その3
前回は天皇陛下の御心を少し話しました。
では、その天皇陛下のおおみたから天皇陛下の臣民である我々日本人とは本来如何なるものか?
日本人の本来の生き方とは何でしょう?
特攻隊
一体我々日本人はどういう生き方をして来たのでしょうか?
小説「永遠の0」で再度注目された神風特別攻撃隊。いわゆる特攻隊を少し考えてみます。
もう皆さん良く御存知の特攻隊ですが、今だに腐れ新聞社朝日新聞は特攻隊と自爆テロを同列に論じています。
つい最近もその様な記事を掲載していました。
自爆テロと特攻隊が同じな訳はありません。
自爆テロは無辜の市民を狙います。それは無差別に狙います。
しかし、特攻隊は戦闘員だけを標的にします。
当たり前です、当時もしっかり国際条約があり非戦闘員を狙ってはいけないからです。
特攻とは搭乗員の命と引き換えに爆弾を抱えた戦闘機や潜水艦による体当たり攻撃です。
搭乗員は当然生きて帰る事はありません。
そもそも、この様な無謀な攻撃をしなければならない状況や特攻なる攻撃には自分自身反対です。体当たり攻撃をする為だけに出撃し搭乗員を失う事は次の戦いにも影響し結果的に、更に戦況を悪化させてしまいます。
しかし、当時の日本にはコレしかなかったのです。選択肢がなかったのです。
敗戦国の末路を日本は知っていました。
それまでの白人社会によるアジアやアフリカ、中東や南米の支配。
白人以外は人にあらずとしてきた国際社会がどういうのか?一旦支配下になればどういう弾圧を受けるのか?
それまでの白人支配を見て来た日本は知っていました。
人として扱われず、自国の女子は白人に凌辱され。優秀な若者は手首を切り落とされたり、命を絶たれたり。或いは奴隷として売り買いされる。更に搾取され国は疲弊し国体を成さない。
だから何があっても負ける訳にはいかなかったのです。
知っていたから
それでも特攻が盛んになれば皆一様に敗戦濃厚と解っていました。
「この戦いは負ける」皆口には出しませんが肌で敗戦すると感じていました。
それは"特攻"と言う攻撃手段しかなくなっていたからです。もうジリ貧の最後の最後の手段しかなくなっていたからです。
そして出撃すれば死ぬ!必ず死ぬ!もう二度と生み育ててくれた祖国の地を踏めず。
愛してくれた両親にも逢えず。
まだ幼い我が子や愛する妻にも逢えず。
自分の存在がそこで終わる。
その年齢はまだ二十歳にも満たない若者たちであったり、やっと二十歳を迎えた者。
まだ新婚であったり、許婚を祖国に残して来た若者たちです。
そんな若者たちでも日本の敗戦を悟っていました。それでも命と引き換えに特攻へ行くのです。何故死に向ったのでしょうか?
それは敗戦を悟っていたからです。
丸で話しが矛盾する様な気がします、しかし違うのです。負けを悟ったからこそこの特別攻撃に賭けたのです。
「やれるだけの事をやる!」「死力を尽くし余力を残さない!」ということです。
つまりやすやすと負け国を侵されれば白人に凌辱されてしまうからです。
例え負けようと死力を尽くしたならば国際社会に一矢報い、日本を侵そうとする国際的野心を挫き死力を尽くし負けたなら後世それを糧にまた国を勃興する事が出来ると考えたからです。
その思惑は正に後世我々に真っ直ぐ繋がるものです。そして散華された御英霊のお気持ちは、実は国際社会に響き渡りました。
この特攻隊は世界中で崇高なる愛国心と忠誠心の現れだ!と評価されて更に現在も世界中を恐怖させているのです。
死ぬ覚悟の出来た人間と戦って勝てるはずはありません。殺しても殺しても諦めず、更に死にに来る日本の兵隊を世界中は今だに恐れているのです。だからアメリカは戦後政策で日本人の根幹を削ぐ政策を実施し、支那朝鮮は何をしても精神も技術も何も勝てないからこそ日本を貶める工作をするのです。
遺書
特攻隊員の方々は出撃にあたり遺書を残されています。知覧の博物館にも展示されたりしていますね。
その遺書には出撃に辺り潔く散り護国の柱となる事への喜びが書かれています。
それを読めば丸で死ぬことに喜びを感じているとか、或いは無理矢理書かされたとか…
はっきり言って嘆かわしい事ばかり。
この遺書の、文章の行間にある想いを感じ自分が出撃するんだと感じて欲しいですね。
例えば死ぬこと、今から自分が死ぬにも関わらずそれを受け入れ自分が愛する者を守る為に散華するのだ!と言う境地に達すること。
それが未だ二十歳にも満たない二十歳そこそこの若者たちなのです。
しかし、そこへ至るまでの心境を手紙にしたためたならばそれを読む者はどう感じるでしょうか?
手塩にかけて育てた息子が今から死ぬのです。
その手紙に苦しいとか無念であると書いてあったならば、其れを読むご両親はその後どう生きて行けばよいのでしょうか?
死に向って行く若者達はその手紙を読む人の心中やその後の人生まで考え、そして後世の日本人の事を考えていたのです。
自己を棄てる
フランス人文学者モーリス・パンゲは『自死の日本史』という本の中で特攻隊の思いを分析しています。
「それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的結論ではなかっただろうか。それを狂信と人は言う。しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した何ものにも曇らされる事のない明晰な結論というべきものではないだろうか」
「強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、という様な理由付けを我々は行なった。しかし実際には無と同じ程に透明であるが故に人の眼には見えない、水晶の如き自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心を引き裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。彼らに相応しい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本の為に死んだ」
誰のことですか
「政府の陳述によれば、 米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、 戦うもまた亡国であるかも知れぬ。 だが、戦わずしての亡国は、 魂を喪失する民族永遠の亡国である。 たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、 われらの児孫はこの精神を受け継いで、必ず再起三起するであろう。」
日本海軍永野修身大将
"われらの児孫"とは後世現在の我々日本人です。
次回に続く…
前回は天皇陛下の御心を少し話しました。
では、その天皇陛下のおおみたから天皇陛下の臣民である我々日本人とは本来如何なるものか?
日本人の本来の生き方とは何でしょう?
特攻隊
一体我々日本人はどういう生き方をして来たのでしょうか?
小説「永遠の0」で再度注目された神風特別攻撃隊。いわゆる特攻隊を少し考えてみます。
もう皆さん良く御存知の特攻隊ですが、今だに腐れ新聞社朝日新聞は特攻隊と自爆テロを同列に論じています。
つい最近もその様な記事を掲載していました。
自爆テロと特攻隊が同じな訳はありません。
自爆テロは無辜の市民を狙います。それは無差別に狙います。
しかし、特攻隊は戦闘員だけを標的にします。
当たり前です、当時もしっかり国際条約があり非戦闘員を狙ってはいけないからです。
特攻とは搭乗員の命と引き換えに爆弾を抱えた戦闘機や潜水艦による体当たり攻撃です。
搭乗員は当然生きて帰る事はありません。
そもそも、この様な無謀な攻撃をしなければならない状況や特攻なる攻撃には自分自身反対です。体当たり攻撃をする為だけに出撃し搭乗員を失う事は次の戦いにも影響し結果的に、更に戦況を悪化させてしまいます。
しかし、当時の日本にはコレしかなかったのです。選択肢がなかったのです。
敗戦国の末路を日本は知っていました。
それまでの白人社会によるアジアやアフリカ、中東や南米の支配。
白人以外は人にあらずとしてきた国際社会がどういうのか?一旦支配下になればどういう弾圧を受けるのか?
それまでの白人支配を見て来た日本は知っていました。
人として扱われず、自国の女子は白人に凌辱され。優秀な若者は手首を切り落とされたり、命を絶たれたり。或いは奴隷として売り買いされる。更に搾取され国は疲弊し国体を成さない。
だから何があっても負ける訳にはいかなかったのです。
知っていたから
それでも特攻が盛んになれば皆一様に敗戦濃厚と解っていました。
「この戦いは負ける」皆口には出しませんが肌で敗戦すると感じていました。
それは"特攻"と言う攻撃手段しかなくなっていたからです。もうジリ貧の最後の最後の手段しかなくなっていたからです。
そして出撃すれば死ぬ!必ず死ぬ!もう二度と生み育ててくれた祖国の地を踏めず。
愛してくれた両親にも逢えず。
まだ幼い我が子や愛する妻にも逢えず。
自分の存在がそこで終わる。
その年齢はまだ二十歳にも満たない若者たちであったり、やっと二十歳を迎えた者。
まだ新婚であったり、許婚を祖国に残して来た若者たちです。
そんな若者たちでも日本の敗戦を悟っていました。それでも命と引き換えに特攻へ行くのです。何故死に向ったのでしょうか?
それは敗戦を悟っていたからです。
丸で話しが矛盾する様な気がします、しかし違うのです。負けを悟ったからこそこの特別攻撃に賭けたのです。
「やれるだけの事をやる!」「死力を尽くし余力を残さない!」ということです。
つまりやすやすと負け国を侵されれば白人に凌辱されてしまうからです。
例え負けようと死力を尽くしたならば国際社会に一矢報い、日本を侵そうとする国際的野心を挫き死力を尽くし負けたなら後世それを糧にまた国を勃興する事が出来ると考えたからです。
その思惑は正に後世我々に真っ直ぐ繋がるものです。そして散華された御英霊のお気持ちは、実は国際社会に響き渡りました。
この特攻隊は世界中で崇高なる愛国心と忠誠心の現れだ!と評価されて更に現在も世界中を恐怖させているのです。
死ぬ覚悟の出来た人間と戦って勝てるはずはありません。殺しても殺しても諦めず、更に死にに来る日本の兵隊を世界中は今だに恐れているのです。だからアメリカは戦後政策で日本人の根幹を削ぐ政策を実施し、支那朝鮮は何をしても精神も技術も何も勝てないからこそ日本を貶める工作をするのです。
遺書
特攻隊員の方々は出撃にあたり遺書を残されています。知覧の博物館にも展示されたりしていますね。
その遺書には出撃に辺り潔く散り護国の柱となる事への喜びが書かれています。
それを読めば丸で死ぬことに喜びを感じているとか、或いは無理矢理書かされたとか…
はっきり言って嘆かわしい事ばかり。
この遺書の、文章の行間にある想いを感じ自分が出撃するんだと感じて欲しいですね。
例えば死ぬこと、今から自分が死ぬにも関わらずそれを受け入れ自分が愛する者を守る為に散華するのだ!と言う境地に達すること。
それが未だ二十歳にも満たない二十歳そこそこの若者たちなのです。
しかし、そこへ至るまでの心境を手紙にしたためたならばそれを読む者はどう感じるでしょうか?
手塩にかけて育てた息子が今から死ぬのです。
その手紙に苦しいとか無念であると書いてあったならば、其れを読むご両親はその後どう生きて行けばよいのでしょうか?
死に向って行く若者達はその手紙を読む人の心中やその後の人生まで考え、そして後世の日本人の事を考えていたのです。
自己を棄てる
フランス人文学者モーリス・パンゲは『自死の日本史』という本の中で特攻隊の思いを分析しています。
「それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的結論ではなかっただろうか。それを狂信と人は言う。しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した何ものにも曇らされる事のない明晰な結論というべきものではないだろうか」
「強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、という様な理由付けを我々は行なった。しかし実際には無と同じ程に透明であるが故に人の眼には見えない、水晶の如き自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心を引き裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。彼らに相応しい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本の為に死んだ」
誰のことですか
「政府の陳述によれば、 米国の主張に屈すれば亡国は必至とのことだが、 戦うもまた亡国であるかも知れぬ。 だが、戦わずしての亡国は、 魂を喪失する民族永遠の亡国である。 たとえいったん亡国となるも、最後の一兵まで戦い抜けば、 われらの児孫はこの精神を受け継いで、必ず再起三起するであろう。」
日本海軍永野修身大将
"われらの児孫"とは後世現在の我々日本人です。
次回に続く…