犬神スケキヨ~さざれ石

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大日本帝国の国家戦略~6

2016-05-19 15:00:10 | 大日本帝国
今回は富国強兵を素早く遂行する為に我が国が取った手段を見てみます。

維新から5年

富国強兵を成すには、どうすれば良いか?

明治新政府が最優先課題として取り組んだのがインフラ整備だったのです。

特に交通機関の整備は不可欠です。

そこで最優先で作られたのが鉄道です。

19世紀というのは鉄道の時代でもありました。
19世紀前半にはイギリスで初の商用鉄道が開業しました。
その後、フランス、アメリカ、ドイツと鉄道建設ラッシュが始まりました。

19世紀中頃から後半には中東、インド、オーストラリアなども相次いで鉄道が開通します。

鉄道という強力なインフラは産業構造を劇的に変化させます。

鉄道の有用性については、かねてから気づいていた明治新政府は維新直後から鉄道建設に向けて動き出します。
そして維新から僅か5年。
明治5年(1872)品川~横浜間の鉄道開通を成し遂げました。

これは世界きら見れば画期的なことです。

欧米以外の国で自力で鉄道建設したのは日本が初!

当時既に支那やオスマントルコでも鉄道は開通していましたが、それは自国で建設したものではありません。
外国の企業に鉄道の敷設権や土地の租借権を与え、その企業の資本で建設したものです。
もちろん鉄道運営は外国企業です。

しかし、日本は技術こそ外国からの輸入でしたが、建設の主体はあくまで日本、運営も日本自身で行なっています。

明治新政府の鉄道計画が持ち上がったのは明治2年11月。
朝議において東京と京都を結ぶ幹線と東京から横浜、京都から神戸、琵琶湖から敦賀港の4路線の敷設が決定しました。

新政府は鉄道の資金を広く日本から集めようと考えます。
しかし、それにはまず「鉄道とは何か」を国民に知らしめねばなりません。

そこで明治新政府はロンドンで外国公債を発行します。
資金調達に成功するとデモンストレーションとして新橋~横浜間から建設を始めました。

工事は朝議の翌年には開始され、沿線住民の反対などもあったけれど、2年後の明治5年5月新橋~横浜間29kmの仮運転にこぎつけます。

鉄道開通と共に沿線には連日見物人が押し寄せます。

日本人は鉄道の利便性に気づくのでした。

新政府の狙い通り、各地の商人や実業家達がこぞって鉄道建設を始めるようになります。

明治14年(1881)日本初の私設鉄道会社「日本鉄道」が設立されます。

土地の収容、工事代行など新政府の手厚い保護を受け、10年後には上野~青森間を開通させました。

明治20年代には日本鉄道に続けとばかりに各地で民間鉄道会社が勃興します。
日本の鉄道網は勢いよく広がります。

初開通から僅か35年、明治40年には日本の鉄道の営業km数は9000kmを超える事になりました。

運命の分かれ道

当時アジア諸国にとって、鉄道を自国で作ることには重要な意味がありました。

まず「国力の増強」

鉄道のある国と、ない国では産業構造が全く異なります。
流通が発達していないと、生産者はモノを広く売ることが出来ません。
消費者も色々なモノを買う事が出来ません。
したがって生産も消費も拡大しません。
必然的に産業は発展しません。

しかし、流通が発達すればモノを売る範囲が飛躍的に広がります。
市場も拡大し、生産量またむ増えます。

また鉄道は国内の飢餓問題を解決する手段にもなります。

ある地域が凶作になった場合でも他の地域からスムーズに輸送出来ます。

実際、鉄道が開通する前の日本では流通不備の為に悲惨な状況になることがありました。

明治2年には東北、九州地方が凶作に陥ったけれど、他の地域は豊作。
或いは例年並みでした。

余剰の米を抱える地域もあったのですが流通が上手く行かずに東北、九州地方では米価の高騰を招きます。

こうした問題から国民も鉄道に対して大きな期待を寄せるのです。

明治18年(1885)資本金払い込み総額は713万6千円でした。

これは日本の工業に関する全ての企業への資本金払い込み総額777万1千円と同じぐらいの資本金が鉄道事業に投入されたことになります。

また明治28年には鉄道会社への資本金払い込み総額は7325万3千円になり、工業全企業への払い込み総額5872万9千円を大きく上回るのです。

当時の鉄道会社の規模は日本に全工業規模よりも大きかったということです。

この傾向はしばらく続き、工業全体の資本金払い込み総額が鉄道会社を超えたのは日露戦争だったのです。

明治の日本の産業は鉄道網の広がりに応じて発展するのでした。

鉄道を自国で作ることのもう一つの意味は外国に自国の基幹産業を握らせない為でもあります。

欧米諸国にとって、鉄道は一つの侵攻ね手段にもなっていました。

外国企業に鉄道を作らせた場合、先に述べた様に鉄道関連施設の租借権を与えることになります。
欧米諸国はこの権利をキッカケとして領土に侵攻するケースが多々あったのです。

例えば、支那から満州における鉄道敷設権とそれに付随する土地の租借権を得たロシアは、それを盾に満州全土に兵を進めました。

日露戦争に勝利した日本も満州鉄道の権利を譲り受けて、それをキッカケに満州に兵を進めました。そして満州を独立させた。

外国に鉄道を作らせた場合、それだけ危険を伴うという事です。

外国からの侵攻を防ぐ意味でも、この自国建設の鉄道は重要なことだったのです。

飛躍的に高める

鉄道建設は軍事力を高めることにもなります。

鉄道網の発達は、兵の動員を素早く行うことが出来ます。

その国の軍事力というのは、単に保持してる兵力だけでは測れません。
どれだけ素早く兵力を戦地に運べるか?
輸送力も重要な要素です。

100の兵力を持っていても、戦地に半分しか送れないならば、その兵力は50となってしまいます。

逆に50の兵力全てを素早く戦地に送れたなら、輸送力のない100の兵力の国ね対抗することも出来る訳です。

また戦地が一箇所ではない場合も、100の兵力しか動かせず他所への移動が出来なければ意味がない。

しかし素早く兵力を輸送出来れば、少ない兵力を2倍、3倍に活用出来ます。

兵力×輸送力がその国の本当の軍事力となるのです。

明治政府は、そのことをよく理解していました。
鉄道建設も常な「軍事力を高める」ということを念頭に置いて進めていました。

鉄道特許条約書24条「非常の事変乱等の時に当ては会社は政府の命に応じ、政府に鉄道を自由せしむるの義務あるものとす」

交通網整備は大陸での有事に対応することも視野に入れていました。

日本軍の特徴であった素早い動員も、地道な努力の上に成り立っていたのです。

先達への感謝

2016-05-17 10:00:37 | 草莽崛起
日本はなぜ、アジア諸国から尊敬されているのか?

何故、此れ程に感謝されるのか?

いきなり、そんな話しをすれば「日本は世界から感謝されてない」とか「アジア諸国は日本を恨んでいる」と言う人がいます。

逆に何故、恨まれのか?
恨まれる様な事があるのか?

これを客観的に的確に明確に根拠を示して答えられる人を見たことがありません。

「だって、アジアを侵略したじゃないか」

これこそ刷り込みの思い込みです。

日本はアジア諸国を侵略していません。
何故なら、世界は白人の植民地でアジア諸国は白人の国だったからです。

アジア諸国の人々は白人領の住人であった訳で、日本はその現地人と戦った訳ではないからです。
もちろん白人の手下とならざるを得ず、白人の為の兵士となってしまった人々はいました。
その人々とは戦闘にはなったけれど、例えばインドネシアと戦った!ということではありませんね。

アジア諸国の独立

日本が感謝されるのは、日本自らの独立と共にアジア諸国の独立も実現しようと戦った!
それをアジア諸国がよく知っているからです。

アジア諸国の中で日本が侵略した!とか言っているのは支那と朝鮮だけです。

日本がアジア諸国の独立を支援していた証拠はいくつもあります。

終戦間際「間も無く日本は降伏する」となり、敗戦を目前にして現地日本軍はスカルノ達を集めます。
スカルノとはご存知「インドネシア初代大統領」です。

スカルノは当時は言わばゲリラの親玉みたいな存在でした。

日本軍はスカルノに「日本は間も無く降伏する、降伏したらすぐに独立宣言しろ」と勧めます。

更に「我々は間も無く引き揚げるが、武器弾薬をみんな置いていくから、すぐに独立宣言をしろ!我々が引き揚げた後に大切なのは、独立する気持ちと君たちの軍隊だ!」と言ったのです。

現地の少年たちにも日本軍は事前に軍事教練をしています。

兵隊の補欠と言う意味の「兵補」と言う資格を与えて、日本軍の補助部隊にしていました。
きちんとした訓練を受けさせていたので、独立後も重要な戦力になります。

「俺たちが負けて引き揚げた後もお前達は戦え!オランダ人が来たら独立の為に戦え」と言った。
けれど、兵補達は「言っている事は理解出来ますが、戦争をどうやるのか解らない」と答えます。

そして日本軍の中には「わかった!それじゃ俺はここに残って、独立軍の指揮官でも手伝いでもしてやる。どうせ日本は焼け野原だ。お前達の為に命を捨てても構わん!」という人が沢山いました。

そして数千名の日本人が残ってインドネシア独立の為に命を捧げたのです。
戦後も日本軍はアジア諸国独立の為に戦っていたのです。

この話しを見ても日本に侵略する気などなかったとわかります。

法律的に見ても、侵略などではなく独立支援することが決まっていました。

日本は開戦前の昭和16年春に南方軍政要領というものを御前会議を開いて決定しています。

当面は軍政を布くけれど、日本の占領は暫定的なものであり、将来は独立させると書いてあります。

その『軍政要領』はマレー、ビルマ、インドネシア、フィリピンの国別に、国情に応じて異なる要領になっています。

当初は軍人が入って治安回復をやるが、治安回復した時点で軍属が派遣されて独立の準備をする。
軍属とは軍人と民間人の中間的な存在です。
資源開発やら産業振興、行政から裁判までやるのです。

アジアの目覚め

日本が独立支援するまではアジア諸国の人々は独立のことなど考えていませんでした。

「我々は二流国だから、どこかの国に占領されるのは慣れている。独立と言われてもイメージが湧かない」そう考えていました。

そして「第一の希望は、支配者が長続きすることで、ちょくちょく変わらんで欲しい」と考えるのです。

マレーにしても「イギリス支配から日本支配に変わるのは構わない、日本語に変えなくて良いというし、そのまま英語が使える。しかしこの後、日本が負けて支配者が変わるのは困る」

これが当時のアジア諸国の実情です。

親日という訳ではないけど、支配者が変わるのは困るので日本には負けないで欲しい。

日本は軍政要領で現地の独立支援を考えていたから、現地との意識のズレはあったようです。
しかし、日本が一時的に占領した事で、現地の意識は変わり日本に感謝し、日本を支持するようになっていったのです。

インドネシアにしても独立支援を行なって来ました。

日本が降伏した翌日には、日本軍はスカルノと独立宣言の打ち合わせをやっています。
スカルノは8月17日にはすぐに独立宣言をしています。

この独立宣言文の日付には皇紀が使われています。
さらにこの打ち合わせでは国旗も決めています。

独立宣言を出しておくのは非常に重要なことです。

アメリカを見れば、北米大陸では移民達は軍隊を作り、イギリスに対し独立運動をやって独立宣言をしました。

テキサス辺りの移民達はメキシコからの独立を目指してアラモ砦で戦い、テキサス共和国として独立宣言をしました。
「ここはテキサスだ!独立したぞ!」と言えば独立国となる。
独立宣言とは重要な事なのです。

日本はよく解っていた。だから、スカルノに即座に独立宣言をするように勧めたのです。

自分達の力で独立させることが目的だからです。

日本は日本が退いた後こそ重要と考え、日本式を押し付ける事はせず現地のやり方を確立できる様に支援したのです。

これは欧米白人達とは全く違うのです。

武士道

日本は第一次大戦のときから独立支援を方針としていました。

第一次大戦後に出来た国際連盟にて、敗戦国ドイツの領土分割についての話し合いで、日本から国際連盟に赴いていた新渡戸稲造は「日本はそういうことはしない」と言った。
そして委任統治という制度を作りました。

新渡戸稲造は国際連盟事務次長として中心的役割を果たしていたから「日本は委任ならば受けて良い、ただしそれは将来の現地独立の為である」と日本のやり方を主張したのです。

そして国際連盟に委任統治制度を認めさせました。

この時、受けたのがパラオ、トラック、サイパンなどです。

これは日本の植民地などではなく「一時預かり」ということです。

一時預かりですから、預かる時期は短い方が良いと考えていました。
この一時預かりのうちに、小学校を作って現地教育をしたり、運動会をしたり、日本の歌なんかも教えたりしました。

委任統治にあたり日本は現地調査をしています。
役人が現地に行って克明な報告書を書いてもいます。

ドイツが南洋諸島を占領したのはフランスと競ってアジアに進出した一環です。
ドイツは南洋諸島を流刑地にしていました。

ドイツ軍艦が時々来ては流刑人を置いて行くのです。

委任統治を引き受けた日本は、この南洋諸島の独立支援を考えていたので、学校を作り教育をしました。

日本敗戦後、アメリカは日本を追い出し南洋諸島に対して援助物資を山の様に配り、現地が働かなくても食える様にしたのです。
黙っていても援助物資で「飲めや歌えや」の骨抜きにしてしまった。

働かず援助物資で食っていては独立など出来ません。

日本の委任統治で日本の教育を受けていた人々は「アメリカのやり方は間違っている」考えていました。

本当に現地の事を考え、現地の力で独立出来る様に支援していたのは誰か?
それが日本だとわかった。

パラオには2015年、我らが天皇陛下が訪問されペリリューで慰霊碑に献花なされた。
現地では大歓迎されました。

あれほどの大歓迎は天皇陛下に対する思いと共に、日本人が現地の事を本当に真剣に考え独立支援をしたことへの表れです。

その日本人とは、我々の先達。

我々は先達の遺産で生きているのです。

皆様、ゆめお忘れなきように。

古事記を摘んで日本を知る!34

2016-05-16 13:02:07 | 古事記
前回は建御雷神がやって来ましたね。

いよいよ話しは佳境を迎えそうですよ!

では古事記の世界へ参りましょう。

立場をわきまえろ

大国主神は国作りをしてきましたね。

しかしです。

一体、誰の許可を得たんだ?て、話しです。

本来、地上世界も天照大御神がシラス世界であって「君ね、国作りしてるみたいですけど、それウシハいてるだけですよ!わかってんの?」
そういうことです。

そうでなければ「国譲り」の正当性が無くなってしまいます。
大国主神がシラス国だと、シラス国を横取りする話しになってしまいます。

ですから大国主は最初からウシハク存在であって、シラス存在ではないと言う事です。

そもそも天照大御神と大国主神は赤の他人ではありません。
遡れば国譲られる神と譲る神は親族です。

大国主神は須佐之男命の六世孫です。

古事記編纂同時の皇位継承の決まりごとは五世までしか相続権がないのです。

そう考えると、六世孫の大国主神には相続権がない!と見ることが出来ます。
大国主神は親族だけれど皇位継承権を持たないポジションです。

これは幾ら良い国を作りあげ様と天皇にはなれない、その立場にはないということです。

しかも須佐之男命の様に何でも自分で切り開く様な神でもありません。
実はダメダメで、色んな人からの助けを借りて今のポジションになったのです。

つまり大国主神はウシハク者であって決してシラス者ではありません。

だから、ここで今一度ハッキリさせておく必要があるわけで。
そこで建御雷神は「君、この世界は天照大御神がシラス世界で君の国は君がウシハクだってわかってるかな?」と問うたのです。

これは日本の統治の根幹を示しているのです。
古事記とはこういう王朝が生まれたきっかけを明確に記しているのです。
これが国柄というものです。

作法の逆は

そう問われた大国主神。

「私一人じゃ答えられません」とスッとぼけます。
いやいや君に聞いとんねん!

「ウチは息子がいますんで、息子に聞いてもらえませんかね?」とか言い出します。

なんでそんな事を言い出したのか?
時間稼ぎでしょうか?
或いはもう代替わりを考えてたのか?
理由はよくわかりません。
しかし「息子に聞いてくれ」と。

そこで息子である八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)に同じことを聞いてみます。

そうすると「オッケー!私の国差し上げま~す!」

そんな簡単で、ええんかい!

そこで八重言代主神は船を踏んで傾け天の逆手という柏手を打って船を青柴垣に変えて、その中に隠れてしまいます。

天の逆手とは逆の作法らしいです。
普通、柏手は手のひらと手のひらです。
しかし、逆手というからには手の甲を合わせるんじゃないでしょうか。

これで船が青柴垣に変わってしまいました。

青柴垣(あおふしがき)というの竹を編んだ様な筒で、魚が一度入ったら出てこれなくなるという漁具です。

そこに隠れてしまった…という摩訶不思議な話しです。

なんか不貞腐れた感じでしょうか。

「あぁそうですか!じゃ持ってけよ!」みたいな感じでしょうかね。
「俺は青柴垣に隠れてもう出て来ねーからな!」
そんな感じです。

呪い

逆さまの作法というのは呪いです。

右手の握手は「また会いましょう」。
左手の握手は「今生の別れ」。

普段と違う作法は一種の呪いなんですね。

いつもと違うことをやると、流れが変わってしまったりします。
良くも悪くも変えてしまいます。

普段は赤い服を着ていて、それで馬券を買っても当たらないから、今日は黒を着て行ったら万馬券を当てた!とか。
これも普段と違うことをやって流れが変わった例ですね。

逆に昨日万馬券を当てたから、昨日と同じ服、同じ窓口で買うと当たる気がする!
これは、同じ流れを継承するということです。

国生みの時も女性から声をかけたら上手くいきませんでしたね。
それで男性から声をかけたら上手く行った。

逆の作法は良くも悪くも逆の結果を生み出すのです。

みなさんも実践してみてはいかがでしょう?

早く帰って欲しい客とか、押し売りセールスみたいなのとか、そんな人が来たら天の逆手でパチパチ柏手を打ってみましょう。
それで塩なんかまいてみたら良いかもしれませんよ。

ただ、そんな人は単に気持ち悪がられるだけかもわかりませんがね。




素晴らしきかな日本!

2016-05-15 00:40:36 | 草莽崛起
今日は京都地ビール祭りに行ってまいりやした。


ものすごい賑わいでした。

よう飲んだ

日本全国から地ビールメーカーが集まり、飲み比べが出来るのです!


食べ物も充実してましたよ!


此れ程に人も溢れかえり、飲み物食べ物がいっぱい。
なのに道にはゴミ一つ落ちていない!

これが支那なら、食べカス、ゴミ、それどころか糞尿まで散らばっているでしょう!

さすが日本!我が祖国!

これが我々の暮らす国です!

だれもゴミなど捨てません!
分別されたゴミ箱さえ置いて置けば、皆そこにキチンと分別して捨てる。
そんな国と国民は世界に日本だけです。

何故そんなに素晴らしいのでしょうか?

ロジカル&ポエム

昨年、安倍晋三首相は米議会で演説をしました。
自由、民主主義、信頼、友情、希望。

これらをテーマにした演説でした。

素晴らしい内容とは言えますが、他方見方を変えればありきたりでもあります。
しかし、このありきたりが大好きなアメリカ人にはウケたのは事実です。

しかし、これからはもう日本の理念を語らなければなりません。

世界の秩序は明らかに変わり、白人が支配する時代は終わるからです。
世界の警察を標榜したアメリカはもういません。

戦争に勝った国が世界を牛耳る時代は終わる

我々は我々の「日本人論」を語らなければなりません。

明治維新以後、日本は欧米型の教育を取り入れて来ました。
それを続けた結果「勉強の秀才」ばかりを作って来ました。

白人、戦勝国、欧米の価値を超えた日本の価値を語れなくなってしまいました。

「日本人とは何か?」

この問いに、江戸の国学者本居宣長(もとおりのりなが)はこう答えます。

敷島の大和心を人問はば
朝日に匂ふ山桜花


しきしまの、やまとこころをひととはば、あさひににおふ、やまざくらばな

こう詠むのです。

この和歌で解るはずだ!
そう考えるのです。

本居宣長はロジカルで答えず、「詩」で答えたわけです。

今の教育に欠けているのはここです。

偏差値教育に偏り、その前の出題すら偏ります。
この違和感たるや。

以前にも拙著ブログにて書きましたが、試験に強い教育が現在の教育です。
良い点数を取るなど簡単です。
出題者、採点者が望む答えを書けば良いだけ。

二本立ての考え

古事記を読んでいても、重要な場面では短歌を詠みます。

これが日本の伝統でもある訳です。

国学者ですら歌で答えるのです。

日本人というのは「ロジカル」と「ポエム」の二本立てで物事を理解する民族なのです。

戦前にも昭和天皇は自らの想いを明治天皇の御製「四方の海」を詠まれてお示しになられました。
御前会議、それも戦争をするか否かの大事な場面で短歌を詠み示されたのです。

しかし、欧米の大学を見ても「ロジカルシンキング」しかありません。
そんなものだけでは人間社会は行き詰まります。

古来日本では、この和歌を詠むのはインテリの必須条件です。

古来の支那にもこの感覚がありました。
琴を弾いて感動させ、碁を打って感動させ、書を書いては感動させ、絵を描いて感動させる。
これを「琴棋書画」(きんきしょが)と言います。

「理屈だけではない」

そういう考え方が古来支那にも日本もあった。

日本には「大御心に一任する」というものがあります。
これも理屈を超えた先にあるものです。

自分でも考えはするが。最後は大君にお任せする。

ロジカルシンキングの天才が、考えて考えて考え尽くした末、最後に言うのです。
「天皇に帰一する」

天皇に帰一するとは?
それは天皇に帰り一つになると言うことです。

天皇陛下におかれては「帰一」したいと思われる人徳を磨かねばなりません。
こんな事は頭が良い、試験に強いだけの秀才になるよりも困難な事です。

天皇は人徳を磨く、下の者は天皇に帰一する

それを二千年以上もずっと続けて来た。
ずっと統一して来た。
それは理屈で語れないレベルに達しているのです。

ローカル

統一された日本。

そうは言っても理屈を捏ねて考えるならば、日本にはローカリズムというのはあります。

例えば、近畿だけ見ても京都と大阪と神戸は全然違います。
同じ関西の言葉を話すのですが、しかし違いはあります。

職業だって細かく分けられる。

「百姓」という言葉も、別に農民を指している訳ではありません。

百の姓があるという事で、数多ある職業を「百姓」という総称で括っただけの話しです。

様々な職業、様々な姓、様々な地域性。
日本というのは様々な違いがあるのです。

日本という国は違いを認める、つまりは「多様性」を認める国柄であるという事です。

取り入れた二千年

明治維新以後、西洋学問を取り入れ教育してきましたが江戸時代には「国学」というものがありました。
日本古来の神道の精神を教えていました。

その前は漢学というものもありました。
漢学というの支那の儒教です。

平安時代、菅原道真の頃あたりには「漢字で勉強すれば高級」なんて事を言って「漢字で手紙を書けたら国際人」とされていました。

その前は「仏教」、飛鳥や奈良時代には仏教の教えが広がったのです。

こういう歴史があるから日本人の考えの中には仏教、漢学、国学がミックスされています。

近年は国際人と言うと「英語」が話せるとか、なんだか欧米かぶれしているような人間が国際人とか言われる始末です。

実際には「英語はペラペラだけど、家に帰ればドテラでこたつ」なんて人が何十年も海外生活してたりします。
むしろ、こんな人こそ国際社会で活躍するのでしょう。

仕事上、便宜上、外国に合わせてはいるけれども、一皮剥けば日本人丸出しです。

そういう事も含めて、それやこれや合わせて日本人と言うことです。

現在の日本はどうでしょう?

えらく単純で多様性を全く考えない分類が多いと感じます。

これから世界の秩序が変わって行く中で、我々日本人に役割は大きい。

我々は世界の中心へと躍り出ます。
その中にあって根本の日本人とは何か?を考えなければなりません。

日本には二千年を超える歴史があります。
単純な分類では捉えることは出来ません。
様々な側面があることを我々日本人が理解しておかなければなりません。

例えば、アメリカなどは建国から240年程度しか歴史がありません。
それ以上に遡る事は出来ません。

「私の先祖はフランスから来た」とか「アイルランドだ」とか言っても、フランス感もアイルランド感もありません。

名前だけはフランス系とかアイルランド系とか、或いはドイツ系とか、その程度で実質何もありません。

しかし我々の日本には日常生活の中に海外のものから、あらゆるものを含め色々な内容のものが詰まっています。

そういうものが無意識のうちに日本人の考え方の中に入っているから、一人の人間が五つも六つもの事を理解するのです。

仏教も神道も、キリスト教もイスラム教も全て理解できます。

この多様性こそが日本、そして日本人の特徴なのです。

その多様性を身につけるのに、千年とか二千年とかかかっているのです。
その長い長い時間かけて身につけている事こそが我が国の国柄となっているのです。

歴史の浅い国には絶対に真似は出来ない!

間違いなく日本の中からとんでもない天才が現れる!

あのアインシュタインを凌ぐ天才が現れます。

しかし、日本人は奥ゆかしく「自分は天才だ」とは言わない。

けれど、近年毎年の様にノーベル賞を日本人が取っている事実。
「これからは日本人ノーベル賞受賞者が続出する!」と欧米人も言い出しました。

もう世界は日本を認めざるを得ません。

ノーベル賞を始め、その世界の在り方事態がそもそもおかしかったのです。

我々日本人は、その責任を自覚する時代に来たのではないか?

私はそう思います。

俺の権利を侵すな!

2016-05-12 17:18:38 | 草莽崛起
去る5月11日は

私とサルバドール・ダリの誕生日でございました。

サルバドール・ダリと言えば、このような作品を作っていた芸術家です。

私も大好きな芸術家で、誕生日が同じとは光栄です

ノーベル平和賞

またもやアホの反日左翼の連中は今回も我々日本人にとって屈辱の「憲法9条」をノーベル平和賞に推薦しました。

これで3回目で、今回も受理されてしまいました。

そもそも、ノーベル平和賞なるものは政治的意味合いが強く、我々が考える「平和」の概念とは違います。

世界を、或いは紛争地を平和にしたから「平和賞」あげる!
と、言うものではありません。
むしろ、紛争がある、争いがある、未だ実現していない事柄に対して受賞させることが多々あります。

このノーベル平和賞への推薦をした反日左翼団体並びに野党議員などの代表は「憲法平和への国民の機運が高まって来た」と発言しています。

完全に頭が狂っています。

平和?

憲法9条が平和の為に生かされているなら、それが現実ならば世界は皆同じ憲法を掲げるはず。
しかし、こんな憲法を持っているのは日本だけです。

日本は平和なのか?

平和とは何か?

これに答えられた人を私は知りません。

平和なる曖昧な概念と文言をふりかざせば何をやっても良い!
その様に考える人々がいます。

平和とは何でしょうか?

「日本は平和だ!」と考える人がいたら、頭の検査を受けることを勧めます。

我が国は平和ではありません。

平和ならば竹島で44人も殺されません。
平和ならば拉致被害者もいません。
平和なら外国からやって来て日本人と同じ権利をよこせと言われません。

では、平和とは何でしょうか?

むしろ憲法9条のおかげで拉致や竹島や在日の問題が起きているのは明らかです。

平和と言うなら、例えば横田めぐみさんは一体何でしょうか?
他の拉致被害者は一体何でしょうか?

立憲主義

憲法96条には憲法の改正事項が明記されています。

手続きを踏めば憲法を改正して良いのです。

それを、クソ反日団体は「改正するな!」と言っているのです。

その上で「ノーベル平和賞」と言う外国の手を借りて輪っかを掛けて改正を阻もうとしています。

よくアホの左翼団体は「立憲主義」と言う言葉を叫びます。

これは日本以外の諸外国においての「王政」に対して言う事であって、日本は王政ではありません。

例えば、西洋における王は絶対君主であるが為に好き勝手をやりかねない。
ウシハクとシラスです。
だから、それを縛る為に憲法を作り王様の動きを封じるのです。
それを「立憲主義」と言うのです。
ウシハクには「立憲主義」と言う事です。

我が国は王様はいません。
おられるのは天皇陛下です。

我々の天皇陛下は政治に関わりません。

絶対君主でもありません。

それは我々の天皇陛下はウシハクではなくシラスだからです。

つまり暴走などしないのです。

また、明治天皇陛下、大正天皇陛下、昭和天皇陛下においても間違いなく憲法を正しく理解され従われて来ました。
今上陛下においても同じで、更に天皇陛下を始め皇族方は皆様、憲法を必ず守っておられる。

政治に関わらない、憲法を必ず守る我々の皇帝は暴走などしないのです。

ですから私は、日本における「立憲主義」は必ずしも正しいとは思いません。
そもそも現憲法は我々日本人が作ったものではありません。
我々日本人の理念ではない。
それを絶対と言うならば、それは作ったアメリカが絶対だ!と言う事です。

そう言うならば

二言目には「立憲主義」とか言う腐れ政党民進党のコレまた、アホ議員小西某などは「立憲主義」を理解出来ていません。

憲法改正するな!

平和憲法!

と、聞こえはよく、さも「平和主義」とか「護憲」が正しいとか言うのですが…

ならば、改正条項は一体何でしょうか?

我々は手続きを踏めば憲法を改正して良いのです。

それをノーベル賞なるものを使って、足枷をつけ改正出来ない様にしようと考えているのです。

これこそ「立憲主義」に反します。

わざわざ外国の手を借りてまで護持せねばならない現憲法は一体何でしょうか?

聖書ですか?

絶対不変の原則ですか?

立憲主義と言うならば、憲法96条の改正条項は一体何でしょうか?

絶対に変えてはならない!と、するなら憲法96条を改正して「絶対不変」としなければならない。
しかし、その様な運動はありません。

事程左様に、左翼団体なる連中は矛盾しているのです。

我々には憲法96条に則り憲法を改正する権利があるのです。
それをノーベル平和賞とか言うアホなものを利用して改正出来ない様にしようと考える。

これこそ立憲主義に反するだけでなく、人権侵害です。

この様な行為が正しいのか?

そこが問題です。

これは権利侵害の話しなんです。

他人の権利を侵害しておいて「平和」もヘッタクレもありません。

左翼と言うのは、詰まる所自らの都合の為には人権侵害をする連中なんです。

憲法改正と憲法96条は主権者の権利です。
これを外国の手を借りて阻もうとするならば
明らかな主権侵害であり外患誘致です。

これは立派な犯罪行為です。

拉致被害者家族が、自分達の愛する者を取り返す権利を侵害しています。

我々の愛する人を守る権利を侵害しています。

そして、この左翼団体の行為は
憲法違反

主権侵害を受け、人権侵害を受けて黙って見ていられるほど私は人間が出来ていません。

私は私の権利を侵害する者を許すほどの慈悲は持ち合わせていません。

私は私の愛する人を守る権利を侵害する者を生かしておくことが出来ない。

私はガンジーではありません。
だから、実力行使を否定しません。

私は愛する人々、囚われた同胞、殺された日本人の為に自衛権を必ず行使します。

私は愛する人を守る為に反日左翼、反日団体、反日議員を必ず駆逐します!