53. この6つのおかげでヒトは進化した(前) (チップ・ウォルター著 2007年8月)
THUMBS、TOES,AND TEARS (by Chip Walter Copyright 2006) 梶山あゆみ訳
『 1974年2月に、リーキーがタンザニアで発見したラエトリの足跡は、たいした発見だと思わなかった。ところが1976年になって、ようやく足跡を含む岩石の年代分析をしてもらったところ、リーキーは肝を潰した。2,3千年前どころか、実に350万年前の足跡だったのである。
そんな昔から猿人が直立二足歩行をしていたとは誰ひとり夢にも思わなかった。だが、ルーシー(エチオピアのハダールで、ジョンソンが発見した同時代の女性の骨格)とラエトリの足跡は、その事実をまざまざと物語っていた。
細長い足の裏に、太い親指。これが、長い腕のついた小柄な体の重みを支え、彼らを火山から遠ざけて目的地へと向かわせた。かかとはすでに長く伸び、五本の指は平行に並んでいる。
あるべき場所に土踏まずもある。土踏まずは体の重さを吸収するとともに、体重をまず足の外側に沿って移動させ、それから母指球(足指の下側にある膨らみの部分)を通して親指の方へと移動させる役割を果たしている。私たちの足とまったく同じだ。
ジョンソンやリーキーの発見は、人類の進化に関する従来の定説を逆転させた。ルーシー以前は、私たちの祖先と類人猿を分けるものがあるとすれば、それは脳であって足ではないとおおかたの科学者は信じていた。
脳が進化したために二足歩行がうまれたのであって、その逆ではない、と。だが、どうやら彼らは間違っていた。ルーシーの脳は現代人の基準で言えばけっして大きくはない。
その頭蓋骨の断片は450cc程度だったことを示している。現代のチンパンジーとほぼ同じだ。ところがルーシーの膝関節のかみ合い方と短く薄い骨盤を見れば、彼女が直立歩行していたのは明らかだ。
そのことはラエトリの足跡もはっきりと物語っている。私たちの祖先は予想以上に早い時期から直立二足歩行を始めていた。
チンパンジーとの共通の祖先から枝分かれして、100万年くらいが過ぎた頃ではないかと考えられる。これは驚くべき発見であると同時に、私たちに新たな謎も突きつけた。何が引き金となって、彼らはそんなにも短時間に直立歩行できるようになったのだろう。
祖先たちの足に太くずんぐりした親指が現れてからは、歩行や走行をさらに助けるように突然変異が促された。親指以外の八本の指は短くなる。かかとは長く細くなる。小さい骨と土踏まずからなる複雑なシステムも作られる。
前後左右に体重が移動するたびに、このシステムが衝撃を吸収してくれる。やがて、全身の骨の数の約4分の1がくるぶしから下に位置するまでになり、親指も十分に発達して体重の40パーセントを支えられるようになった。
とはいえ、私たちが滑らかに歩けるのは、精妙な足の作りのおかげばかりではない。ほかにもいくつかの構造が作りかえられた結果、さらに輝かしい変化が祖先の体にもたらされた。
ひとつ目の変化は、がに股に湾曲していた足がまっすぐになったことだ。見事に保存されたルーシーの骨格がこの点をはっきりと示している。ルーシーは尻の両脇についている臀部外転筋も発達させ、これが収縮すると、歩いているときに体重の移動につれて体が左右のぐらつくのを防いでくれる。
ふたつ目は、骨盤と股関節の変化だ。チンパンジーの骨盤は人間のものよりも長くまっすぐであり、その両脇からほぼ真下に向かって大腿骨がついている。
これは、一日の大半を腰をかがめて四足で歩いているならば何の問題もない。だが、立って二足で歩くには厄介な特徴である。類人猿の場合、骨盤の左右を形作る寛骨が靴べらに似た形をしていて、そこから大腿骨が真下に伸びている。
だが、ヒトの祖先はもっと上半身を安定させるために、骨盤が短く横に開いた形になった。その結果、大腿骨は股関節から45度に近い角度で内側に向かって伸びている。
三つ目は、体重が骨盤の真上にかかるようになったために、先祖の背骨の形が変わったことである。チンパンジーやゴリラの背骨はまっすぐだ。ほとんどの時間、体をかがめて背中と地面を平行にしているので、彼らの体重の約半分を後ろ足で、残り半分を手のこぶしで支えている。
それにひきかえ、私たちの背骨は横から見るとS字型に湾曲している。胴体の下のほうで内側に曲がり、首のほうに向かうにつれて外側に曲がっていく。腕や手で支えなくてもうまく重心がとれるようにと、進化が作りあげた作品だ。
こうして体が作りなおされた結果、必然的に四つ目の変化がもたらされる。頭の位置だ。これがいずれ、はかり知れない影響を及ぼしていく。
動物園で、ゴリラがこちらに向かって四足で歩いてきたとしよう。すると、ゴリラは首を後ろに倒すようにして前方を見ている。Ⅹ線写真があればその理由はよくわかる。
背骨が首から頭に入っていく場所が、ゴリラの場合は頭蓋骨の後ろ側なのだ。普段は四足歩行をしている動物にとっては、こういう構造が理にかなっている。だが、そのまま直立したら、空を見上げる状態になるのでうまくいかない。猿人が直立二足歩行するためには、この構造が変わる必要がある。
首の骨が頭に入っていく場所を「大後頭孔」という。ゴリラと人間を並べて座らせて、頭の上から見下ろせば、ゴリラの背骨は頭蓋骨の後ろから入っていくのに、人間の場合は真下の中央から入っているのがわかる。
このおかげで、頭が前方に傾くとともに、体の重心の上に頭が位置することになった。つま先から頭までが一本の線でつながったのである。
足の親指の形から始まったにしては、じつに多くの変化である。だが、私たちにとっては幸運なことに、これらは見事に成し遂げられた。
それというのも、東アフリカの新たな環境、つまり開けた草原と林の世界は非常に危険であり、そこで生きるには直立二足歩行が非常に大きな強みとなるからである。 』
『 1924年、南アフリカ。石灰石の採石場で働く労働者達が、レイモンド・ダートに奇妙な頭蓋骨を渡した。ダートは自分でも気がつかないうちに、250万年前にさかのぼっておぼろげながら未来を見ていた。
彼の発見は、私たち祖先について新しい事実を教えてくれただけではない。なぜ私たちが外見も中身もほかの霊長類と大きく違ってしまったのかを知る重要な手がかりを与えてくれる。
ダートの頭蓋骨に人間そっくりな特徴がたくさんあったのは、その化石がまだ幼い子供のものだったからだ。おそらくは二、三歳のよちよち歩きの幼児である。
ダートはその化石に「タウング・チャイルド」と名前をつけた。頭蓋骨に穴が二カ所あいていたことから、ヒョウに襲われたか、もしかしたらタカにさらわれて餌食にされたと見られている。
だが、この子が生きのびて大人になっていたとしたら、人間とは似ても似つかぬ姿で死を迎えていただろう。成長するにつれてあごは大きくなって前につき出し、目の位置は上に上がって眉の部分の骨が隆起する。
では、250万年前の猿人の子供の方が、猿人の大人よりも外見が人間に近いのはどうしてだろうか。それは、人間の大人が類人猿の子供に似ているからだ。
子供どころか、胎児にまで似ている。なぜ似ているかと言えば、ある意味では私たちはまさしく「子供のサル」だからである。
ダウング・チャイルドが現代人に似ているのは、進化の過程で「ネオテニー(幼形成熟)」と呼ばれる奇妙な現象が起きたためだ。
そのせいで、私たちはほかの霊長類よりも発育の早い段階で生まれることになり、霊長類の幼い頃に見られる体や行動の特徴の多くを大人になってからももちつずけるようになった。
簡単に言えば、私たちはほかの霊長類より未熟な状態で生まれ、その状態を長く保っているのだ。なぜ未成熟で生まれるかと言えば、環境に適応するにはそのほうが有利だったからであり、もとをただせば足の親指のせいである。
この世に生まれてくるとき、人間ほど危険と隣りあわせで、人間ほど苦労する動物はいない。祖先が直立二足歩行を始めたために骨盤の形が変り、頭も大きくなった。
そのため、人間の赤ん坊は回転しながら産道を通っていかなければならない。はじめは母親の腹側を向いた状態にあるが、生まれる直前に回転して横向きになる。
その後、さらに90度回転し、母親の背中側を向いて生まれてくる。逆向きに回ってしまうと、産道の急カーブで赤ん坊の脊椎が後ろ側にねじれ、重い損傷を受けるおそれがある。
ルーシーの時代でさえ出産がかなり困難なものになっていたとしたら、あとに続く霊長類にとってははるかに大変だったにちがいない。その霊長類とは、ホモ・ハビリス。最初のホモ属(ヒト属)であり、知られているかぎりでは私たちの最初の直接の祖先である。
およそ200万年前、脳容積はルーシーの頃の倍になっていて、平均750cc。世界に生まれでる旅路はただでさえ狭く危険だったのに、この脳のおかげでさらに厳しい道のりとなった。
だが、産道をそれ以上広げるのは無理である。腰が大きくなりすぎると、直立二足歩行が物理的に成り立たなくなるからだ。だからといって、小さい脳に逆戻りする選択肢もない。まさに板ばさみである。
私たちの祖先は、進化の圧力によって身軽に動ける賢い動物になった。その同じ圧力が、出産を困難なものにしている。
このジレンマを解決できなければ、賢さを増す二足歩行のサルは絶滅するしかない。何かを妥協しなければ。そして、さいわい妥協点が見つかったのである。
母親の胎内で成長を続けているとき、霊長類の頭蓋骨はひとつながりの骨で作られるわけではない。複数の薄い骨が組みあわさってできていて、しかも継ぎ目は閉じない状態である。
人間の頭蓋は八個の骨でできている。どれも生まれたあとで時間をかけて癒合していき、最終的に脳を守る硬い頭蓋骨となる。生まれる前は完全につながっていないため頭蓋骨はしなやかで、産道が狭くても通りぬけれれるのだ。
ホモ・ハビリスは、骨盤を大きくしなくてもいいし、脳を小さくしなくてもいい、そのかわり、子供が未熟な状態で生まれてくるようになった。脳が大きくなればなるほど、もっと未熟な段階で生まれる必要が出てくる。
ネオテニーがこれほど極端に現われているのは、霊長類の中でも人間しかない。もし私たちがすべて完成した体で、肉体的に成熟して生まれてくるとしたら、妊娠期間は9ヵ月どころか21ヵ月にもなってしまう。私たちは丸一年分も未熟なのだ。
さまざまな事実を考えあわせると、人間の脳は外界からの適応を終えることがないと言ってよさそうだ。近年の研究からは、人間の脳の可塑性が並外れて高いのが確認されている。
人間の脳のうち、いちばん新しく進化した前頭前野という部分は、新しい経験に反応して回路を作りなおす作業を死ぬまで続けることもわかっている。
スティーヴン・ジェイ・グルードによれば、幼年期の特徴をこうして一生もちつづけるのは自然選択の圧力が強烈にかかった結果であり、そのおかげで人間の脳は生まれたあとも長いあいだ高い適応性を保っていられる。
科学者のジェイコブ・ブロノフスキーは、ネオテニーによる特徴を「長い幼年期」と呼んだ。人間は、すべての行動が遺伝子に絶対的に支配されるのではなく、臨機応変に対処することができる。
個人のレベルで見れば、ひとりひとりの経験に応じて自分の行動を変化させられるようになった。種のレベルで見れば、人類は好奇心旺盛で遊び心と創造性を失わず、じっとしていられない生物になった。
ネオテニーは、車輪や火にも引けをとらない進化の大発明といえる。私たちの祖先はすでに直立二足歩行を始め、知能を高めていた。それに加えて、脳が大きくても無事に生まれてこられるようになると、まったく新しい世界が開け、まったく新しい進化の力が動きだした。 』
『 自分の手を眺めてみてほしい。上に上げて。曲げて。反らせて。指人形をするみたいに動かして。じつにうまくできている。
五本の指と、14個の関節と、27個の骨がつながって、これほどおもしろくて役に立つ動きができるようになったのは進化の歴史のなかではじめてだ。
手首にはさいころのような骨が八個あり、縦横に張りめぐらされた靭帯によってつながっているので、手をひねれば180度回転させて裏返すことができる。
このおかげで、私たちには特殊な動作ができるようになった。たとえば、野球のバットを振る、コップに牛乳を注ぐ、ピアノでデューク・エリントンの曲を弾く、肖像画を描く、などだ。ほかの動物では、いくらやりたくてもとうてい無理である。
手の指の曲げ伸ばしする筋肉は、じつは指にはついてない。指はいわば遠隔操作で、操り人形の要領で動いている。はるか上の肩から始まった腱が、前腕の中部と手のひらで固定され、五本の指につながって、操り人形の紐のように指にダンスを躍らせる。
こうした構造になっているために、人間の手はじつに多種多様な動きができる。だが、私たちの手をとりわけ特別なものにしているのは、何と言っても第一指。つまり親指だ。
手の親指は素晴らしい特徴をいくつも備えている。そのひとつが親指の位置だ。ほかの霊長類と比べて、人間の手の親指には曲芸のような多彩な動きができる。チンパンジーの場合、人間のように手の親指を大きく回すことができない。
そのせいで、あらゆる親指がひそかに憧れている状態に完全にはなれずにいる。「完全には」と言ったのは、通説とは裏腹に、チンパンジーなどのサルの親指もほかの指と向かいあっているからだ。
何が違うかといえば、私たちの親指は手のひらの上を横切って小指や薬指にやすやすと触れることができる。
一見ごく単純な動きでありながら、これができるおかげで私たちの手は、ほかの動物とはまったく異なるやり方で握り、つかみ、回し、ひねり、巧みに物を扱い、物に触れることができる。
この能力があるからこそ、ハンマーや斧を手に取って使うことができるし、腕の力と打撃の威力がうまく伝わる場所を握れば、ただの棒きれを破壊的な武器に変えることもできる。
チンパンジーも、これ見よがしに棒を上下に振ることがないわけではない。だが、人間の場合は、前腕の軸に沿って棒を握り、高いところから振りおろして骨を砕く力を生みだす。チンパンジーの動作とはわけが違う。
たとえば米粒をつまむには、私たちが鍵やクレジットカードをもつときのように親指と人差し指の腹で挟む必要があるのだが、そんなに正確に親指と人差し指を動かすのはチンパンジーにとって至難の業である。
人間と違って、それができるような筋肉や神経の構造になっていないからだ。私たちが同じ米粒を拾いあげるなら、親指の指先を使い、親指と人差し指で輪を作って、丁寧につまむことができる。
ちょうど、「オーケー、完璧」と合図するときの手振りと同じだ。こういった動きができるのは、私たちの親指に特殊な腱が発達しているからだ。
そのうちのひとつは親指の関節から始まって長母指屈筋につながり、延々肩まで続いている。これがほかの三つの筋肉と一緒に働いて、押したり潰したりといった動作はもちろん、手を広げて親指を手のひらから横に離したりすることができる。
これらの動きは、ジョイスティックを操作したり、キーボードを打ったり、携帯電話のボタンをおしたりするときに便利だ。だが、それだけではない。
棒や石を握ったり取りあつかったりするうえでも非常に役立つ。二百数十万年前、私たちの祖先はそうした自然の芸術品を利用して、斧、槍、小さなナイフといった最初の道具を作ったのである。
人間の手と五本の指が並外れているのは、いろいろな形にすばやく動かせる点だけではない。手の感受性がきわめて高いこともそうだ。指の皮膚一平方メートルあたりには、「マイスナー小体」が約一四〇〇個も詰まっている。
マイスナー小体は卵形の突起で、表皮のすぐ下に並んでいる。ひとつひとつの突起のなかに、コイル状に巻いた神経の末端が収まっていて、私たちが何かに触れるたびにそれを感知し、信号を送って脳に処理させている。
同じ種類の神経は、手以外にも体の特に敏感な場所に配置されている。舌、足の裏、乳首、ペニス、クリトリスなど、性感帯にはすべてだ。この神経は、非常にきめ細かい感覚情報を集めるのに適している。
かって十九世紀スコットランドの解剖学者、チャールズ・ベル卿は、私たちの手は「じつに力強く、じつに自由であり、それでいてじつに繊細」だと述べたが、それはまさにこの神経のおかげである。
器用さと敏感さのふたつが組み合わさらなければ、ミケランジェロは「モーゼ像」の顔を彫ることはできなかっただろうし、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を描くこともなかった。
ホロヴィッツは、子供向けに編曲されたピアノ協奏曲「皇帝」を弾くことさえできなかったにちがいない。
ここに、一見わかりにくいが重要なポイントがある。私たちの手と親指は、じつに器用にさまざまな仕事をこなすことができる。いわば、人間らしい要だ。
手と親指の進化は、文字どおり私たちの心を変えた。手と親指のおかげで私たちは外界を巧みに操作できるようになり、そうやって物体を操作することが結果的に私たちの心を形作ったのである。
この点にヒントを得て、小説家ロバートソン・デイヴィスは著書「もって生まれた性分」のなかでこう書いた。「脳が手に話しかけるように、手も間違いなく脳に話しかけている」。
創造性、記憶、感情、そして何より、言語のための脳回路が存在するのは、まず手の親指が進化したからである。
親指は、私たちと外界との物理的な会話を指揮し、その過程で脳に神経回路が作られ、それが土台となって人間特有の心が生まれた。
手の親指はそれほどの影響力をもっている。手の親指がなかったら、私たちは人間ではなくほかの何かになっていただろう。 』
『 2300年以上前の古代ギリシアでは、偉大な雄弁家たちが長い演説や長い詩を覚える時、じつに独創的な記憶術を用いていた。彼らが「トポス」と呼ぶ「場所法」である。当時、記憶術はなくてはならないものだった。
まだ紙とペンがめったに手に入らない時代のこと。考えや文言を書き留めるのはそう簡単ではない。デモステネスやキケロといった雄弁家は聴衆を魅了し、論敵を打ちのめしながらときに何時間も演説したが、話の流れを追うのに利用したのは「場所」のみだった。
どうやるかと言うと、まず自分がよく知っている物理的な空間をイメージする。たとえば、自分の家に入ってなかを歩いていくところを思いうかべるとしよう。
玄関ポーチがあり、ドアがあり、廊下があって居間がある。あなたが覚えたいのは買い物リストの品物だ。そうしたら、自分が家に入っていく光景をイメージしながら、買うものの名前をそれぞれの場所に結びつけていく。ポーチの上に置かれた牛乳、ドアについたリンゴ、廊下の上にパン、といった具合に。
個々の品物を、心のなかの具体的な場所とすべて結びつけてしまえば、あとは想像の家のなかをもう一度歩いてみるだけでいい。思いだす手がかりとなるものが順番に待っていてくれる。
演説を覚える場合はもう少しややこやしいものの、基本的な考え方は同じだ。覚えたい項目を、自分のよく知っている物理的空間に結びつけるのである。
概念をただ並べて丸暗記するより、こうして視覚的なイメージを利用するほうが覚えやすい。なぜそうなのかは一見わかりにくいが、とにかくうまくいく。なぜうまくいくかと言えば、もともと私たちの脳は物理的な世界のなかで位置を把握できるように進化したからである。
抽象的な思考を扱いはじめるのはずっと後のことだ。私たちは三次元の世界に生きている。その世界の中で、私たちは前に進み、後ろに下がり、左右に動き、上がったり下がったりする。
私たちの脳のいちばん基本的なレベルでは、こうした物理的な視点で世界とかかわっている。単細胞の細菌や、ごく小さな魚でさえ、世界をそうやって「理解」している。そうでなければ身動きひとつできない。
捕食動物から逃げることもできなければ、食料を嗅ぎつけて追うことすらできない。生きていくには空間を理解して、そのなかを動くことが必要だ。
高尚で複雑な能力、たとえば言語、哲学、戦略、内省、発明、創造性などを支えているのは思考である。その思考は物理的な世界と結びついていないのではないかと、私たちはそう思いがちだ。
しかし、脳が物理的空間を把握するのに秀でるようになったことは、私たちの物の考え方にも大きな影響を与えていてそれを裏付ける証拠もたくさんある。たしかに私たちの精神生活は形のない概念に満ちあふれている。
たとえば、重要性、類似、困難、欲望、親密、野心などだ。だが、それについて考えるときには非常に具体的な言葉を用いていると、言語学者のジョージ・レイコフと哲学者のマーク・ジョンソンは指摘する。
私たちは人の言わんとするところを「見てとれる」。真実を「つかむ」。うまく理解できないことは頭から「こぼれる」。人と「衝突」し、恋に「落ち」、アイデアを「練る」。
プレッシャーを受けると「押しつぶされ」そうな気持になり、素晴らしい人がいれば「仰ぎ」みる。距離や長さで感情を表したりもする。たとえば、友人を「身近」に感じ、腹を立てているときは人から「距離」を置き、気分が「浮き」「沈み」する。
重要な物事は「大きな」問題だと考え、映画や本がつまらなければ「最低」だという。時間のような抽象的なものまで、物理的な言葉で考えたり言いあらわしたりする。過去は「後ろに」過ぎ去り、未来は「前途に」横たわる。
こういう比喩はどんな国の言語にも見られ、あらゆる人の考えの中に頻繁に顔をだす。こうした表現は、早くも乳幼児の頃から人間の脳に刻まれる。ジョンソンはそのプロセスを「融合」と呼んだ。
たとえば、赤ん坊が愛情を感じるとき、物理的に体を抱かれて温かさと安心感も感じているのが普通だ。そこで彼らはそのふたつの経験を「融合」させる。物理的に誰かの近くにいることが、その近さからくる安心感と同義になる。
別の研究によると、私たちがたとえば「落ちる」という単語を思いうかべたとき、そこからの連想で恐怖や失敗といった感覚を覚える。そのふたつが脳のシナプスのレベルで結び付けられているからだ。
だとすれば、私たちが「温かい微笑み」とか「近しい友人」と言うとき、概念の上だけでなく神経のうえでもふたつはつながっていることになる。
何かを記憶するときに、家のなかを歩くなどの体を使った活動と結びつけると覚えやすいのは、たぶんそのせいだろう。だが話はそれだけではない。
手が進化したために、なかでも完全な対向性のある親指が進化したために、私たちの脳は物理的な世界をよりいっそう正確に知覚できるようになった。
親指のおかげで、環境から与えられるものにただ受け身で反応するだけではなくなったからだ。今や自らの意志で環境をつかみ、操作できる。
それまでどんな動物もできなかったやりかたで。このことは、人類の進化におけるふたつの重要な出来事を結びつけていく。そのふたつとは、道具作りと言語だ。 』
後半の言語にかんする部分は、81.に分割しました。(第54回)
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