チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「六十歳から家を建てる」

2016-11-30 12:51:46 | 独学

  118. 六十歳から家を建てる  (天野彰著 2007年9月)

 本書は、定年後の夫婦の家屋を数多く設計して来た建築家の話です。私は現在、前期高齢者ですが、これから家を建てる予定で本書を紹介するわけではありません。私が紹介する理由は、以下の三点です。

 (1) 家は、これから二、三十年から数十年に渡って住むことになりますが、家族の未来がどのようになるかは、予測できないことが多いので、考えられる様々な要素にどのように配慮しておくか。

 (2) 夫婦といえども、現在及び未来に対してどのような考えを持っているのかは、当事者といえども意外とわからないもので、建築家を交えてどのような家にしたいですかと話してゆくとき、はじめてその違いが見えてきます。

 (3) 夫婦がこれから様々な病気やケガや終末に対して、どのように立ち向かうかという意志が見えてくる。

 

 『 さて、定年後、自分たち夫婦がどう暮らしていくのか。ちょっと考えただけでも、建て替え、リフォーム、マンションへの転居、子供たちとの同居、Uターン,海外移住など選択肢はいくらでもある。

 もっともむずかしいのは、夫婦の意思統一である。私はこれまで定年後の夫婦のための家も数多く設計してきた。そのたびに痛感させられるのは、長年、生活をともにしてきたご夫婦のホンネが、実際にはなんとバラバラかということである。

 たとえば、今ある家を老後のために建て替える。そこまではすんなり決まっても、そこから先がたいへんだ。家づくりに関して建て主夫婦の意見が分かれるのは、もちろん定年後にかぎった話ではない

 三十代の若夫婦が家を建てるとしよう。それまでは狭いアパートで肩を寄せ合い、仲良く暮らしていた夫婦が、突然、私の目の前で熾烈な言い争いを始めるのである。

 たとえば、妻は「子供たちにそれぞれの部屋を与えたい」と言う。夫は「小学生に個室など必要ない」と言う。妻が「勉強部屋がなければ受験のときに困る」と言い返す。夫は「それよりオレの書斎が必要だ」と言い始める。

 では、定年前後の夫婦が家を建てる場合はどうなのか。最大の争点は、なんといっても「寝室」である。夫たちは「やっぱり畳に布団がいい」と主張する。妻たちは「洋室にベッド」がお好みだ。

 「オレはベッドじゃよく眠れないんだ。オマエだって知っているだろう」 「アナタはどこでだってよく寝れるじゃない。そんなことより、毎日の布団の上げ下ろしの手間を考えてちょうだい」

 よくある口論だ。しかしこれなど、まだおだやかなほうなのである。和室にするか、洋室にするかといった言い合いから、あれよあれよという間に話は思わぬ方向に展開することも珍しくない。

 「それならアナタの寝室は和室にしていただけば? 私は二階のベットで寝るわ」 思ってもみなかったセリフを他人の前で、いきなり投げつけられた夫は狼狽する。しかし、妻は平然としたものである。

 「だって、あなたは夜中に鼾(いびき)をかくし、歯軋り(はぎしり)はするし、酔っ払った夜は息が臭いし、おまけにエアコンをがんがんつけるでしょう。私は結婚以来、一晩だってぐっすり眠れたことがないのよ」

 若い頃の私は、話がこの方向に流れてくると往生したものだった。コトがコトであるだけに、あまり立ち入るわけにもいかない。しかし今ではもう慣れたもの。「やはり来たか」程度の気持ちで解決法を考える。 』 


 『 新築やリフォームの打ち合わせで夫婦がモメ始めると、先にキレるのはたいてい夫のほうだ。「もういい。家を建てるおはやめだ!」そこでなぜかご主人は私のほうを向いて、深々と頭を下げる。

 「いろいろ相談に乗っていただいた挙句に申し訳ないですけど、この件はキャンセルさせてください。やる気をなくしました」傍らの奥さまは「あら、そう」とばかり冷ややかに夫を見つめている。こうして夫はますます立場を悪くする。

 妻たちの肩ばかりもつわけではないが、これまで家づくりを通して何百組もの夫婦喧嘩を「食わされてきた」経験から言うと、残念ながら夫のほうが総じて分が悪い。

 妻は夫のわがままに慣れているが、夫は妻のホンネを聞いたことがないので簡単にショックを受けてしまうのだ。妻の言葉に忍耐強く耳を傾けることができない。

 そんなことだから、定年を機に妻の不満が爆発する。退職したその日に、夫は世界一周旅行のチケットを買って帰宅する。ところが、妻は離婚届を用意して夫の帰宅を待っている。

 テレビドラマの一シーンのようなこんな悲喜劇が、あなたの身にふりかからないとも限らない。「夫婦は一つ」「夫と妻は一心同体」なんて、幻想である。夫婦が互いに理解することは、それほどむずかしい。

 むしろ夫婦であればこそ、何か特別なきっかけがないかぎり、大切な問題をきちんと向き合って語り合うのがむずかしい。まだ間に合ううちに手を打とうではないか。喧嘩になってもいい。

 夫婦が一度は乗り越えなければならない壁なのだ、最初に喧嘩をしておかないと、いざ家ができてから不満や愚痴が噴出して、状況はいっそう悪くなる。

 自分らしい住まいを確保するためには、せめて手元にジャックやクイーンの札があるうちに言いたいことを言おうではないか。つまり、できれば定期収入のあるうちに、まとまった退職金が残っているうちに、そして体力も気力もあるうちに。

 そう、今なら虎の子の古ぼけた我が家、我が土地がある。 』


 『 夫が「定年」を現実のものとして考えるようになった頃、かなりの割合で口にする言葉が「生まれ故郷に帰りたい」である。東京や大阪の大学を卒業し、そのまま就職したものの、定年を迎えたら故郷の実家に戻りたい。

 年老いた両親の暮らしぶりが心配なこともあるだろうが、人生に対する焦燥感や都会生活への幻滅が根底にあるかもしれない。

 心やさしい奥さまのなかには、「そこまで言うなら、この人の夢をかなえさせてあげたい」と考える人もいらしゃる。しかし多くに場合、それはホンネではない。夫の夢のためについて行こうとけなげな覚悟をしただけだ。

 はっきり「イヤよ」と拒否する妻もいる。「そんなに帰りたいなら、アナタだけ帰れば?」と言い出す妻だっている。しかし、それを簡単に「女房のわかまま」と決めつけるのはどうだろう。妻たちがなぜUターンやJターンをいやがるのかを考えてみよう。

 三十数年、場合によっては四十年以上も会社に通い続けた夫たちにとって、主たる生活の場は会社だった。価値観もアイデンティティも組織に属していた。

 それを定年とともに奪われて右往左往する人もいるわけだが、とにもかくにも夫の日常生活は定年によって大きな節目を迎えることになる。それでは、夫が仕事、仕事に明け暮れていた三十数年の間、共稼ぎ家庭を別として、多くの妻たちがどこに所属していたかといえば、地域社会なのである。

 妻たちだって愛する故郷を離れ、慣れない土地で結婚し、家族をつくり、家庭を守ってきた。遠くにいる両親の健康を案じながら、子供を育て、夫を支え、ささやかな生き甲斐を見出してきた。

 その意味で妻たちは夫以上に地域生活に親しんでいるし、夫には想像できないくらい濃く深い人間関係を築いている。そうした生活パターンや人間関係は、夫の定年後もそのまま続くはずのものだった。

 にもかかわらず、いきなり夫から「田舎に帰ろう」と言われたら、どんな気持ちになるだろう。夫にすれば「オレの親の世話をするのがそんなにイヤなのか」と言いたいのかもしれないが、それほど単純な問題ではない。

 夫にとって長年所属した組織を離れ、人間関係を失うことがつらいのと同様、妻にとって長年暮らした土地を離れるのはひじょうにつらいことなのだ。 』


 『 結婚以来、ずっと共働きをしながら一人息子を立派に育て上げた夫婦が定年を迎えるにあたっては、それぞれ違う夢をもっていた。夫は「畑仕事をしたい」。妻は「子供時代に弾いていたピアノをもう一度習いたい」。

 夫は田舎に移住することも考えたが、妻に「イヤよ」の一言で却下されてしまった。自宅を建て替える決断をしたきっかけは、息子夫婦に子供が生まれたことだった。

 息子夫婦は共働きだから、子供を保育園に預けなければならない。それは予定していたことだし、送り迎えの問題もなかったが、子供が病気になったときが心配だった。

 できれば両親の近くに住んで、いざというときには頼りたい。それならいっそ……という息子夫婦の思惑もあった。こうして二世帯同居住宅への建て替えが決定した。

 しかし、夫婦は新居を息子一家のために建てるつもりはなかった。自分たちの「隠居所」を建てるつもりもない。

 二階に息子さん一家が住む以上、同居に違いはないのだが、二人とも「当面、二階は完全な別世帯。賃貸アパートのように考えてくれればいい」という「気分的二世帯住宅」。

 彼らが望んだのは、あくまでも自分たち夫婦の家。というより、「オレの家」と「私の家」だった。実際、打ち合わせをしてみると、二人が口にするのは自分のことばかりである。

 「本格的な家庭菜園がほしい。畑さえあれば、私は何もいりません」 「近所に気兼ねなくピアノを弾きたいから、防音に配慮したピアノ室をつくってください」

 「庭仕事をすると疲れるし、服も身体も汚れるんですよ。広くて気持ちのいい風呂がほしいなあ」 「家のなかまで泥を持ち込まれると掃除がたいへんだから、勝手口か玄関からお風呂に直行できるようにしてください」

 「畑仕事をしていると朝が早いんです。でも、この奥さんはなんだかんだと夜遅くまで起きている。迷惑なんだなあ」 「いいじゃない。もう会社にはいかなくていいし、子供もいないんだから。そっちこそ朝早くからごそごそ迷惑よ」 一から十までこんな調子だ。

 幸い敷地には十分な余裕があった。南側に二十坪の畑を確保し、畑の一角には道具小屋や専用の蛇口もつくる。疲れたときに一休みするためのウッドデッキとテラスも設置する。

 東南にあるリビングには、本格的オーディオセット、すぐ隣には防音サッシを入れたピアノ室。浴室は東側の出入り口を入った脇に設置したい。この夫婦の家にはもう一つテーマがあった。六十を過ぎた夫婦がかならずぶつかる問題、つまり「寝室」の設計である。 』


 『 この夫婦の生活パターンには数時間のズレがあった。こうした時間差の問題は夫の鼾や寝相の悪さと並んで、夫婦の寝室を設計するうえできわめて重要なテーマである。

 「寝室は別々に」というのが奥さんの希望だった。しかし、六十歳を過ぎた夫婦が離れ離れに寝るのは危険である。万が一、夜中に深刻な体調の異変が生じたらどうするのか。

 そこで私は、この夫婦の寝室を隣どうしに配置した。しかも二つの寝室の間を壁で仕切るのではなく、開閉可能な引き戸にする。しっかりした木製の引き戸を閉め切れば光は漏れないし、物音や鼾もかなり遮断できる。

 しかし、互いの気配は感じられるから、どちらかに異変が生じたときには気づきやすい。年配のご夫婦が「別室」を希望されるとき、私はこのプランを提案することが多い。

 ご主人が布団派、奥さまがベット派の場合も、このプランなら対応できる。妻がベットで寝るのに、自分だけ床で寝ることに「心理的な抵抗」を感じる場合は、和室の床をベットの高さと揃えておけばいいのだろう。

 明かりを点けたり消したりするのに、いちいち遠慮する必要がない。さらに昼間は引き戸を開け放って風を通すことができる。面白いのは、頭の部分の引き戸だけ閉じて寝ているケースが多いことである。 』


 『 私の友人の中に古民家暮らしを実現したデザイナーがいる。彼は仕事の第一線を退いた後、長野県の山村にあった昔の庄屋の家を買い取り、解体して神奈川県内の別荘地まで運び、ふたたび組み立てて住み始めた。

 私も誘われて何度か訪ねたことがある。藍染めの作務衣に身を包んだ友人と、和服をちょっと色っぽく抜き衣紋に着た奥さんが、茅葺屋根の下で迎えてくれた。

 私たちは囲炉裏を囲んで座り、織部の皿に盛った山菜料理を肴に、備前のぐい飲みで酒を酌み交わした。それはもちろん楽しい一夜だったし、二人ともじつに満足そうだった。しかし、私にはどうにも気になることがあった。

 建築家の性だろうか。人様のお宅を訪ねると、無意識のうちにその家の日常生活を想像してしまうのだ。ところが、彼らの家には生活臭がまるでない。帰り際に思い切って尋ねてみた。

 すると、驚くではないか。じつは茅葺屋根の家の裏にプレハブの小さな家を建て、ふだんはそちらで暮らしているという。その家にはエアコンもついているし、システムキッチンもシステムバスもあるし、洗濯機も電子レンジもコンピュータも置いてある。

 ようやく合点が行った。囲炉裏のある古民家は、お二人ならではのこだわりの社交場だったのである。古民家を移築したときから、彼らはその家を「終の棲家」とは考えていなかった。

 団塊の世帯が定年退職後に挑戦したいテーマとして、よく語れれるのが「田舎暮らし」である。夢を実現すべく、本格的な農村移住を決断する人もいる。

 しかし私は、田舎暮らしの夢破れ、結局、帰る場所まで失った不幸なケースをいくつも見てきた。都会での便利な生活に慣れた人にとって、一年三百六十五日、田舎で生活するのは楽なことではない。

 地縁、血縁関係の濃い村では自分たちが「よそ者」だと感じることもあるだろうし、地域の風習になじめないこともある。ましてや、自分が病気になってとき、夫婦のどちらかが先立ってからの孤独や不安は計り知れない。

 田舎暮らしを選択するにあたり、それまで住んでいた家や土地を売ろうと考える人は多い。しかし不退転の決意はときとして危険だ。六十歳を過ぎて、退路を断ってしまう恐ろしさを知ってほしいのだ。

 今は健康でも、十年後には足腰が弱って他人の世話になるかもしれない。「不退転」の覚悟よりも、「いつでも退ける」という道を用意しておくことのほうが重要ではないだろうか。 』


 『 さて、住んでいる家が老朽化しても、土地にかなりの余裕があれば、その半分を売って売却益を新居の建築費に充てることは可能である。ところが、そうした選択肢を選ぶ人は案外、少ない。

 なぜかすべてを処分して別の場所に移るか、何もしないでそのまま古い家に住み続ける人が多いのである。しかし今、東京都内の住宅地などでは六十坪以上の土地があれば十分、二軒の家が建つ。

 たとえば百坪の土地があるとしたら、今の古家を壊し、半分の五十坪の土地を売却する。坪あたり百万円で売れば、五千万円の現金が入る。

 そのうち三千万円で自宅を新築すれば、手元に残るのは二千万円。この程度なら特別控除で大して税金はかからない。売却益がそのまま自宅の建築費に充当されるうえ、差額もほぼ経費として計上できるためである。

 しかし、半分をひとたび売ってしまえば、その土地がどう使われるか、どんな家が建つのかは買い手次第。境界線いっぱいに三階建てのアパートが建つかもしれない。

 だったら、いい手がある。土地のまま半分売るのではなく、自分でそこに”分譲住宅”を建て売るのだ。地価五千万円の土地に建築費二千万円ほどで建てた標準的な家が、八~九千万円で売れる。

 「本当に売れるかどうか心配」という人ならば、建てる前に仮契約だけすませてしまえばいい。更地の状態のまま設計図を作成して、不動産屋さんに仲介を頼むのである。

 立地がよければ、家が完成していなくても買い手は見つかる。また、土地だけ売却し、設計と施工を条件付きで行うこともできる。 』


 『 「介護」とは、親を介護し、子供に介護されるだけではない。夫婦が互いに介護し合うことも考えに入れておかなければならない。最近、「介護住宅」という言葉は、「バリアフリー住宅」とともに、今後の高齢社会の自宅療養で乗り切れる切り札のように語られている。

 なにしろほとんどの「介護住宅」や「バリアフリーの家」は、車椅子と介護用ベットでの生活を前提としている。車椅子のまま乗車しやすい駐車場、車椅子で出入りするための玄関スロープ、車椅子から移動が楽なトイレや浴槽、等々。

 まるで、車椅子と介護ベッドがなければ話にならないと言わんばかりだ。しかし私には、車椅子の生活そのものが非現実的に思えてならない。

 車椅子を動かすにはかなりの腕力が必要だ。自力で歩行が困難になった老人に、あの重い車椅子の車輪を回し、動かせる力が遺されているとは思えない。

 事故や病気のために下半身の力だけ失った若者ならともかく、年のせいで足腰が弱まった老人では上半身の力も衰えているのが普通だろう。電動式の車椅子を操作するのも思うほど簡単ではない。

 事実、車椅子用の玄関スロープを上がろうとして失敗し、転げ落ちて大怪我を負った事故は少なくない。むしろ玄関先で車椅子を降りて、高めの上がり框(かまち)に移るほうが安全だ。

 「そんな心配はない。誰かに押してもらえばいいのだから」と反論される方もいるだろう。若くて十分な体力のある息子や娘なら安心だが、老いた夫や妻を想定したらどうなるだろう。

 自分自身が車椅子のお世話にならなければならない年齢だとしたら、おそらく配偶者の体力だって衰えている。車椅子を押しながら急なスロープを上がっているとき、万が一、バランスを失い、転げ落ちそうになったら、身を挺して受け止めることができるだろうか。

 下手をすれば夫婦そろって転んで大怪我をしてしまう。そうしたケースが年々増えている。ところが、車椅子は靴を履き替えることができない。道路で、犬の糞や捨てたガムの付いた車輪で、我が家のリビングや寝室を動き回る光景に耐えられるだろうか。 』 (第117回)

 


コメントを投稿