今年は皆様御承知の通りに
『敗戦後70年』です。
ここで敢えて申しておきたい事は、多くの日本国民やマスコミの表現です。
先の大戦後をこの国では「戦後」と言ってきました。この戦後と言う言葉すらまやかしです。
戦後と言う言葉を使う事で先の悲惨極まりない戦争をうやむやにしてしまっています。
我々日本国は70年前にこれ以上ない程に無残な負けを喫しました。
無辜の民を死に至らしめ、国土は焦土と化し。
志ある若者を多数失くしました。
その後の国は理念を無くし、国の根幹を他人の価値観に委ねることになってしまいました。
これは戦争に負けたからです。
戦争に負けた国は悲惨な末路を迎えるのです。
幸いに日本は植民地支配という道を辛うじて避けることは出来ました。
しかし本来の日本、シラスの国としての理念、更に他者を生かし己を生かすと言うオリジナルの民主主義すら薄れてしまいました。
戦争に負けたからです。戦争に負ければ本来の理念や目的を捻じ曲げられるのです。
ですから、「戦後」等と言う言葉で誤魔化してはいけないのです。
『敗戦後』とハッキリ言う事が重要です。
前文から間違えるとは…
現在の憲法は御承知の通りアメ公様から頂いたもので我が国の理念はありません。
英語の原文をどうにか翻訳しつつアメ公様のご機嫌を損なわぬ様に日本に合わせた憲法です。
こんなアホな憲法を有り難がるのはこの国だけです。必ず改正しなければなりません。
そもそも国際条約違反でもあります。
勝った国が負けた国の法律を勝手に変えてはいけないとなっているのですからね。
何故そうなるのかと言えば戦争に負けたからです。何回考え込もうと原因は敗戦です。
更に日本は初めての敗戦だったからです。
世界は、例えばアメリカだって勝ったり負けたり負けたり負けたり…
日本はそれまで負けた事がありませんでした。
そして負けた事がない!と言う事が現在の日本の悲劇でもある訳です。
負けた事がないので負けた時にどうすれば良いのか?を知りません。
知らないので敗戦国の振る舞いが出来ませんでした。
親日国でもあるフィンランドは先の大戦では日本と同じ枢軸国でした。
旧ソ連にそれはボコボコにやられ負けました。
しかし、負けた経験はそれ以前にもありソ連には何回も侵略されていました。
だから敗戦後、日本の様な国際裁判などは受けずに自分達でサッサと時の指導者を敗戦の罪で裁き敗戦後処理を済ませてしまいました。
戦争というものは負けた時にどう振る舞うのかが重要で、その後の国の体や理念が決まるのです。
戦争はない方が良い。当たり前です。
しかし、最大限努力しても避ける事が出来ないならば絶対に負けてはならないのです。
負けたならば国の根幹、つまり根っこを引き千切られるのです。
そして万が一負けたならばどうするか?も、しっかりと考えておかねばならないのです。
それが出来ないと根幹である憲法を、憲法前文すらおかしな事になるのです。
信用出来ないだけではなく
そして憲法前文で一番のトンデモ部分は…
『…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した』
なんじゃコリャー!です。
素直に読めば、諸国民に自分達の安全安心や生存を任せた!となります。
だいたい平和を願うのは世界共通です。しかしその平和を願う諸国民とはどこの国ですか?
その誰かもわからない公正と信義を信頼するのです。
全く国の理念などありません。
それどころか国の根幹を他者に任せるという事です。
100歩譲って隣の国を信頼したとして、しかしその隣の国に我々の生き死にまで決めてもらうのでしょうか?
あなたがあなたの家の隣のオッサンに我が家の生き死にを決めてもらいますか?
自分は自分のことは自分で決めます。
それが"自由"の根幹だからです。
これは以前に話しましたね。良ければ過去記事を読んで見て下さい。
だいたい人に委ねるなんて、自主独立国の権利を放棄した様な話しです。
こんな憲法は憲法の体を成しません。
隣の諸国民はこの国を貶め蝕もうとしています。そんな諸国民を信用するのでしょうか?
もし信用出来る!と言う人が居るならば、然るべき医療を受ける事を勧めます。
例えばあの野心むき出しに領土拡大を力でやろうとするアホの支那や、我々同胞を拉致して身代金を要求するテロ国家北朝鮮も諸国民です。
もっと深く
「北朝鮮なんか信用出来ない」からこの憲法前文はおかしい!と、なります。
しかし話しはそんな単純な事ではありません。
一番の問題はそれぞれが理念や正義、自尊心が違うと言うことです。
言い換えるなら、それぞれの国が自分達の理念と正義と自尊心で生きているのです。
これは、チベットやウイグルを侵略し領土的野心剥き出しに覇権主義に走る支那を我々日本から見るととんでもない話しです。
しかし、支那はこれが正しいと思っているのです。それが正義であると本気で思っています。
我々同胞を拉致した北朝鮮も、日本国民を拉致する事が正義だ!と本気で思っています。
アホの南朝鮮も日本に収奪され弾圧された!だから日本を貶めゴネて金を巻き上げる。
自分達に無い物は持っているヤツから奪えば良い。人を殺しても良いと本気で思っています。
アメリカだって、アメリカ自身の公正と信義に則り中東や或いはそれ以前の戦争をしています。
諸国民を信用する以前の話しです。
この様に、様々に国々で理念や正義や自尊心が違うのです。
諸国民を信頼する以前の話しなのです。
それぞれに違う公正と信義を重んずる諸国民に我々の国の"振る舞い"を任せるなんて出来ません。
それぞれに公正と信義が違い、我々の振る舞いを任せられないから我々は我々の公正と信義を貫かねばならないのです。
それが世界の常識であって、それが普通の国なのです。
その様々に違う公正と信義を辛うじて最低限合わせて余計なモメ事を無くそう!と言うのが国際法であり国連憲章なのです。
国の根幹をそれぞれに違う理念の国々に任せてはいられない!
だからこそ憲法を改正する!
これが憲法改正の理由であり理念です。
『敗戦後70年』です。
ここで敢えて申しておきたい事は、多くの日本国民やマスコミの表現です。
先の大戦後をこの国では「戦後」と言ってきました。この戦後と言う言葉すらまやかしです。
戦後と言う言葉を使う事で先の悲惨極まりない戦争をうやむやにしてしまっています。
我々日本国は70年前にこれ以上ない程に無残な負けを喫しました。
無辜の民を死に至らしめ、国土は焦土と化し。
志ある若者を多数失くしました。
その後の国は理念を無くし、国の根幹を他人の価値観に委ねることになってしまいました。
これは戦争に負けたからです。
戦争に負けた国は悲惨な末路を迎えるのです。
幸いに日本は植民地支配という道を辛うじて避けることは出来ました。
しかし本来の日本、シラスの国としての理念、更に他者を生かし己を生かすと言うオリジナルの民主主義すら薄れてしまいました。
戦争に負けたからです。戦争に負ければ本来の理念や目的を捻じ曲げられるのです。
ですから、「戦後」等と言う言葉で誤魔化してはいけないのです。
『敗戦後』とハッキリ言う事が重要です。
前文から間違えるとは…
現在の憲法は御承知の通りアメ公様から頂いたもので我が国の理念はありません。
英語の原文をどうにか翻訳しつつアメ公様のご機嫌を損なわぬ様に日本に合わせた憲法です。
こんなアホな憲法を有り難がるのはこの国だけです。必ず改正しなければなりません。
そもそも国際条約違反でもあります。
勝った国が負けた国の法律を勝手に変えてはいけないとなっているのですからね。
何故そうなるのかと言えば戦争に負けたからです。何回考え込もうと原因は敗戦です。
更に日本は初めての敗戦だったからです。
世界は、例えばアメリカだって勝ったり負けたり負けたり負けたり…
日本はそれまで負けた事がありませんでした。
そして負けた事がない!と言う事が現在の日本の悲劇でもある訳です。
負けた事がないので負けた時にどうすれば良いのか?を知りません。
知らないので敗戦国の振る舞いが出来ませんでした。
親日国でもあるフィンランドは先の大戦では日本と同じ枢軸国でした。
旧ソ連にそれはボコボコにやられ負けました。
しかし、負けた経験はそれ以前にもありソ連には何回も侵略されていました。
だから敗戦後、日本の様な国際裁判などは受けずに自分達でサッサと時の指導者を敗戦の罪で裁き敗戦後処理を済ませてしまいました。
戦争というものは負けた時にどう振る舞うのかが重要で、その後の国の体や理念が決まるのです。
戦争はない方が良い。当たり前です。
しかし、最大限努力しても避ける事が出来ないならば絶対に負けてはならないのです。
負けたならば国の根幹、つまり根っこを引き千切られるのです。
そして万が一負けたならばどうするか?も、しっかりと考えておかねばならないのです。
それが出来ないと根幹である憲法を、憲法前文すらおかしな事になるのです。
信用出来ないだけではなく
そして憲法前文で一番のトンデモ部分は…
『…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した』
なんじゃコリャー!です。
素直に読めば、諸国民に自分達の安全安心や生存を任せた!となります。
だいたい平和を願うのは世界共通です。しかしその平和を願う諸国民とはどこの国ですか?
その誰かもわからない公正と信義を信頼するのです。
全く国の理念などありません。
それどころか国の根幹を他者に任せるという事です。
100歩譲って隣の国を信頼したとして、しかしその隣の国に我々の生き死にまで決めてもらうのでしょうか?
あなたがあなたの家の隣のオッサンに我が家の生き死にを決めてもらいますか?
自分は自分のことは自分で決めます。
それが"自由"の根幹だからです。
これは以前に話しましたね。良ければ過去記事を読んで見て下さい。
だいたい人に委ねるなんて、自主独立国の権利を放棄した様な話しです。
こんな憲法は憲法の体を成しません。
隣の諸国民はこの国を貶め蝕もうとしています。そんな諸国民を信用するのでしょうか?
もし信用出来る!と言う人が居るならば、然るべき医療を受ける事を勧めます。
例えばあの野心むき出しに領土拡大を力でやろうとするアホの支那や、我々同胞を拉致して身代金を要求するテロ国家北朝鮮も諸国民です。
もっと深く
「北朝鮮なんか信用出来ない」からこの憲法前文はおかしい!と、なります。
しかし話しはそんな単純な事ではありません。
一番の問題はそれぞれが理念や正義、自尊心が違うと言うことです。
言い換えるなら、それぞれの国が自分達の理念と正義と自尊心で生きているのです。
これは、チベットやウイグルを侵略し領土的野心剥き出しに覇権主義に走る支那を我々日本から見るととんでもない話しです。
しかし、支那はこれが正しいと思っているのです。それが正義であると本気で思っています。
我々同胞を拉致した北朝鮮も、日本国民を拉致する事が正義だ!と本気で思っています。
アホの南朝鮮も日本に収奪され弾圧された!だから日本を貶めゴネて金を巻き上げる。
自分達に無い物は持っているヤツから奪えば良い。人を殺しても良いと本気で思っています。
アメリカだって、アメリカ自身の公正と信義に則り中東や或いはそれ以前の戦争をしています。
諸国民を信用する以前の話しです。
この様に、様々に国々で理念や正義や自尊心が違うのです。
諸国民を信頼する以前の話しなのです。
それぞれに違う公正と信義を重んずる諸国民に我々の国の"振る舞い"を任せるなんて出来ません。
それぞれに公正と信義が違い、我々の振る舞いを任せられないから我々は我々の公正と信義を貫かねばならないのです。
それが世界の常識であって、それが普通の国なのです。
その様々に違う公正と信義を辛うじて最低限合わせて余計なモメ事を無くそう!と言うのが国際法であり国連憲章なのです。
国の根幹をそれぞれに違う理念の国々に任せてはいられない!
だからこそ憲法を改正する!
これが憲法改正の理由であり理念です。