである。
分解されぬまま体脂肪中に蓄積されていった化学物質の濃度は、セグロカモメのような食物連鎖の頂点に立つ生物では湖水の2500万倍にもなる。
このスプレッドシートからもう一つ、驚くべき事実が浮かび上がってきた。
科学文献によると、健康上の問題が現れたのは主に野生生物の子どもであって、親にはこれといった異常は見られなかった。
次世代に及ぼす化学物質の影響については、コルボーンも以前からずっと考えていた。
とはいえ、これほどまでに鮮やかな対照性が野生生物の親子の間で見られるとは思いもよらなかったのである。
いまや、情報のピースは、一つの絵柄にまとまりかけていた。
親の体内から検出された化学物質が有害であれば、それはまさに世代を、超えて譲り渡された「有毒の遺産」であり、胎児や生まれたばかりの子どもにも被害を及ぼすはずだ。
これは、背筋がゾッとするほど恐ろしい結論だった。
カモメには、メス同士のつがいや奇妙な行動が見られたし、ミミヒメウには、内反足をはじめとして、背骨の湾曲、嘴の奇形、目の先天的欠如といった重度の障害がはっきりと現れていた。
しかし、コルボーンは勘を頼りに得た結論を再検討していると、混沌とした情報の断片から、あるパターンが浮かび上がってきた。
すでに挙げた現象はいずれも発達異常であり、そのほとんどがホルモンによって誘発されたものだ。
おそらく大半の現象が内分泌系の攪乱と連動しているにちがいない。
こうした洞察がきっかけとなり、コルボーンは研究の方向を子どもが生まれてすぐ死んでしまう野生生物の組織から頻繁に検出された化学物質に関する文献を手当たりしだいに読みはじめた。
野生生物の脂肪から検出された各種の「有毒の遺産」には内分泌系に作用するという共通点があった。
内分泌系とは、生態機能のかなめともいえる生理プロセスをつかさどり、出生前の発生を促す系である。
「有毒の遺産」はホルモン作用を攪乱していたのである。』
『 マウスのような哺乳類には子宮内のホルモン・レベルのわずかな変化をも敏感に察知する鋭い感覚が備わっているが、これは長い進化の歴史の中でかたちづくられてきたものだ。
この柔軟な適応力のおかげで、子孫には多種多様な変異が生じてきた。
しかもその多様性は遺伝子が生む多様性をはるかにしのぐものである柔軟な適応力とは、哺乳類が急激な環境変化を生き抜くための「賭け」にも似た賢い戦略なのだ。
子孫繁栄の最適条件が割り出せないとなれば、あらかじめいろいろな種類の子孫をつくっておくことが最善の策となるだろう。
そうしておけば、少なくともそのうちのいくつかは環境の激変に適応することもできるからである。』
『 1962~1971年にかけて、米軍は1900万ガロン(1ガロン3.8L)を上回る合成除草剤をヴェトナムの1万5千Km2もの地域に散布した。
この作戦に投入された主な化学兵器の一つが、オレンジ剤だった。これは、除草剤2,4-Dと2,4,5-Tとの混合物だ。
ダイオキシンは通常2,3,7,8-TCDDでこの他にも74種あり、フラン類とはダイオキシンに似た構造と毒性を持った135種類の化学物質からなる化合物群だ。』
『 ホルモン作用攪乱物質は、環境でごくふつに検出される程度のレベルであれば細胞死も引き起こさないし、DNAも傷つけない。
この化学物質のターゲットは、ホルモンだけなのだ。ホルモンは体中に張りめぐらされたコミュニケーション・ネットワーク内を絶えず循環している化学メッセンジャー(化学伝達物質)である。
それに対してホルモン様合成化学物質というのは、生体の情報ハイウェーに住みついて、生命維持に不可欠なのコミュニケーションを寸断してしまう暴漢のような役割を演じる。
化学信号を混乱させ、はてはニセ情報をばらまいたり、悪行の限りを尽くす。
ホルモンのメッセージは、性分化から脳の形成にいたる実に多様な発育プロセスにかかわり、コーディネーターという大役を演じているのだ。
成人にはこれといった影響が出ないような比較的低レベルの汚染物質でも、胎児には致命的な打撃となる場合がある。
五体満足で健康な赤ん坊が生まれるかどうかは、妊娠中のしかるべき時期に、しかるべきホルモンメッセージが正しく胎児に送り届けられるかどうかにかかっている。
この種の毒物汚染を考える場合、何よりも大切なのは、化学メッセージという発想だ。』(第31回)