39. 柳孝 骨董一代(青柳恵介著 2007年12月発行)
『 書画を専門に商売をしていた人で、目利きであったが、ついのめりこみすぎて失敗したHさんという人がいた。美術娯楽部への出入りも止め、店もあったが、夜市の売買の方が主になったように見受けられた。
夜市とは、業者の組合組織である美術娯楽部の市を公的な市とすれば、私的で小規模な市である。昔建仁寺の大中院を会場にかりた夜市があり、H氏はしばしば顔を出していたようだ。そこに玉堂の園中書画が出た。
H氏は玉堂の傑作に興奮し、自分が支払うお金を持っていないことも忘れて競りに参加してしまった。気がつけばH氏は三百万円で落としていた。市が終わればその日のうちに清算しなければならない。
H氏は市の途中で軸を抱え、大中院から花見小路を茫然と歩いて柳さんの店までたどり着いた。「柳さんなら絶対に買ってくれると思って持って来た。見てください」とH氏は軸を広げた。
「Hさん、いいもの買わはりましたなあ」と応じた。H氏は安堵の息をつき、今、貧乏をしているのでせいぜい高く買ってくれと言う。
三百万に五十万を乗せてくれないかという要求に対して、柳さんは百万を乗せた。「こんな嬉しい話はない、恩に着る」といってH氏は大中院に戻っていった。
一銭ももってないのに三百万のものをH氏に買わせたのは、他でもないH氏の目であり、彼の自信であろう。
それを自分なら必ず買ってくれると信じて持った来たH氏に柳さんは胸が熱くなった。玉堂は柳さんの最も敬愛する日本の文人である。 』
『 いつぞや、白洲正子さんの家で山椒鍋というものを御馳走になったことがある。地鶏を土鍋で煮たところに山椒の若芽をいっぱい投げ込んで、食べるというだけのきわめて簡単なものであったが、鍋に投げ込む山椒の葉の量が尋常ではなかった。
両手で山盛り掬った山椒は煮え滾る鍋の中で、あっという間に縮かみ、香りだけを鶏肉に残して消えるといった印象の、上品この上ない鍋であった。その鍋は、洛北の農家に伝わった食べ方だという。
新緑の季節に、柳さんがその山椒と地鶏を京都から持って来るので、食べにこないかと誘ってくださったのである。
柳さんが、お付きの人と現れたとき、私達は目を瞠った。二人共々、両手に径一メートルはあろうかという大きなザルには山盛りの山椒の若芽。あっけにとられるうちに、私たちは陶酔の境地に連れ去られた。
二時間くらい経ったであろうか、柳さんは「新幹線の切符をとってありますので」と挨拶し、台所にいたお付きの人と共に、空のザルを提げて早々に帰ってしまった。
あわてて帰ったというのでもなく、あとは皆さんでお楽しみ下さいといった引き上げ方だった。「なんて見事な引き際であろう」と白洲さんは感嘆した。柳さんは白洲さんの喜ぶ顔を見たら、それで満足といったふうであった。
白洲さんが柳さんの話をするときの一つ話に「最初は自転車、次にスクーター、次は小型自動車、大きな外車、そして運転手さん、会うたびにそのようい出世したのよ」というのがあった。
白洲さんは大東路の店の時代からの御贔屓であった。その話をすると、柳さんは「それは、そういう時代だったんですよ」と、止めてくれといわんばかりの顔をするが、白州さんは柳さんの成長を誰よりも喜んでいる。
柳さんの大事にする人間関係は、同業者を除いて三つの領域があると思う。第一は得意先、仕入れた品物を気風よく買ってくれるお客様だ。
第二が学者、研究者、柳さんは人一倍研究熱心であるけど、独学の危うさも心得ていている。第一線の研究者の研究を視野に入れ、常に彼らと緊密な関係を保っている。
ものの判断には、学者の意見を尊重する。研究者にとってみれば、柳さんは研究対象の重要な提供者だ。一種の共生関係が成立することになる。博物館がそのまま顧客になることだってある。
しかし、第一の顧客、第二の研究者に加えて、柳さんには第三の領域の人々がいる。市井の数奇者である。大金持ちでもないし、学者でもないが、広い教養を持ち、何よりもよい趣味を身につけた風流人。
美しいものを探し求める仕事には、研究的な知識も必要だが、それ以上に、勘と呼ばれる動物的な臭覚のようなものが大事だ。
古美術におけるこの勘は、よい趣味と直結している。数奇者たちとの日常の付き合いのなかで、よい趣味は感染する。柳さんはこの数奇者との付き合いをことさら大事にした。
この人達と付き合う時間をふんだんに作った。柳さんにとって、白洲さんは第一の領域の人であると同時に、第三の領域の人でもあったに違いない。
第三の領域の人々は、遊ぶことに関して贅沢である。「面白い」と思うことを共有しなければ一緒に遊ぶことはできない。 』
『 翌日、柳さんの店を訪れると、柳さんは今度は勾玉を眺めていた。大振りで、透き通った翡翠の勾玉である。前日の金銅の獅子が「力の塊」だとすると、今日の勾玉は命の塊」だ。
太古、海中に生じた生命の命までも、この堂々とした勾玉からは匂いをともなって発散されている。そう思わせるほどに、この玉の透明感は、あたかも海の底の発光物のような神秘的な透明感だ。
私は勾玉の本物、偽物がとんと分からない。一体どこで見分けるのか柳さんに問うと、「そんなこと一言で言えますかいな」という表情を浮かべつつも「先ず穴ですな」と答えてくれた。
急いで開けたような穴はいけない。本物の穴はゆっくり、しかし淀みなく開けられているという。それと全体から感じられる野太い線。
その言葉だけで本物と偽物とを見分けられるはずもないけれど、「命の塊」である勾玉を見る柳さんの視点は何となく伝わってくる。
王者の風格をもった勾玉をギュッと握てみる。光にかざして見る。古代人の心がすぐに伝わって来るはずもないけれど、穴を覗けば、たしかに慌てずに、しかも、率直な線が向こうまで続いている。
「ほのか」という語に掛る「玉かぎる」という枕詞がある。玉の放つ光のかがやき、それが「ほのか」だという古代人の認識である。「玉かぎる」は「魂」のかがやきにも通じよう。 』(第40回)
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