引退後にブログを始めてから投稿した記事の数が2500件近くになるが、日記風にしろ何にしろ「何でも書いていい」という自由はとてもありがたい。
これが、言論統制に厳しい中国なんかに生まれていたらとてもこうはいかないので「日本人」でつくづく良かった!
ただし、自ずから節度というものがあるので、特定の人物やメーカーに対する中傷、極端なイデオロギーの主張、特定商品に対する宣伝(ヤラセ)の片棒を担ぐなどについてはなるべく避けるようにしている。
万一、そういうことを繰り返していると巡り巡って信用を失うのは自分なのでそんなバカらしいことはしない(笑)。
とはいえ、当然のごとく「タテマエとホンネ」は使い分けることにしている。
我が家のオーディオ機器とか真空管とかの話になると、必ずと言っていいほど背後に「知人」が絡んでくるので、ご当人がこのブログを読んでいるとか読んでいないとかに関わらず(知人の)不利になることに関しては用心して筆を抑えることにしている。つまり「タテマエ」優先というわけ。
ただし、ごく親しい方のお問い合わせがあったりすると、「ここだけの話ですよ!」ということで、ホンネを伝えていますけどね(笑)。
おそらくブログをやっている人なら誰もそうだと思いますよ~。
そもそも、いったい(自分のブログは)読者からどういうイメージで受け止められているんだろうと思うことがときどきある。
たとえば、「いろんな記事の前後の内容が相互に矛盾しているときがある」、「クルクル気が変わって落ち着かない奴」「我田引水的なペースの話が多すぎる」など・・・。
こう見えても、結構他人の目を気にしているのである(笑)。
ずっと過去の話だが、次のようなメールをいただいたことがある。
「おはようございます。こちらもついに梅雨入りですがそちらはかなりの大雨で大変ですね。昨年差し植えした10本の紫陽花が小さな花をつけはじめました。5種類なので将来が楽しみです。 今年は不思議に秋桜が咲き始め朝顔を追い越してしまいました。
私もジムラン、タンノイはとことん弄りましたが、やはり聴き手がわきまえて行かないとポテンシャル以上を望んでしまうのですね、、どちらもユニットの潜在された魅力と聴き手の向かう音楽性がマッチすると幸福ですがそうでないと堂々廻りになり抜けれなくなりがちで大変ですね。
頑張ってください。」
励ましのメールに感謝しつつ、すぐに次のように返信した。
「そうなんですよねえ。ユニットに対してついポテンシャル以上のものを望んでしまいます。沢山の失敗を経験してきましたが、頂上に至る道を間違えたケースが多々あったことでしょう。反省とチャレンジを繰り返しながら、懲りることなくそのうち寿命も尽きることでしょう(笑)。」
すると、また次のような返信メールが届いた。
「貴兄のブログに長年惹かれて来たのは一度も聴いたことがないグッドマンの染み渡る響きに想いを巡らせて来た事です。あの手、この手で鳴かせる手腕に感服しております。」
たとえ、お世辞が混じっているとしても「鳴かせる手腕に感服」なんて言われると、つい舞い上がってしまう(笑)。
つい最近のオーディオ仲間の言によると「私たちはグッドマンとか戦前の古典管とか、当たり前のように使っていますがこれらのほんとうの良さというか価値を知らない人が多いかもしれませんね」というコメントがあった。
たしかに、どんなオーディオ・ショップにしてもそんな一昔前の機器を置いて聴かせてくれるところなんて皆無だろうし、第一、商売にならない。
したがって、無味乾燥とされるデジタルサウンドが蔓延(はびこ)る中で「グッドマン」や「ワーフェデール」と「古典管アンプ」の組み合わせについて、ぜひ一度は試聴されることをお薦めします。
たとえ期待外れの結果に終わっても「オーディオ人生に無駄な経験は一つもない」と思いますよ。
「要らん世話」と言われたら、それまでですけどね・・(笑)。
この内容に共感された方は励ましのクリックを →