世界の軍隊、軍人には24時間自国と自国民を守る事を義務付けられています。
例え命令がなくとも、海岸から自国民である少女が他国の工作員に拉致されようとしていたら、非番で休みだろうが、勤務時間外であろうが関係ありません。
むしろ、見過ごすことこそ不名誉であり、更に義務を果たしていないと非難されます。
工作員を殺害しようと殺人罪などに問われる事はありません。
しかし、我が国の自衛隊は、そうはいきません。
例えば、新潟の海岸で13歳の少女が誘拐されようとしていても直ぐに助ける事が出来ない。
勤務時間だろうが、ましてや非番なら尚更。
勝手な行動は出来ません。
正当防衛でも、工作員を殺害したなら下手をすると殺人罪に問われかねません。
我が国では、初のシージャック事件が昔ありましたが、犯人は射殺されました。
この犯人を射殺した警官が後にキチガイ市民団体と弁護士に『殺人罪』で起訴されると言う出来事がありました。
コレにより警察は萎縮してしまい、後の浅間山荘事件や、その他事件で拳銃使用を躊躇してしまい多大な犠牲を出すことが相次ぎました。
我が国の自衛隊は、法的には警察です。
自衛隊法など法律に則り自衛隊が行動するなら、海岸から拉致されようとしている少女をどう救うのでしょう?
手順
まず、ある陸自隊員が散歩中に今正にさらわれようとする中学生の少女を発見しました。
この自衛官が少女を助けるにはどうすれば良いのか?
まず、少女に声をかけて拉致されようとしていることを確認します。
そして、拉致しようとしている工作員に何者か確認します。
すると自衛官は所属の部隊長に連絡。
部隊長から駐屯地へ連絡、其処から例えば陸自なら陸幕長に連絡が行き、陸幕長は統合幕僚長に連絡。
統幕長から防衛大臣に連絡が入り、総理へ連絡が入り『全閣僚召集』。
閣僚会議が開かれます。
そして、北朝鮮に連絡して『今、我が国の国民を拉致しようとしている工作員は、其方の工作員か?』と聞いてみる。
すると、たまたまその日は機嫌が良かった金正恩が「あぁ、そうだよ」と言ってくれる。
そこで初めて全会一致で採択され総理大臣が防衛出動をかけます。
其処から防衛大臣→統幕長→陸幕長→駐屯地→部隊長→現場自衛官と命令が伝わり、やっと少女を助ける事が出来る。
と、思ったら少女はとっくに拐われて既に領海を遠く離れて…
こんなバカな話しがあるでしょうか?
例えば、勤務時間には自衛官としての振る舞いをするな!とすら書いてあるです。
我が国を侵略しようとか、テロを企む様な連中がわざわざ9時から5時の勤務時間に合わせて行動するんでしょうか?
むしろ、其処に穴があるなら、その穴や隙間を狙うに決まってるでしょう。
こんなアホなルールで縛りをかけて自国や自国民を守れるはずはありません!
なぜ、こんなアホなルールかと言えば、この法体系の上に現憲法が蓋をしているからです。
北朝鮮からミサイルが飛んできたら、直ちに迎撃しなければならない。
しかし、何だかんだ理由を捏ねくり回しては一切何もせず、遺憾の意を表明して当該国に抗議するだけ。
EEZは言わば漁民の仕事場で、領海ではないが常に我が国の国民がそこで仕事をしているのです。
そこへミサイルを撃ち込まれ何もしないのはバカです。
相手に「日本は一切手を出さない」とメッセージを送る様なものです。
例えば、戦闘機が突如現れ畑や田んぼに機銃掃射しても『遺憾の意』で済ますのでしょうか?
今回、たまたま犠牲が出なかっただけで、もし国民に犠牲者が出ていたら間違いなく『戦争』する事態です。
それを避ける為にも飛んで来たミサイルは徹底的に迎撃するしかありません。
24時間いつ如何なる時も、徹底的に対処しなければ必ずいつか犠牲者が出る事態を招きます。
これが他国なら、間違いなく二度とミサイルを撃てぬ様に徹底的に対処するでしょう。
しかし矛を他人に預けた我が国はこの『二度と撃たせない為の対処』が全く出来ないばかりか、する気さえありません。
なぜなら、考えるだけ無駄だからです。
考えたところで我が国の憲法と、それにぶら下がる法律が許しません。
むしろ犠牲が出て初めて行動が幾許か出来るようになるのです。
そんなアホな憲法を守れ守れと言う連中は
国民の命は憲法より軽い
そう考えているのでしょう。
自衛権、いやもっと解りやすく言うなら『正当防衛』は全ての法律より優先するのです。
殺されそうになったら、相手を殺して生き延びて良いのです。
護憲派と呼ばれる連中は、憲法を守る為には国民は死ねば良いと考えているのでしょう。
憲法を守る為には、横田めぐみさんや有本恵子さんは取り返さずとも良い!
そういう事なんでしょう。
少し脱線しますが、この様な連中は『核廃絶』も主張します。
私も核兵器は無くなれば良いと考えています。
しかし、広島や長崎の原爆投下による被害を「日本が悪かった」などと考えている輩がいる。
特に護憲派に多い。
これはアメリカによる大虐殺であって、投下した方に『罪』があるのです。
「被爆国としてやるべき事が…云々」とも言います。
しかしハッキリ言って日本がやるべきことも、被爆国としての責任もありません!
我が国は核を持った事もなければ、使用した事もありません。
ただ被曝しただけです。
そんな日本は「核は止めよう」と言う程度で、やらなければならん事などありません。
二度と繰り返さないと誓わねばならん事などありません!
事ある毎に「非核だ非核だ」と言っては騒いでいますが、一体誰に言っているのでしょうか?
広島や長崎の首長が、核保有国に抗議したりしていますが、アホでしょうか?
アメリカの核の傘に庇護されて、誰に何を抗議しているんでしょう?
我が国に核を使った国の核の傘に守られて、アホを通り越して頭おかしいのか?と思ってしまいます。
核保有国に抗議したいなら、自前で完結できる安全保障を成り立たせることです。
我が国に核兵器は必要ないと私は考えます。
我が国の技術力と経済力をもってすれば、核兵器を実質無効化することが出来るで有ろうと考えるからです。
しかし、国際法で見れば次に核兵器を使用してよい、使用する権利があるのは世界で我が国だけです。
日本だけが世界で唯一次に核兵器を使用して良いのです。
核保有をするかしないか、どう言う状況なら核保有するのか?
或いは、しないなら核にどう対抗するのか?
日本では議論すらありません。
議論する事すらダメだと、口にする事すら許されない。
議論すらしないとは、違う意見を認めないと言う明らかな民主主義の根幹を否定するものです。
多様な意見を述べ、聞き、議論するのが民主主義です。
これは、憲法も同じです。
憲法第96条に改正条項があるのです。
改正有りきの憲法なんです。
護憲派は憲法を守れと言うなら、この96条を無視するなと、私は言いたい。
現憲法に『一言一句変えてはならん』と書いあるのですか?
改正条項がある限り、改正をするのはむしろ憲法を遵守する事です。
ハードルが高くても、改正条項がある限り改正して良いのです。
最後には国民が決めるのです!
例えば、私は自民党の改正草案には反対です。
しかし、叩き台として議論すらしないとは、民主主義に反する。
不足の事態が起きようと、犠牲が幾ら出ようと自国と自国民を守る為にはくだらぬ手枷足枷を外し、フリーハンドでやって来る連中に、こちらもフリーハンドで対抗しなければならない。
自国民をたかが北朝鮮ごとき小国から、救出するのに誰の顔色を伺う必要があるのか?
戦争を避けては戦争を防げないのです。
無茶を強いる輩には徹底的に対抗する。
それが一番の戦争を避ける手段です。
イザと言う時にすら、何もしない国は必ず滅びます。
例え命令がなくとも、海岸から自国民である少女が他国の工作員に拉致されようとしていたら、非番で休みだろうが、勤務時間外であろうが関係ありません。
むしろ、見過ごすことこそ不名誉であり、更に義務を果たしていないと非難されます。
工作員を殺害しようと殺人罪などに問われる事はありません。
しかし、我が国の自衛隊は、そうはいきません。
例えば、新潟の海岸で13歳の少女が誘拐されようとしていても直ぐに助ける事が出来ない。
勤務時間だろうが、ましてや非番なら尚更。
勝手な行動は出来ません。
正当防衛でも、工作員を殺害したなら下手をすると殺人罪に問われかねません。
我が国では、初のシージャック事件が昔ありましたが、犯人は射殺されました。
この犯人を射殺した警官が後にキチガイ市民団体と弁護士に『殺人罪』で起訴されると言う出来事がありました。
コレにより警察は萎縮してしまい、後の浅間山荘事件や、その他事件で拳銃使用を躊躇してしまい多大な犠牲を出すことが相次ぎました。
我が国の自衛隊は、法的には警察です。
自衛隊法など法律に則り自衛隊が行動するなら、海岸から拉致されようとしている少女をどう救うのでしょう?
手順
まず、ある陸自隊員が散歩中に今正にさらわれようとする中学生の少女を発見しました。
この自衛官が少女を助けるにはどうすれば良いのか?
まず、少女に声をかけて拉致されようとしていることを確認します。
そして、拉致しようとしている工作員に何者か確認します。
すると自衛官は所属の部隊長に連絡。
部隊長から駐屯地へ連絡、其処から例えば陸自なら陸幕長に連絡が行き、陸幕長は統合幕僚長に連絡。
統幕長から防衛大臣に連絡が入り、総理へ連絡が入り『全閣僚召集』。
閣僚会議が開かれます。
そして、北朝鮮に連絡して『今、我が国の国民を拉致しようとしている工作員は、其方の工作員か?』と聞いてみる。
すると、たまたまその日は機嫌が良かった金正恩が「あぁ、そうだよ」と言ってくれる。
そこで初めて全会一致で採択され総理大臣が防衛出動をかけます。
其処から防衛大臣→統幕長→陸幕長→駐屯地→部隊長→現場自衛官と命令が伝わり、やっと少女を助ける事が出来る。
と、思ったら少女はとっくに拐われて既に領海を遠く離れて…
こんなバカな話しがあるでしょうか?
例えば、勤務時間には自衛官としての振る舞いをするな!とすら書いてあるです。
我が国を侵略しようとか、テロを企む様な連中がわざわざ9時から5時の勤務時間に合わせて行動するんでしょうか?
むしろ、其処に穴があるなら、その穴や隙間を狙うに決まってるでしょう。
こんなアホなルールで縛りをかけて自国や自国民を守れるはずはありません!
なぜ、こんなアホなルールかと言えば、この法体系の上に現憲法が蓋をしているからです。
北朝鮮からミサイルが飛んできたら、直ちに迎撃しなければならない。
しかし、何だかんだ理由を捏ねくり回しては一切何もせず、遺憾の意を表明して当該国に抗議するだけ。
EEZは言わば漁民の仕事場で、領海ではないが常に我が国の国民がそこで仕事をしているのです。
そこへミサイルを撃ち込まれ何もしないのはバカです。
相手に「日本は一切手を出さない」とメッセージを送る様なものです。
例えば、戦闘機が突如現れ畑や田んぼに機銃掃射しても『遺憾の意』で済ますのでしょうか?
今回、たまたま犠牲が出なかっただけで、もし国民に犠牲者が出ていたら間違いなく『戦争』する事態です。
それを避ける為にも飛んで来たミサイルは徹底的に迎撃するしかありません。
24時間いつ如何なる時も、徹底的に対処しなければ必ずいつか犠牲者が出る事態を招きます。
これが他国なら、間違いなく二度とミサイルを撃てぬ様に徹底的に対処するでしょう。
しかし矛を他人に預けた我が国はこの『二度と撃たせない為の対処』が全く出来ないばかりか、する気さえありません。
なぜなら、考えるだけ無駄だからです。
考えたところで我が国の憲法と、それにぶら下がる法律が許しません。
むしろ犠牲が出て初めて行動が幾許か出来るようになるのです。
そんなアホな憲法を守れ守れと言う連中は
国民の命は憲法より軽い
そう考えているのでしょう。
自衛権、いやもっと解りやすく言うなら『正当防衛』は全ての法律より優先するのです。
殺されそうになったら、相手を殺して生き延びて良いのです。
護憲派と呼ばれる連中は、憲法を守る為には国民は死ねば良いと考えているのでしょう。
憲法を守る為には、横田めぐみさんや有本恵子さんは取り返さずとも良い!
そういう事なんでしょう。
少し脱線しますが、この様な連中は『核廃絶』も主張します。
私も核兵器は無くなれば良いと考えています。
しかし、広島や長崎の原爆投下による被害を「日本が悪かった」などと考えている輩がいる。
特に護憲派に多い。
これはアメリカによる大虐殺であって、投下した方に『罪』があるのです。
「被爆国としてやるべき事が…云々」とも言います。
しかしハッキリ言って日本がやるべきことも、被爆国としての責任もありません!
我が国は核を持った事もなければ、使用した事もありません。
ただ被曝しただけです。
そんな日本は「核は止めよう」と言う程度で、やらなければならん事などありません。
二度と繰り返さないと誓わねばならん事などありません!
事ある毎に「非核だ非核だ」と言っては騒いでいますが、一体誰に言っているのでしょうか?
広島や長崎の首長が、核保有国に抗議したりしていますが、アホでしょうか?
アメリカの核の傘に庇護されて、誰に何を抗議しているんでしょう?
我が国に核を使った国の核の傘に守られて、アホを通り越して頭おかしいのか?と思ってしまいます。
核保有国に抗議したいなら、自前で完結できる安全保障を成り立たせることです。
我が国に核兵器は必要ないと私は考えます。
我が国の技術力と経済力をもってすれば、核兵器を実質無効化することが出来るで有ろうと考えるからです。
しかし、国際法で見れば次に核兵器を使用してよい、使用する権利があるのは世界で我が国だけです。
日本だけが世界で唯一次に核兵器を使用して良いのです。
核保有をするかしないか、どう言う状況なら核保有するのか?
或いは、しないなら核にどう対抗するのか?
日本では議論すらありません。
議論する事すらダメだと、口にする事すら許されない。
議論すらしないとは、違う意見を認めないと言う明らかな民主主義の根幹を否定するものです。
多様な意見を述べ、聞き、議論するのが民主主義です。
これは、憲法も同じです。
憲法第96条に改正条項があるのです。
改正有りきの憲法なんです。
護憲派は憲法を守れと言うなら、この96条を無視するなと、私は言いたい。
現憲法に『一言一句変えてはならん』と書いあるのですか?
改正条項がある限り、改正をするのはむしろ憲法を遵守する事です。
ハードルが高くても、改正条項がある限り改正して良いのです。
最後には国民が決めるのです!
例えば、私は自民党の改正草案には反対です。
しかし、叩き台として議論すらしないとは、民主主義に反する。
不足の事態が起きようと、犠牲が幾ら出ようと自国と自国民を守る為にはくだらぬ手枷足枷を外し、フリーハンドでやって来る連中に、こちらもフリーハンドで対抗しなければならない。
自国民をたかが北朝鮮ごとき小国から、救出するのに誰の顔色を伺う必要があるのか?
戦争を避けては戦争を防げないのです。
無茶を強いる輩には徹底的に対抗する。
それが一番の戦争を避ける手段です。
イザと言う時にすら、何もしない国は必ず滅びます。