犬神スケキヨ~さざれ石

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古事記を摘んで日本を知る37

2016-08-30 13:00:38 | 古事記
古事記です。
前回は遂に国譲りがクライマックスを迎えました。

前回のお話しはここです。

古事記には回りくどい表現があります。

スッキリした話しにならず、あれやこれや事件が起きて、そして結果話がまとまることが多々あります。
しかし全て必要な事で、それらから我が国の国柄や考え方が見えるのです。

丸くおさめる

この古事記、アホな反日の連中は『皇室の正当性を記す為のデタラメな物語だ』とか言ってます。
この時点で如何に反日や左翼がアホかがわかります。

皇室が勝手にデタラメを書いて、皇室の正当性を示す為なら国譲りを書く必要がありません。

邇邇芸命が天孫降臨で降りて来て、立派な国を造りました。

これで良いはず、スッキリしてます。

ワザワザ高千穂に降りたりせずに、三輪に直接降りて来たら良いのです。
これなら大和を神聖化出来ます。

古事記とは国の成り立ちを書く公式な歴史書です。
もしこれを公表したら、九州の人が「なんだ!ふざけるな」とか、出雲の人から「なんだこの歴史書は!事実を書け」とか、文句が出るかもしれません。
人の上げ足ばかり取る、現代社会なら必ず文句が出ますよ。

それで、古事記とは日本の成り立ちを知り国を一つにまとめようとか、皆でこの歴史書を共有しようとするものです。
ですから文句が出るような歴史書はよくない。
国を束ねていかねばならないですからね。

全員が納得出来るものではなくても、七、八割の人々が納得するものになっています。
出雲の人も「まぁ、そんな変なことは書いてないね」とか、九州の人も大和の人も「ふむふむなるほど」と思える。

もし天照大御神が他人の国を横取りしり、ぶん取ったりしたみたいな書き方をしていたら出雲の人は「そうだよ!昔は酷い目にあったんだ」とか言って1000年恨むとか言われますよ。

大和の人は「なんだ!どっかの国をぶん取ったりした覚えはないぞ!」とか言って1000年恨むなら一万年断然だ!とかなってしまいます。

双方納得する歴史書を造らねばならない!

国を譲った側、譲られた側、双方納得。

こんな大事業はありませんよ!
出雲も、九州も、熱田も、大和も、みんな「うん、なるほどね」と大方が納得する歴史書というのが古事記の大事業なんですね。

日韓併合の歴史だって、全く歩み寄りなんて出来ませんからね。
併合した方と、併合された方の主張が噛み合うなんてことはないんです。

それをやってのけた、これが古事記なんですね。

古事記編纂に寄与した稗田阿礼(ひえだのあれ)も太安万侶(おおのやすまろ)も天才です。
言葉の一つ一つを丁寧に神経を使って表現している。状況や設定も事細かに書いています。
ですから「地上世界は騒がしい」とか、何だかよくわからない表現になっていて、大方の人が読んで「まぁ、さもありなん」と納得できるバランスを取っているのです。

これこそが日本人の精神と言うことでしょう。
「俺たちの正義」を押し付けたりしない。
の精神がそこにあるのです。

どうしたら皆の納得する歴史書を書くことが出来るだろう…
それを探求して探求して、古事記を編纂したのですね。
そこに日本人の和を以て尊しの精神を盛り込んでいるのです。

無血国譲り

「なんだ、出雲の国譲りって事実だったのか」

これが現在の考古学の成果です。

ほんの何十年か前には出雲の国譲りはフィクションだ!とか言ってたんですよ。

しかし、フィクションだとしたらこれは、かなり危なげな話しです。
わざわざフィクションを入れる必要がありませんね?
先に話した通り『三輪に天孫降臨』すればいいのですからね。
それでもフィクションだと言われ続けました。

出雲大社はあるけれど、周辺に国家が存在していた証拠がなかったのです。
だからフィクションだとされて来ました。

世界の歴史に例がないからです。
戦争もしないで、話し合いで国譲りなんてあるわけない
それがフィクションの根拠でした。

どこが、荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)から色々出てきてしまいました。
それにより出雲の国は独立した軍事力を持つ宗教国家であった事が確認されてしまいました。
更に大和政権と並行していた事も確認され、更に併合された事も確認されました。
更に…

戦争の跡がない!

話し合いの統一

普通は、国が統合する時は戦争の跡が出土したりするもんなんです。
時代が古いから見つからないだけじゃ?
とか、言う人もいるんですけどね。
しかし、違います。

それより以前の時代には戦争の跡があるんです。

例えば弥生時代は戦争があった事がわかっています。吉野ケ里遺跡なんか環濠集落とか言ってますけど、堀を巡らせて防備をしてあって。
それは凄い堀を巡らせてます。
一大国家事業ですよ。
それを見ればこれは何か、よほどの軍事的対立があったんだろうと理解出来ます。

西日本でも高地集落という軍事攻撃を想定した集落作りがされたりしてます。
実際に鏃(ヤジリ)の刺さった跡のある人骨が出たりして、戦傷例がいっぱいあるんです。

ところが古墳時代になると戦争がなかった様です。
戦争を表す出土物が出ないのです。

そしてどうやら、その時代に国家統一が成されているのです。
四世紀から五世紀にかけて、この時代に統一王権が出来ています。

これは凄いことなんですよ!

戦争がないのに統一王権が出来てる!

こんな事は世界で例がない!

例えば支那なんて、酷い殺し合いを経て秦の始皇帝が即位したのです。

世界は戦争や、酷い殺し合いを勝ち上がった者が王国を築きます。
言い方を変えれば戦争がなければ国が統一されないのです。

アメリカも米英戦争を経て独立しました。
支那も国民党と共産党が争って共産党政権が出来ています。

世界は争って統一を果たしているのに、我が国は争わず話し合いで統一王権を成し遂げてしまったのです。

恐らくは、当時の日本は出雲みたいな国がいっぱいあって、しかし一々書いてたら大変ですから中でも大きな出雲の話しを代表的に書いたのではないでしょうか。

その無血統一にはキモとなる我が国の根っこがあったのですが…
それは次回のお楽しみ。