アメリカは自分自身の行為に恐怖しているのではないでしょうか?
上手く戦後を乗り切ってしまい、結果として世界のイニシアティブを取ってしまい、基軸通貨にすらなってしまいました。
自らが日本の戦争を糾弾すれば、それはそのまま自身に返って来る事を知っているのです。
その為に『日本悪』を刷り込みました。
その日本悪論の刷り込み、そのままなのが『反日日本人』ではないでしょうか。
戦争とは一つ一つをぶつ切りに考えていては理解出来ません。
我が国は先の大戦だけを取り上げて日本は間違った戦争をしたと言って日本の戦争を『特殊な戦争』として議論を避けています。
それでは何も理解出来ません。
先の大戦はむしろ、その前の第一次大戦の処理の失敗、国際連盟なる意味のない組織、それらが重なり第二次世界大戦へと繋がっているのです。
いわゆる日本のリベラルというのは、米国の刷り込みそのままで、リベラルとは言えません。
アメリカの嘘を覆い隠す為の日本悪論に乗っかるだけ、つまりアメリカの『恐怖心』による反日を声高に主張しているだけです。
私には、それは白人の大虐殺の歴史への恐怖心があるのではないだろうか?
そう思えて仕方ありません。
抗えば白人の大虐殺に会うから、日本は何もするな
そう聞こえてしまいます。
それは世界の平和には『大虐殺』が必要で、それが正しいのだ!
非人道的手段もアメリカが行えば正しい!
私は日本が全て正しいとは申しません。
そんなつもりは夢ありません。
しかし、必ず光の部分はあるのです。
戦後、世界の植民地支配はなくなり人権について世界は考える様になりました。
我が国が解放した訳ではない。
我が国は、その機運を作ったに過ぎません。
しかし、アジアやアフリカでの植民地支配、奴隷解放に寄与した事は間違いありません。
そして女性の参政権も戦後出来たものです。
民主主義を標榜するアメリカですら、女性参政権は戦後の事です。
原爆や都市空爆を非人道的と指摘される事は、米国としては何としても避けなければならない。
邪悪で野蛮な非人道国家日本を降伏に追い込んだという大義名分がある。
民間人虐殺はその大義名分に矛盾してしまいます。
連合国からすれば『非人道』の日本に『非人道』で糾弾されれば日本が被害者になりアメリカが加害者になるのです。
アメリカにとって何十万人もの民間人を殺害した以上は、それを正義と言い切るならば、それなりの仕組みが必要だ。
その為に必要な仕組みこそが、日本を悪とし戦争に纏わる全ての被害は日本の責任で、世界は日本の行いの被害者だとし、だからこそ日本は間違った戦争をやった。
日本の戦争は世界に特殊な戦争を仕掛けた。
それをすり込む為に、日本人に自由な言論を認める訳にはいかず、アメリカ批判、日本擁護を検閲によって徹底的に排除したのです。
日本に蔓延る反日はアメリカの刷り込みそのままで、歴史の真実を直視しない、直視しないのは大虐殺への恐れであって論理的な主張ではありません。
その根底には「私だけは死にたくない」と言う論理があり戦前に白人が行ってきた植民地支配の「お前達、死ぬよりはマシだろう」と言って命だけは助けてやるから言う事を聞けという行為を肯定してしまうことになります。
つまり都市空爆や原爆で殺されるくらいなら支配されても生きていたい!
そう言っているのです。
ですから、僅か13歳の少女が拉致されても自分は拉致もされず、命の危険もない。
だから、あまり波風立てずにいよう!
「抗えば私の命が危なくなる」
だから見て見ぬふりをしておこう。
民族の誇りや自決権を棄てても生きていたい。
その考えは個別主義であって、先の大戦は世界が個別主義であったからこそ激突したのは明白です。
そこを考えれば大東亜共栄圏や大東亜会議の考え、更に我が国が突入した戦争の、我が国の光が見えてくるものです。
先の大戦後、東と西に世界は割れて冷戦と呼ばれる冷たい時代と新たな戦争を始めました。
我が日本もその中に巻き込まれ『西側』、つまりアメリカサイドとして戦ったのです。
東西冷戦期ならば、西側リーダーのアメリカに任せておけば良かったのです。
だから、日本は何もしなくて良かった。
しかし、その東西冷戦がソ連崩壊と共に終結すると勝ったはずの西側も壊れ始め、新たな勢力が勃興を始めます。それが支那です。
支那の恐れは、常に他民族に侵され続け一環した民族がない。
今ある民族は、明日には他民族にとって代わる。
そんな歴史を繰り返しているからこそです。
今ある中華人民共和国と言う国も、いずれ誰かにとって代わられるのではないか?
その恐怖心が、外へ外へと向かわせているのです。
周りに支配地域を作り、自らを滅ぼす恐れのある民族を支配しておこう、かつて自国を支配していた民族を取り込んでおこうとしているのです。
反日の根幹は恐怖心から来るもの
韓国の反日も、自らの足で歩いた事がない経験不足から来る不安感で、その恐怖心の根底には『誰か支えて欲しい』と言うものではないか?
支那にしても、朝鮮にしても、米国にしても自らの足で歩き、2000年を超える文化や伝統を築き無闇に殺し合いをせず、他者を尊重して生きる民族が極東にある。
ふと、考えると自分達には歴史もない、民族も一環しない、利己的で民は支え合うこともしない。
そして極東の民族は、人は皆平等だと言ってはばからない。
そんな民族が世界を席捲したなら、自らの存在意義を見失うのではないか?
かつて、薩摩藩と英国が起こした薩英戦争は、我々日本人は近代的な英国に薩摩藩がコテンパンにやられた!
そう教えられたけど、実は世界の評価は違います。
たとえ瀕死でも、抜刀して襲いかかる薩摩武士。
刃が触っただけで切り落とす程の切れ味を持った日本刀。
その武士の精神と、最高の技術で作った刀。
実際の被害は英国の方があった。
世界は恐怖したのです。
薩摩武士の様な人々が、日本全国隅々にまでいて、これを倒さねば日本を支配出来ないのか?
たった3丁、置いて帰った火縄銃を日本人は研究し更に性能が良い銃を何千丁と作ってしまう。
世界は恐怖心を覚えた事でしょう。
世界は日本が本気になる事に未だ恐怖しています。
2000年を超える歴史をもち、民の為に生きる皇帝を戴く日本。
日本は世界を何度も驚かせ、恐怖心を抱かせて来た国
日本は強いのです。
反日の根幹は恐怖心。
恐怖心の根底にあるのは「日本にしかないものへの恐れ」ではないかと私は考えます。
上手く戦後を乗り切ってしまい、結果として世界のイニシアティブを取ってしまい、基軸通貨にすらなってしまいました。
自らが日本の戦争を糾弾すれば、それはそのまま自身に返って来る事を知っているのです。
その為に『日本悪』を刷り込みました。
その日本悪論の刷り込み、そのままなのが『反日日本人』ではないでしょうか。
戦争とは一つ一つをぶつ切りに考えていては理解出来ません。
我が国は先の大戦だけを取り上げて日本は間違った戦争をしたと言って日本の戦争を『特殊な戦争』として議論を避けています。
それでは何も理解出来ません。
先の大戦はむしろ、その前の第一次大戦の処理の失敗、国際連盟なる意味のない組織、それらが重なり第二次世界大戦へと繋がっているのです。
いわゆる日本のリベラルというのは、米国の刷り込みそのままで、リベラルとは言えません。
アメリカの嘘を覆い隠す為の日本悪論に乗っかるだけ、つまりアメリカの『恐怖心』による反日を声高に主張しているだけです。
私には、それは白人の大虐殺の歴史への恐怖心があるのではないだろうか?
そう思えて仕方ありません。
抗えば白人の大虐殺に会うから、日本は何もするな
そう聞こえてしまいます。
それは世界の平和には『大虐殺』が必要で、それが正しいのだ!
非人道的手段もアメリカが行えば正しい!
私は日本が全て正しいとは申しません。
そんなつもりは夢ありません。
しかし、必ず光の部分はあるのです。
戦後、世界の植民地支配はなくなり人権について世界は考える様になりました。
我が国が解放した訳ではない。
我が国は、その機運を作ったに過ぎません。
しかし、アジアやアフリカでの植民地支配、奴隷解放に寄与した事は間違いありません。
そして女性の参政権も戦後出来たものです。
民主主義を標榜するアメリカですら、女性参政権は戦後の事です。
原爆や都市空爆を非人道的と指摘される事は、米国としては何としても避けなければならない。
邪悪で野蛮な非人道国家日本を降伏に追い込んだという大義名分がある。
民間人虐殺はその大義名分に矛盾してしまいます。
連合国からすれば『非人道』の日本に『非人道』で糾弾されれば日本が被害者になりアメリカが加害者になるのです。
アメリカにとって何十万人もの民間人を殺害した以上は、それを正義と言い切るならば、それなりの仕組みが必要だ。
その為に必要な仕組みこそが、日本を悪とし戦争に纏わる全ての被害は日本の責任で、世界は日本の行いの被害者だとし、だからこそ日本は間違った戦争をやった。
日本の戦争は世界に特殊な戦争を仕掛けた。
それをすり込む為に、日本人に自由な言論を認める訳にはいかず、アメリカ批判、日本擁護を検閲によって徹底的に排除したのです。
日本に蔓延る反日はアメリカの刷り込みそのままで、歴史の真実を直視しない、直視しないのは大虐殺への恐れであって論理的な主張ではありません。
その根底には「私だけは死にたくない」と言う論理があり戦前に白人が行ってきた植民地支配の「お前達、死ぬよりはマシだろう」と言って命だけは助けてやるから言う事を聞けという行為を肯定してしまうことになります。
つまり都市空爆や原爆で殺されるくらいなら支配されても生きていたい!
そう言っているのです。
ですから、僅か13歳の少女が拉致されても自分は拉致もされず、命の危険もない。
だから、あまり波風立てずにいよう!
「抗えば私の命が危なくなる」
だから見て見ぬふりをしておこう。
民族の誇りや自決権を棄てても生きていたい。
その考えは個別主義であって、先の大戦は世界が個別主義であったからこそ激突したのは明白です。
そこを考えれば大東亜共栄圏や大東亜会議の考え、更に我が国が突入した戦争の、我が国の光が見えてくるものです。
先の大戦後、東と西に世界は割れて冷戦と呼ばれる冷たい時代と新たな戦争を始めました。
我が日本もその中に巻き込まれ『西側』、つまりアメリカサイドとして戦ったのです。
東西冷戦期ならば、西側リーダーのアメリカに任せておけば良かったのです。
だから、日本は何もしなくて良かった。
しかし、その東西冷戦がソ連崩壊と共に終結すると勝ったはずの西側も壊れ始め、新たな勢力が勃興を始めます。それが支那です。
支那の恐れは、常に他民族に侵され続け一環した民族がない。
今ある民族は、明日には他民族にとって代わる。
そんな歴史を繰り返しているからこそです。
今ある中華人民共和国と言う国も、いずれ誰かにとって代わられるのではないか?
その恐怖心が、外へ外へと向かわせているのです。
周りに支配地域を作り、自らを滅ぼす恐れのある民族を支配しておこう、かつて自国を支配していた民族を取り込んでおこうとしているのです。
反日の根幹は恐怖心から来るもの
韓国の反日も、自らの足で歩いた事がない経験不足から来る不安感で、その恐怖心の根底には『誰か支えて欲しい』と言うものではないか?
支那にしても、朝鮮にしても、米国にしても自らの足で歩き、2000年を超える文化や伝統を築き無闇に殺し合いをせず、他者を尊重して生きる民族が極東にある。
ふと、考えると自分達には歴史もない、民族も一環しない、利己的で民は支え合うこともしない。
そして極東の民族は、人は皆平等だと言ってはばからない。
そんな民族が世界を席捲したなら、自らの存在意義を見失うのではないか?
かつて、薩摩藩と英国が起こした薩英戦争は、我々日本人は近代的な英国に薩摩藩がコテンパンにやられた!
そう教えられたけど、実は世界の評価は違います。
たとえ瀕死でも、抜刀して襲いかかる薩摩武士。
刃が触っただけで切り落とす程の切れ味を持った日本刀。
その武士の精神と、最高の技術で作った刀。
実際の被害は英国の方があった。
世界は恐怖したのです。
薩摩武士の様な人々が、日本全国隅々にまでいて、これを倒さねば日本を支配出来ないのか?
たった3丁、置いて帰った火縄銃を日本人は研究し更に性能が良い銃を何千丁と作ってしまう。
世界は恐怖心を覚えた事でしょう。
世界は日本が本気になる事に未だ恐怖しています。
2000年を超える歴史をもち、民の為に生きる皇帝を戴く日本。
日本は世界を何度も驚かせ、恐怖心を抱かせて来た国
日本は強いのです。
反日の根幹は恐怖心。
恐怖心の根底にあるのは「日本にしかないものへの恐れ」ではないかと私は考えます。