犬神スケキヨ~さざれ石

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恐怖の心3

2016-08-25 10:02:09 | 草莽崛起
アメリカは自分自身の行為に恐怖しているのではないでしょうか?

上手く戦後を乗り切ってしまい、結果として世界のイニシアティブを取ってしまい、基軸通貨にすらなってしまいました。

自らが日本の戦争を糾弾すれば、それはそのまま自身に返って来る事を知っているのです。
その為に『日本悪』を刷り込みました。

その日本悪論の刷り込み、そのままなのが『反日日本人』ではないでしょうか。

戦争とは一つ一つをぶつ切りに考えていては理解出来ません。
我が国は先の大戦だけを取り上げて日本は間違った戦争をしたと言って日本の戦争を『特殊な戦争』として議論を避けています。
それでは何も理解出来ません。

先の大戦はむしろ、その前の第一次大戦の処理の失敗、国際連盟なる意味のない組織、それらが重なり第二次世界大戦へと繋がっているのです。

いわゆる日本のリベラルというのは、米国の刷り込みそのままで、リベラルとは言えません。
アメリカの嘘を覆い隠す為の日本悪論に乗っかるだけ、つまりアメリカの『恐怖心』による反日を声高に主張しているだけです。

私には、それは白人の大虐殺の歴史への恐怖心があるのではないだろうか?
そう思えて仕方ありません。

抗えば白人の大虐殺に会うから、日本は何もするな

そう聞こえてしまいます。

それは世界の平和には『大虐殺』が必要で、それが正しいのだ!
非人道的手段もアメリカが行えば正しい!

私は日本が全て正しいとは申しません。
そんなつもりは夢ありません。

しかし、必ず光の部分はあるのです。

戦後、世界の植民地支配はなくなり人権について世界は考える様になりました。

我が国が解放した訳ではない。
我が国は、その機運を作ったに過ぎません。
しかし、アジアやアフリカでの植民地支配、奴隷解放に寄与した事は間違いありません。

そして女性の参政権も戦後出来たものです。
民主主義を標榜するアメリカですら、女性参政権は戦後の事です。

原爆や都市空爆を非人道的と指摘される事は、米国としては何としても避けなければならない。
邪悪で野蛮な非人道国家日本を降伏に追い込んだという大義名分がある。
民間人虐殺はその大義名分に矛盾してしまいます。
連合国からすれば『非人道』の日本に『非人道』で糾弾されれば日本が被害者になりアメリカが加害者になるのです。

アメリカにとって何十万人もの民間人を殺害した以上は、それを正義と言い切るならば、それなりの仕組みが必要だ。

その為に必要な仕組みこそが、日本を悪とし戦争に纏わる全ての被害は日本の責任で、世界は日本の行いの被害者だとし、だからこそ日本は間違った戦争をやった。
日本の戦争は世界に特殊な戦争を仕掛けた。
それをすり込む為に、日本人に自由な言論を認める訳にはいかず、アメリカ批判、日本擁護を検閲によって徹底的に排除したのです。

日本に蔓延る反日はアメリカの刷り込みそのままで、歴史の真実を直視しない、直視しないのは大虐殺への恐れであって論理的な主張ではありません。

その根底には「私だけは死にたくない」と言う論理があり戦前に白人が行ってきた植民地支配の「お前達、死ぬよりはマシだろう」と言って命だけは助けてやるから言う事を聞けという行為を肯定してしまうことになります。

つまり都市空爆や原爆で殺されるくらいなら支配されても生きていたい!

そう言っているのです。

ですから、僅か13歳の少女が拉致されても自分は拉致もされず、命の危険もない。
だから、あまり波風立てずにいよう!
「抗えば私の命が危なくなる」
だから見て見ぬふりをしておこう。

民族の誇りや自決権を棄てても生きていたい。
その考えは個別主義であって、先の大戦は世界が個別主義であったからこそ激突したのは明白です。

そこを考えれば大東亜共栄圏大東亜会議の考え、更に我が国が突入した戦争の、我が国の光が見えてくるものです。

先の大戦後、東と西に世界は割れて冷戦と呼ばれる冷たい時代と新たな戦争を始めました。
我が日本もその中に巻き込まれ『西側』、つまりアメリカサイドとして戦ったのです。

東西冷戦期ならば、西側リーダーのアメリカに任せておけば良かったのです。
だから、日本は何もしなくて良かった。

しかし、その東西冷戦がソ連崩壊と共に終結すると勝ったはずの西側も壊れ始め、新たな勢力が勃興を始めます。それが支那です。

支那の恐れは、常に他民族に侵され続け一環した民族がない。
今ある民族は、明日には他民族にとって代わる。
そんな歴史を繰り返しているからこそです。
今ある中華人民共和国と言う国も、いずれ誰かにとって代わられるのではないか?
その恐怖心が、外へ外へと向かわせているのです。

周りに支配地域を作り、自らを滅ぼす恐れのある民族を支配しておこう、かつて自国を支配していた民族を取り込んでおこうとしているのです。

反日の根幹は恐怖心から来るもの

韓国の反日も、自らの足で歩いた事がない経験不足から来る不安感で、その恐怖心の根底には『誰か支えて欲しい』と言うものではないか?

支那にしても、朝鮮にしても、米国にしても自らの足で歩き、2000年を超える文化や伝統を築き無闇に殺し合いをせず、他者を尊重して生きる民族が極東にある。
ふと、考えると自分達には歴史もない、民族も一環しない、利己的で民は支え合うこともしない。

そして極東の民族は、人は皆平等だと言ってはばからない。
そんな民族が世界を席捲したなら、自らの存在意義を見失うのではないか?

かつて、薩摩藩と英国が起こした薩英戦争は、我々日本人は近代的な英国に薩摩藩がコテンパンにやられた!
そう教えられたけど、実は世界の評価は違います。

たとえ瀕死でも、抜刀して襲いかかる薩摩武士。
刃が触っただけで切り落とす程の切れ味を持った日本刀。
その武士の精神と、最高の技術で作った刀。
実際の被害は英国の方があった。

世界は恐怖したのです。

薩摩武士の様な人々が、日本全国隅々にまでいて、これを倒さねば日本を支配出来ないのか?

たった3丁、置いて帰った火縄銃を日本人は研究し更に性能が良い銃を何千丁と作ってしまう。

世界は恐怖心を覚えた事でしょう。

世界は日本が本気になる事に未だ恐怖しています。

2000年を超える歴史をもち、民の為に生きる皇帝を戴く日本。

日本は世界を何度も驚かせ、恐怖心を抱かせて来た国

日本は強いのです。

反日の根幹は恐怖心。

恐怖心の根底にあるのは「日本にしかないものへの恐れ」ではないかと私は考えます。


恐怖の心2

2016-08-25 10:01:29 | 草莽崛起
前項の通り、石原莞爾はその自論を展開してみせました。

占領下の日本にありながら『正論』とも言える、自論を展開しインタビューをした記者をも納得させてしまいます。

帰り際にこの記者は「炎天に冷水を浴びたような気持ちです」と言い丁寧に礼をして帰りました。

私は必ずしも石原莞爾を評価するものではありません。
しかし歴史に持ち出してはいけないifを考えてしまいます。

「もし戦争が下手な東条英機ではなく石原莞爾ならば…」

日本を否定する

タイトルにある恐怖の心とは、我が国を否定する『反日』の根っこを示している。

反日に根底にあるのは『恐怖心』ではないか?

私はその様に考えています。

敗戦後、日本を占領したGHQは徹底的に日本の言論を検閲しました。
その為の施策の一つがWGIPと呼ばれるもので、これが話題になって来たのは、この2〜3年の事ではないでしょうか?

私が若い頃には、その存在すら知りませんでした。



面白い事に敗戦後、最初の検閲処分を受けた新聞は『朝日新聞』だったのです。
昭和20年9月15日、後の内閣総理大臣になる鳩山一郎が寄稿した記事が原因でした。

「正義はちからなり!を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪である事を否むことは出来ぬであろう」

敗戦から僅か一か月でのこの記事。
アメリカの戦争犯罪や国際法違反を断言する記事を掲載するとは驚きです。

しかしこれが発行禁止にされます。

以降、我が国のマスメディアは『米国批判』を自粛してしまいます。
マスメディアのみならず、あらゆる媒体は自粛を始めてしまいます。

GHQのやり方は、事前に検閲するのではなく事後検閲するというやり方で検閲をするのです。
取材をし、発行をしてから検閲し、気に入らなければ『発禁』そして『回収』を命じるのです。
これをやられては、たまりません。
既に経費を使い発行した物が『発禁回収』とれば大損失を被ります。
それを避ける為に、あらゆる媒体は萎縮してしまい自主規制をかけてしまったのです。

そして『米国は正義』と言う記事を書き『日本悪』と言う記事を展開する様になります。

これが現在まで続いているのです。

これを、よくよく見てみると、そこに米国の抱える闇が見えて来ます。
そこに米国の『恐怖心』が見えて来ます。

それは自らが犯した『罪』を知っているからです。

世界の戦争は、相手国の人間を無差別に殺すことが当たり前であったのです。
その戦争相手を完全に支配しする事を戦争の勝利としていたのです。

しかし、戦とは戦闘員同士が戦うもので、無辜の民まで無差別に殺してはいけない。
それに世界が気づいたのは僅か100年前です。

我が国は既に気付いていました。
応仁の乱以降、民を巻き込む様な戦は幕末までありませんでした。
幕末でも、結果として蛤御門の変で京都が丸焼けになってしまったけれど、民を狙ったものではありません。

ですから、例えば大阪夏の陣でも民は戦を見物していました。
出店は出るわ、もうある種『お祭り』として民は見ていました。
命の危険があるなら、屋台が出たりするはずはありません。

ですから、世界は、いや白人は力を正義としてアフリカやアジアの有色人種を支配していた。
世界で『人種差別撤廃』を謳ったのは日本だけです。

その根底に人種差別の意識があったのは間違いない。米国はその差別意識からアジアを理解しようともせずに、虫ケラぐらいにしか考えていなかった。
だからこそ米国自身が行なった国際法違反を正当化しなければならない。

そもそも日本を戦争に引きずり込んだのは米国自身です。

自分達より劣る『有色人種』である日本は、他のアジアの民族とかわりはない。
すぐに倒せると考えてもいたでしょう。

ところが、大戦初期には全く歯が立たない。
さらに劣勢に立たされてもギブアップしない。
最後の一人になっても、弾が付きても最後には抜刀して襲ってくる。

そんな民族相手に勝つには国際法違反をしても大虐殺を展開するしかないでしょう。
勝てば正当化出来ると考えていたのかもしれません。

とにかく原子爆弾を使用した事を始め、無辜の民を無差別に大虐殺した事を正当化しなければならない。
先の石原莞爾の発言にある様に「米国が敗戦していたら、その罪は免れ得ない」ものです。

この原爆投下にまつわる話しに関しては、拙いながらも、この地味ブログにていずれ取り上げます。目下鋭意調査中です。

そして検閲に検閲を重ね、戦争擁護、神国日本、軍国主義、ナショナリズム、大東亜共栄圏などの喧伝、戦犯に対する擁護や正当化、日本擁護の言論を禁止しました。

「大戦を通じ日本中にもたらされた全ての惨事は、それが深刻なものであろうと邪悪な戦争をした日本が自ら招いたものだ」

日本『悪』アメリカ『善』という立場を徹底的に植え付けるものです。

原爆投下の正当性を『日本による数々の国際法違反』に対する制裁と『戦争の早期終結』による人命の節約を主張しています。
しかしこれは当初の主張で、後には『日本の国際法違反』に関しては主張しなくなりました。

アメリカは国内外でもやり過ぎました。
日本を戦争に引きずりこみ『真珠湾攻撃』に踏み込ませた。
『真珠湾攻撃は不意打ちだ』として、日本への憎悪を国内で煽りまくった。
その為にアメリカ国民は日本に対する完全勝利を望む様になった。完全勝利とは日本民族がこれ以上ない程に打ちのめされ、民族消滅に準じる程の敗北を喫し、国そのものが『無条件降伏』することです。
そして、アメリカ国内では移民した日本人を強制収容もしました。

同じ枢軸国側のイタリア人やドイツ人移民達は強制収容されていません。

更にアメリカは、最前線に黒人達を立たせ、激戦地に日系人部隊を送り込みました。
死ねば補充を繰り返した為に、日系人部隊の死亡率は部隊数を上回る300%という数字。

これはアメリカ、いや白人が有色人種を差別していた、人種差別の実態です。

日本に対する戦争の根底に人種差別があった

そう受け取れるのです。

日本人への人種差別が無差別な都市空爆や原爆投下、サイパンでの民間人への残虐な行為に繋がっているのは明らかです。

つまり、日本へのWGIPなどの施策や徹底的な検閲による言論弾圧、東京裁判でのリンチ。
これらはアメリカ自身が自分達の犯罪を覆い隠し、その行為を正当化するが為のものであるのは明白なのです。

同盟国
友好国

我々のアメリカに対する認識はこの様なものです。しかし、先の大戦の責任を免れ続けるアメリカは実は『反日国家』であると理解できます。

その反日である理由は自らの行為を指摘されてしまえば、その正当性が簡単に崩れてしまうことへの「恐れ」です。

それを隠す為に『全ては日本の責任だ』としたのです。

日本の指導者達を事後法で裁かねばならない程に自らの行為が『犯罪』であると知っているのです。

その行為を正当化して、その時をうまく乗り切ってしまった。
その為にアメリカは戦争を止めることが出来なくなったのです。
先の大戦に勝利し、世界を手中にしたけど自らがついた『嘘』に潰されているのです。

3へ続く

恐怖の心

2016-08-25 10:00:38 | 草莽崛起
さて、前回は我が国の終戦記念日についてと、それに繋がる憲法の話しをしました。

憲法についての私の考えは、前回示した通りになります。

現憲法では、北朝鮮のミサイルも実は撃ち落せません。
更に現在配備されているSM3やPAC3では、全てを撃ち落せません。

北朝鮮は弾道ミサイルが200発は配備されていると言われています。
ボロもありますが、半分の100発が同時に発射されたなら必ず『撃ち漏らし』があります。
全てを防げるものではありません。
そんな能力は世界中にもありません。

米軍ですら不可能です。

その中で北朝鮮がまさか山の中や、田んぼのど真ん中を狙うはずはありません。
都市や社会インフラを狙います。

その場合、一体どうやって国民の命を守るのか?

それを実現する為に憲法をどうするのか?
法律をどうするのか?
その一つの考えとしての意見が前回の記事となります。

例えば、弾道ミサイルや核兵器を我が国も持つのか?それも議論しなければなりません。

弾道ミサイルを防ぐ、無効化する兵器を作る方が技術的にも難しく、コストもかかるのです。

実際に我が国にミサイルを使用するかどうかは、その時の状況によります。
しかし、これに対抗するシステムや兵器の方が、はるかにコストがかかるのです。

核兵器にしても、これを無効化する方がはるかにコストがかかる。

相手の狙いは、そこにあるのです。

こちらは、使用された場合を想定して対抗するシステムを開発しなければなりません。
技術やコストを負担しなければならない。
それだけで相手には有利に働きます。

だからこそ『核には核で対抗する』或いは『ミサイルにはミサイルで対抗する』となってしまうのです。

その方が手早く、安く対抗出来るからです。

我が国はどの手段を取るのか?

はっきり言って『何もしない』や『何もしなければ相手も何もしない』は通用しません。
現実に周辺国に『何か』をされているからです。

それから原発に撃ち込まれたらどうするんだ!とかアホの左翼が言ってますが、原発は『核』攻撃でないと原子炉は破壊されません。弾道ミサイルで破壊されないのは実験からもわかっています。
確かに冷却の設備を失えば福島の二の舞です。
「だから原発止めろ!」は論点が間違いです。例え原子炉を止めたとて燃料はそのままです。
止めても安全ではありません。

本来の論点は『撃たせるな』とか『撃ち落せ』という話しで、逆に原発を止めたとあれば我が国は備えも防御も出来ない、或いはしないのだと間違ったメッセージを送ることになります。
断固として対応する!という態度をしなければ相手に付け入る隙を与えてしまいます。

超一級戦犯

またまた前置きが長くなってしまいました。
しかし、この前置きは必要な前置きですのでお許しを。

我が国の憲法や法律、更に現在の我が国を取り巻く状況を考えてみようと思います。

その上で、数ある歴史の事実の中で先の大東亜戦争の中の出来事を中心に考えてみようと思います。

大日本帝国陸軍に戦争の天才と呼ばれ、世界から恐れられた軍人がおりました。

石原莞爾(いしはらかんじ)

昭和6年(1931)の満州事変の首謀者で柳条湖事件を自作自演で起こした人物として知られてもいます。

歴史上の評価は分かれます。
しかし、この男がこと『戦争』に関してずば抜けた才能の持ち主であるのは間違いありません。

石原莞爾が指揮する関東軍はたった一万程度の兵力で、近代装備を有していた張学良軍を、たった3ヶ月で制圧し、日本の3.5倍の広さがある『満州』全土を占領してしまいました。

これには世界中が驚き、恐怖すら覚えた事でしょう。一躍時の人となった石原莞爾を、当時の世界の政治家や軍人で知らぬ者はいませんでした。

近代戦で兵力差3倍以上は、小さい方が勝てるはずはない。
しかし、石原莞爾は20倍以上の差を跳ね除け、立ち回り勝利してしまいました。

しかし、この石原莞爾は昭和12年(1937)に盧溝橋事件が起きると、支那事変の拡大をめぐる状況で東条英機と衝突することになります。

この政争に敗れた石原莞爾は失脚し、軍人を引退する事になります。

その後、再び彼が世界から注目されるのです。
昭和21年(1946)東京裁判です。

当初は戦犯リストに載っていた石原莞爾ですが、後にリストから外れました。
東京裁判では証人として尋問を受ける事になりました。
膀胱癌で入院していた石原莞爾は、入院先の逓信病院で裁判初日の5月3日からアメリカの検事に病室で尋問を受けます。

その2日目の尋問で冒頭に石原はこう述べます。

「もし陛下が自分に参謀総長を命じたならば、日本はアメリカに絶対負けなかった。だからその時は君は敗戦国だから、我々の膝下にも及びつかないよ」

アメリカの検事を唖然とさせました。

参謀総長とは陸軍の作戦を立案する機関の最高責任者です。
内閣総理大臣と同じく、天皇の任命によりその職に就きます。

『戦争の天才』がこう言ったのだから、石原莞爾を知る者ならば「もし石原莞爾が仕切っていたら…」と考えてしまいます。
日米の立場は逆転していたのではないか?

そして検事は石原に問いかけます。
「今度の戦犯の中で、一体誰が一級か?」
石原莞爾の答えは
「それはトルーマンだ」

自信満々に答え、またもや検事を唖然とさせました。

検事が理由を問うと「わからないのかい?」と答えます。
そして一枚のビラを枕元から取り出し、検事に見せます。

「米国大統領就任式に臨んで『日本国民に告ぐ』とある。ルーズベルトが死んだ直後だから5月頃のビラだがね。このビラは米軍が飛行機から落としたものだ。この一帯はB-29で焼け野原になって いた。こう書いてある『もし、日本国民が銃後において軍と共に戦争に協力するならば、老人、子供、婦女子を問わず全部爆撃する。だから平和を念願して反戦態勢の機運を作れ!』とね。トルーマン大統領名で書いてあるじゃないか」

更に

「国際法では、非戦闘員は爆撃するなと規定があるにもかかわらず、非戦闘員を何十万人も殺したではないか!国際法違反である。このビラが立派な証拠だ!」

すると検事は「あれは脅しだよ」と言うと石原莞爾は間髪入れずに答えました。
「そうじゃない。このビラの通りに実行したじゃないか!東京では家はもちろん、犬コロまでB-29で軍需工場でもないところまで非戦闘員を爆撃したじゃないか!広島と長崎には原爆を落とした。これは一体どういうことだね?世界の道義に訴えて世論を喚起すべき性質のものだろう。トルーマンの行為は第一級の戦犯だ!一国の元首である大統領ともあろうものが、こんなビラを出したのは蛮行である」

石原莞爾の答え

昭和22年(1947)
5月1日から2日にかけて山形県酒田市にて東京裁判酒田特別法廷が開かれました。

東京に出廷させるつもりが、石原莞爾の病状が悪化した為に、法廷が山形県に出張する事になりました。

検事が満州事変について関東軍の装備は劣弱だったと言うが、奉天を衝くだけの武力を備えていたかの問いかけに対し石原は「死中活を求める以外の作戦は不可能でありました」と述べました。

兵力が増強されなかった為に、最善を尽くして努力したと説明しました。
そして次の証言に法廷は凍りつきます。

「もとより戦争の勝敗は予想されませんが、訓練よく団結よく、作戦よろしければ、必ずしも兵数の劣弱をおそれるものではありません。例えば今次太平洋戦争において、日本の戦力はアメリカに対して非常に劣弱でありましたけれども、作戦よろしきを得れば、必ずしも敗北するものではなかったと私は信じております」

各国の記者が詰めかける正式な法廷での発言。
更に、まだ講和條約も締結しておらず、占領下でのこの発言。

この発言が、その後これ以上追及される事はありませんでした。

しかし、記者達の好奇心を煽るには充分です。

その夜、UP通信とAP通信の記者が石原莞爾を訪問し話を聞いています。
「あなたならどんな戦争をしたか?」
その問いに石原莞爾は答えます。

「補給線を確保する為に、ソロモン、ビスマーク、ニューギニアの諸島は早急に放棄して資源地帯防衛に転じ、西はビルマの国境からシンガポール、スマトラ中心の防衛線を構築、中部のフィリピンの線に後退、他方本土周辺及びサイパン、テニアン、グァムの内南洋諸島を一切難攻不落の要塞化し、何年でも頑張り得る態勢を取る。
外交的には支那事変の解決に努力傾注する。
特にサイパンの防備には万全を期し、この拠点は断じて確保する。日本が真にサイパンの防備に万全を期していたら、米軍の侵入は防ぐことが出来た。米軍はサイパンを奪取出来なければ、日本本土空襲は困難であった。それ故サイパンを守り得たら、ボロボロガタガタ飛行機でも、なんとか利用出来て、レイテを守り当然五分五分の持久戦で、断じて負けない。
蒋介石がその態度を明確にしたのはサイパンが陥落してからである。サイパンさえ守り得たなら、日本は東亜一丸となることが出来たであろう」

この話しに記者達は納得します。

更に痛烈なマッカーサー批判を展開し、大統領を批判。
アメリカによる都市爆撃、広島長崎への原爆投下、それによる非戦闘員の殺戮。
これを国際法違反だと述べています。

そして

「戦時中、日本の軍隊が悪い事をした事もあった、それは否定しない。私は特に東亜諸民族に対しては平身低頭に謝罪する。しかし、戦場の興奮によって非戦闘員を侵害することは往々にしてあり得ることだ、無論忌むべき行為ではあるが、これら偶発的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンの行為こそ、戦犯第一級中の第一級の行為だ。今日いかに戦勝国がこれを抗弁しようと、公正な第三者と、後世の人類によって歴史的な審判を受けることは免れ得ないだろう。
一国の大統領ともあろう者が、かかる野蛮行為をあえてして、しかも恥ずることもしない。
我々はこの様な者を相手に戦ったことは、なんとも恥ずかしい」


石原莞爾はGHQ相手に臆することなく、思う存分語ってみせました。
しかし、GHQの厳しい検閲によって、この証言は封印されてしまいました。
2へ続く