「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

小説 「銀の匙(さじ)」

2013年10月12日 | 読書コーナー

昨日(11日)は午前中の雨上がりの中、久しぶりに「紙とインク」の匂いを吸わせてもらおうと図書館へ行ってきた。             

             

例によって3か所の図書館を巡って、興味が湧いたものをアトランダムに10冊選んだ。すべて新刊。

今回の注目の1冊は、(写真の)上段中ほどの文庫本「銀の匙(さじ)」(中 勘助著、角川文庫)。明治時代に書かれた本である。

この本にまつわる経緯を記してみよう。

およそ1か月ほど前の9月12日付朝日新聞の「死亡告知覧」(朝刊)に次のような記事が載っていた。非常に興味が持てたので切り抜いて保管しておいた。

灘中・高「伝説の教師」

橋本 武さん(神戸市の灘中学・高校の元国語教師) 11日死去 101歳

京都府生まれ。21歳から71歳まで教壇に立ち、小説「銀の匙(さじ)」を3年かけて読ませる独特の授業法で知られ、「伝説の国語教師」と呼ばれた。

「未来への果てしない可能性を秘めた多感な若者たちに文学を素材にした授業を50年間に亘って行うなんてとても素晴らしいこと。最高の職業である。こんな仕事にずっと携わっていたら心穏やかに101歳まで長生きできるはずだよなあ!」。これが、この記事を読んだときに思ったことである。

文部省が定めた教育課程にしばられない私立学校ならではの実践的な授業だろうが、爾来、教科書代わりになったというこの「銀の匙」を一度読んでみたいものだと思っていたので、今回、図書館の新刊コーナーでたまたま見つけたときはまったくラッキー!

本書の裏表紙に次のような解説があった。

「書斎の本箱に昔からしまってあるひとつの小箱。その中に、珍しい形の銀の小匙があることを私は忘れたことはない。その小匙は小さな私のために伯母が特別に探してきてくれたものだった。病弱で人見知りで臆病な私を愛し、育ててくれた伯母。隣に引っ越してきた“お恵ちゃん”。明治時代の東京の下町を舞台に成長していく少年の日々を描いた自伝的小説。夏目漱石が“きれいだ、描写が細かく、独創がある”と称賛した珠玉の名作。」

このところ“流し読み”のクセが身についているので、この本くらいは熟読玩味しなければなるまい(笑)。

さて、この「伝説の国語教師」にちなんで、似たような話としてつい思い出したのが“音楽の権化”五味康祐さんの著作の中の一節である。

「もし自分(五味さん)が音楽教師なら授業時間のすべてを使って“宗教音楽”を生徒に唄わせる」という“くだり”が、たしか「西方の音」「天の声」のどちらかにあったはず。

宗教音楽と言えば五味さんの場合に思い浮かぶのは「マタイ受難曲」(バッハ)か「メサイア」(ヘンデル)のどちらかなので、項目を目当てにこの二冊の本をザットめくってみるとすぐに該当箇所が見つかった。

                   

「天の声」の
100頁の中ほどにこうある。(抜粋)

「重ねて言う。(メサイアは)素晴らしい音楽である。私が中学校程度の音楽教師なら授業時間のすべてをこの“メサイア”第二部にあるいくつかの合唱曲を生徒に唄わせ続けるだろう。退職するまでそうして、私は、音楽教師たる天職をまっとうしたと思うだろう。」

「はたして自分が選んだ職業が正しかったのかどうか、もっと“やりがい”のある職業が別にあったのではないか」と、誰しもが晩年になって思うことだが、「人の心を動かす」という面からすると教育者というのは捨てがたい職業のような気がする。

「人づくりは国家百年の大計」とはよく聞く言葉で、教育の意義は極めて大きい。

つい最近のネットには「痴漢行為で中学校長を逮捕」「28歳小学校教諭、車内で14歳少女に淫行容疑」などとあった。

教職員の不祥事が後を絶たないようだ。いやはや~。


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