犬神スケキヨ~さざれ石

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祖国を取り戻す!

2015-03-03 21:16:01 | 連続
その2

この国のそもそも

我々は当たり前の様に敗戦後受けた教育を信じてきました。
「戦前の日本人は酷い事をした」
「好きにモノも言えない時代」
「軍国主義」
当たり前に、全く当たり前に受け入れて来ました。わずか70年前の我々の先達の方々です。
そんな酷い日本人だったのですか?
あなたのおじいさんやおばあさんの生きた時代です。我々の祖父母は酷い、鬼畜の所業を平気で出来る人間だったのでしょうか?
そう教えられ信じてしまっていました。
現在の我々は鬼畜の末裔だから、例えば支那や朝鮮の主張を受け入れ謝り続けなければならないのでしょうか?

感じましょう

自分の祖父母を思い出してください。
あなたのおじいさんの手は残虐な事をして血に塗れていますか?
おばあさんはどうですか?
あなたに優しく接してくれたはずです。

頭で考えなくてもそんな人間ではないと肌で感じますね?

ならば敗戦後の日本に疑問を持ちます。
我々の祖父母が過ごして来た時代、この祖父母達がいて何故そんな話しになるのか?
おかしいですね。

大変な時代を過ごし敗戦後の焼け野原から一心不乱に働きこの国を世界有数の経済大国へと成長させて来た、この人達は罪滅ぼしに働いてきた訳ではありません。

オリジナルを求める

では、日本が軍国主義でも残虐なる民族でもないならばこの国は一体何でしょうか?
敗戦後に受けた教育、敗戦後信じて来た民主主義とは何でしょうか?

戦前を、更にまだ古を見るとこの国は2675年一皇で続く世界にも稀な国です。
勿論、神話や民話の部分もあります。
しかし、その神話や民話が重要なのです。それこそがこの国の根幹、民族性を形成しているからです。
例えば、先日イギリスよりウィリアム王子が日本へお越しになりました。
イギリス王室も実に歴史もありイギリス国民の象徴であり、イギリス国民からも愛されています。しかし、王は極論を申すならば誰でもなれるのです。

現在の王族を滅亡させ新たな王族を作れば新しくなってしまいます。
世界はむしろこの王朝の交代を繰り返しています。イギリスやタイ、ブータン等は実は稀な国でもあります。

ロシアやフランスは革命により王朝はなくなり、ロシアは共産主義へフランスもリベラル国家へと変わりました。
支那では歴史的に見ても何回も王朝の交代を繰り返し現在の支那に至るのです。
南朝鮮などは現在、大統領の交代こそが王朝の交代です。だから、大統領が交代する度に前政権を否定します。ですから、前大統領は逮捕されたり或いは追い詰められて自殺する者まで出てくるわけです。

日本の天皇陛下は誰でもがなれる訳ではありません。男系男子、つまり天皇の血を引く男子のみが天皇陛下に即位します。
男系男子のみですから男子を辿れば必ず天皇へ繋がるのです。
それを神話を含めて2675年125代続けて来たのです。そんな国は日本だけです。
何故そんなに続ける事が出来たのでしょうか?
侍が政をしていた時代もあったのです。
しかし、侍が事実上日本のトップにいた時代でも天皇陛下及び皇族を亡き者にしようとはしませんでした。
つまり殺されたりしなかったから現在も天皇陛下の血脈が続いているのです。

それはあなたが大事

天皇陛下が侍の世であっても滅亡されたりしなかったのは、それは天皇陛下が我々民衆と共にあったからです。
我々の心の拠り所だからです。

また天皇陛下の生き方がそうだからです。

天皇陛下の生き方とは民の為、民に寄り添うという生き方です。
それは「民のかまど」という話しにもあります。これは仁徳天皇の話しで有名な話しでもありますから皆さんも御存知ですね?

ある日仁徳天皇はふと御所から町を見ると飯時であるにも関わらずカマドから煙が上がっていない事にお気づきになります。
「これは民は食べる物がなく、だからカマドから煙が上がっていないんだな」とお気づきになられ年貢を摂ることを辞め、御所の修繕も辞め自らも質素倹約に勤められました。
やがてまた民達のカマドから煙が上がっているのを見て年貢を始め御所の修繕もされた。
と、いう話しです。

これは天皇陛下という生き方は「あなたが大事、民こそが大事」という一つの話しです。
そして我々はその天皇陛下のたから"おおみたから"なのです。
民の為に、あなたの為に生きる、その生き方をなさる天皇陛下を滅ぼそうとは誰も考えない。
だからこそ京都にある御所には堀も砦もない。
何も守るものはなく、塀は低過ぎて少し高いところに上がれば中は丸見えです。
誰もこの民の為に生きる方を殺そうとは考えないからです。

大晦日の夜、天皇陛下は冷水を浴び身を清め正月の祭祀を行います。
年が明け新しい一年を迎えるに辺りその年に起こる厄災の全てがその御身に一切を受けて民に厄災が降りかからないように。
民が一年幸せで豊作であるように祈ります。
ですから激甚災害が起きたなら被災地へ向かわれるのです。
それは民に厄災が降り掛かってしまったからです。我が祭祀が至らずに国民に厄災が降り掛かってしまったという思いがあるからです。

次回へ続く…