犬神スケキヨ~さざれ石

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大日本帝国の国家戦略~1

2016-01-11 15:52:04 | 大日本帝国
大日本帝国は壮大な国家プロジェクト。

これは間違いない。

迫り来る欧米の侵攻を食い止める為の壮大な国家戦略であった事は間違いない。

その国家プロジェクトを知る事は今生きる我々と我々の歩むべき道、後世に伝え残すべき祖国を考える事になると思いますます。

迫り来る列強

戦前の日本。

「大日本帝国」には明確な命題があった。
それを持って誕生した国です。

国家そのものが壮大なプロジェクトです。

そのプロジェクトの目的とは?

「欧米の侵略から国家国土を守ること」

大日本帝国が誕生した明治元年(1868)。
ヨーロッパの帝国主義は絶頂期とも言える頃でありました。

ヨーロッパの各国は各地で激しい植民地獲得競争を繰り広げていました。
その標的はアジアアフリカでした。

欧米列強は隙を突いてはアジアやアフリカ諸国に侵攻し、次々と植民地を獲得し領土拡大を図っていました。

その際たるものが1840年のアヘン戦争ではないでしょうか。

清への貿易赤字に苦しんでいた英国は、その赤字解消の手段としてアヘンを密輸。
それを清が禁止すると武力で攻め込んだという横暴極まりない戦争です。
当時の貿易赤字の原因は茶葉です。
英国では紅茶を飲む習慣が広がっており、清から膨大な量の茶葉を輸入していました。

清はこの戦いに惨敗。

アヘンの密輸を黙認させられ、領土の割譲までさせられるなど苦汁を舐めさせられました。

香港を割譲、広東や上海などの5港を開港。
アヘン密輸を容認。
アヘン中毒者が激増しました。

この清の敗北は日本を多いに震撼させました。

当時の清はアジアの盟主的存在であった。
その清が英国の前に為す術なく敗北したのです。
その衝撃は計り知れないものです。

長州の高杉晋作はこの頃の清を見て危機感を強めたと言われます。

アヘン戦争から13年。
嘉永6年(1853)ペリー提督率いる4隻の黒船が横浜浦賀沖に来航。
「武力による威嚇」で日本との交易を要求してきました。

幕府は屈し翌年、やむなく米国との和親条約を結ぶことになります。

その4年後、安政5年(1858)幕府は米国と「日米修好通商条約」を結ぶことになります。
関税自主権が認められず、治外法権を認めさせられる不平等極まりない内容でした。

ことここに至り「アヘン戦争」は対岸の火事ではなくなりました。

そんな中、日本では「幕府には任せておけぬ!日本が危ない!」と諸藩や志士が立ち上がり幕府を倒した。

明治維新

「欧米の侵略から国土を守る!」
それは当時の日本にとって単なる被害妄想ではありませんでした。
国の命運を左右する大問題。
差し迫る危機でありました。

この危機問題を解消する為に立てられたのが
大日本帝国と言う国家プロジェクトだったのです。

この大日本帝国の歴史には批判もあります。
先の大戦の当事国となり、多数の国民を失い、国土は焦土と化した。

しかしプロジェクトとして見たならば、大日本帝国は成果も上げたと言えます。
それは結果的に欧米の侵略を受けなかった。
アジアの中で我が国だけが領土を守り抜くことが出来たのです。

富国強兵

慶應3年(1867)江戸幕府15代将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返上しました。
いわゆる大政奉還です。

約270年近く続いた江戸時代は終わった。
王政復古の号令を経て日本は「大日本帝国」として新たな門出を迎える事になりました。

しかし問題山積です。

欧米列強の侵略から国家を守る為には、この列強に対抗しうるだけの強力な軍備が必要です。

軍備を整えるには巨額の資金が必要です。
しかし、当時の日本には経済力もない。
それに加え人材不足、資源もなく科学技術もない。

かと言って国に成長を呑気に待つ時間もない。

欧米列強は領土的野心を剥き出しにアジアの地を狙っています。
いつ日本も飲み込まれてしまうか…

そこで明治の指導者達はプロジェクトを推進する為の指針をたてます。

富国強兵

富国強兵(ふこくきょうへい)とは?

「国を富ませ、強い兵を持つ」

経済力や技術力が付けば自然と強い軍隊を持てる様になる!
強い軍隊があればまた、経済力も高まる!

国力の増大こそ軍事的強国への近道であると考えたのです。

明治政府は富国強兵を実現する為に「中央政府への権力の集中」や「近代的な軍の創設」。
「有能な人材の登用」
「教育の充実」
「経済の発展」
「科学技術の発展」

これらの手法は力が弱い国、貧しい国が発展する為のセオリーでもあります。
実際、アジアの国々も同様の手法で国を発展させようとしていたはずです。

しかしその実現は簡単ではありません。

アジア諸国で富国強兵を実現出来たのは我が国日本だけだったのです。

他のアジア諸国はいずれも失敗。

日本とアジア諸国との差はなんだったのか?

これは認識の差ではなかったか?

日本は列強に比べ自国が劣っている、それを早くけら謙虚に自覚していたからではないか?
そして時間の猶予もないと自覚していました。

限られた国土、限られた資源、限られた人材、限られた資金。
いかに効率よく素早く強力な軍事国家を築き上げるか?
その一点に国を挙げて力を注いだ。
そこに成功した要因があったのではないでしょうか。

いかに大日本帝国は富国強兵を実現する事が出来たのか。

明治新政府の取り組みとは如何に?

次回へ続く…