去る10月5日付のブログ「余禄」で取り上げたように五味康祐さん(作家・故人)が秘かにメモしていたという個人的なクラシック・ベスト20。
お忘れの方も多いと思うのでもう一度再掲してみると、
1位 モーツァルト「魔笛」(カラヤン) 2位 ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」(アンセルメ) 3位 バッハ「平均律クラヴィーア曲集(ランドフスカ) 4位 「空欄」 5位 バッハ「無伴奏チェロソナタ第1番、2番」(カザルス) 6位 「空欄」
7位 バッハ「三つのピアノのためのコンチェルト」(カサドジュ) 8位 ヴィオッティ「ヴィオリン協奏曲」(ペーター・レヴァー) 9位 フォーレ「ノクターン6番」(エンマ・ボワネ) 10位 モーツァルト「フィガロの結婚」(カラヤン)
11位 バッハ「ゴールドベルク変奏曲」(ランドフスカ) 12位 ミヨー「子どもと母のカンタータ」(ミヨー) 13位 「空欄」 14位 ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番 作品109」(バックハウス) 15位 バッハ「パルティータ」(ランドフスカ) 16位 モーツァルト「弦楽四重奏曲第19番“不協和音”、17番“狩”(クロル四重奏団)
17位 ハイドン「弦楽四重奏曲第77番“皇帝”」(クロル四重奏団) 18位 ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」(バックハウス) 19位 ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」(フランチェスカッティ) 20位 シベリウス「ヴィオリン協奏曲ニ短調」(カミラ・ウィックス)
そして、このブログの終わりに次のように記していた。
「2位の「ペレアスとメリザンド」、9位の「フォーレのノクターン6番」、12位の「子どもと母のカンタータ」は残念なことにこれまで聴いたことがない。さっそく“HMVオンラインで注文”といきたいところだが、名演には違いないものの何せ当時のことなので録音状況が問題で、どうせ古いモノラル録音に決まっている。レコードならともかくCDで鑑賞するとなると、ちと考え込む。音質を無視して演奏をとるか、演奏を無視して近代のデジタル録音をとるか、実に悩ましい!」
散々悩んだ末に「エーイ、面倒くさい!」と、HMVに注文したのは結局、新旧2枚の「ペレアスとメリザンド」。アンセルメ指揮とハイティンク指揮のものだった。そして「フォーレのノクターン6番」(ハイドシェック)も併せて注文。「子どもと母のカンタータ」はとうとう見つからずじまい。
これら3組のCDがようやく昨日(16日)になって我が家に届いた。
さっそく、はじめにフォーレの「ノクターン6番」を聴いてみた。「ハイドシェック」(フランス)はあまり好みのピアニストではないが、検索してもこれだけしかなかったので仕方がない。
なかなか“しっとり”とした趣があって、いかにも玄人好みの曲だというのが第一印象。五味さんは対面する相手の印象を曲目のイメージで結びつけるのが習慣だったが、この曲目の一音、一音の響きが誰かの面影をなぞっていくのに適した曲風のような気がした。
こんなことを書いてもチンプンカンプンだと思うので、もっと分かりやすいように五味さんの著作「西方の音」の一節を引用させてもらおう。(14頁)
「対人関係で誰かに初めて会ったとき、彼(もしくは彼女)に似かよった音楽が不意に、彼の方から鳴り出してくることがある。私の人間評価はその鳴ってきた音楽で決定的なものとなる。たとえば或る男にあった。彼はファリアの三角帽子を鳴らしてきた。こんな程度の男なのか、と思うようなものだ。概して男性はまだいいが、女性となると、かりそめごとで済まない。直感はあやまたない、誤るのは判断だとゲーテは言ったが、当てにならない。一人の未知な女性が、目を見交わしたときフランクのヴァイオリン・ソナタを鳴らしてきたために、私はどれほど惨めになったことか。」
というわけで、この曲目が9位に位置付けられている理由とは当時、思い入れのあった女性との記憶が(この曲目と)いわく言い難く結びついているに違いない。
まあ、人がずっと記憶の中に留めておく曲目とはおおかたそんなところだろう。たとえば卑近な例だが青春時代にデートしていたときにたまたま鳴っていたり夢中になっていた曲がずっと思い出として残っていたりする。
それは非常に個人的な領域に属するものなので余人がとても立ち入る隙がないのはお分かりのとおり。
ちなみに、自分だって「ピアノ・ソナタ32番」(ベートーヴェン作品111)を聴くたびにある面影が浮かんでくる。おっと、これは誰かさんには内緒の話(笑)。
結局、そういうわけでフォーレのノクターンをひとしきり聴いてみた結果だが、五味さんご推薦の「6番」にはさほど興を覚えず自分の好みは「2番」だった。
次に、ドビュッシーの唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」に移ろう。
以下、続く。