前回、アラントンハウスには鏡が多いと言う話をしましたね。
下の航空写真を見ていただくと、邸内に、陽のあたらない箇所が数多くあることが、容易にわかると思う。
二万四千坪…甲子園球場のほぼ二倍ある敷地は、林あり森ありで、様々な動物が住んでいる。
野ウサギ、キジ、リス、おこじょ(イタチの一種)、無数の野鳥、鷹や鷲、巨大なフクロウにモグラ、そして鹿など…
鹿は家の裏の森に住処があり、毎年、春になると親子で散歩している姿をみる。
しばらくすると娘たちバンビだけで散歩に出る。だけど、母さんから言われていると思う…
「変なおっちゃんがおるから相手しちゃダメよ」
しかし、ウブなバンビちゃんたち、興味津々で僕の部屋を覗く…
「…おっちゃん、何してんの?」
このアラントンハウスは、東京にある公益法人「五井平和財団」の全面的サポートを得て、ヨーロッパに於けるNGO活動の拠点として運営されている。
公益法人の資格は政府により厳正に審査されるので取得はかなり難しい。アラントンもそれに準じたスコットランドの資格を得ている。「チャリティ・ナンバー」と呼ばれるのがそれで、認可を受けるのは簡単ではない。NGO組織アラントンが、チャリティ・ボランティア団体として、政府からこの認可を得た時、その値打ちを知らなかった僕は、アラントンのスタッフが歓声をあげているのを不思議に思った。
この「チャリティ・ナンバー」を取得すると社会的信用度が断然違ってくる。取得してすぐに、地元ダンフリースの市長や警察署長からの挨拶があった。つまりアラントンは半ば公的存在だと認められたんですね。
アラントンハウスは、築二百年は優に越えるヴィクトリア時代の建築です(推定240年)。当時は豪勢な貴族が住んでいて、敷地は今の十倍はあったと言う。
ここで、彼我(ひが)の違い…英国の住宅事情を説明しておきましょう。
例えば、日本では…「家を建てるんです」「家を建てましてね」…こんな会話は珍しくないよね。
しかし、英国で、このようなコメントは、まず聞かない。なぜか?…
家は「既にあるものを買う」のが普通なんです。つまり、家はインフラ、社会資本だということです。木の家と石の家の違いも、これに影響している。
日本では年月を経た家の価値はどんどん下がるのが普通だけど、英国では、通常、古くなっても価値があまり下がらないんです。
特にヴィクトリア時代の家など、かなり人気があり、決して安くはなく、高価な物件も少なくない。
ついでに言うけど、日本人の間違い英語の筆頭が「ホテルのフロント」と共に「マンション」です。これは何度も述べてきたよね。昭和30年代に、無責任な不動産業者が勝手に名付けた。
「アパートよりかっこええ名前がないやろか?…そうや!マンションがええ」…で、日本じゅうのアパートがマンションになってしまった感がある。マンションは一戸建ての大邸宅のこと。2DKや3LDKのマンションなどあり得ない。アラントンハウスのような大邸宅がマンションなんです。
数年前だったかな?うちに初めて来た若いポストマンが、僕に郵便物を手渡しながら言った…「素晴らしいマンションですね」
日本のマンションを英語でいうとアパートメントです。
「ホテルのフロント」は、正しくは「レセプション」で、英語で言う「ホテルのフロント」は、ホテルの玄関、つまり建物の外です。ホテルのフロントで待ち合わせした外人さんは玄関の外で待ってるよ。
大阪の阿倍野にあった「ホテルエコー」…一階のロビーに入るとエスカレーターがあり、案内板に「フロントは二階にあります」とあった。ところが英語でも書いてあり「 Front of the hotel is upstair」…「ホテルの外は二階にあります」…なんじゃこれ?
僕の地元ダンフリースの街には、創業四百年以上のパブが何軒かあり、当時の建物を今でも維持している。そして、そこら中に、築二百年〜二百五十年の家があるよ。10年ほど前かなあ、街に住む一人住まいの婆さんを訪ねた時…「婆さん、この家も古いね」…ところが婆さん…「いや、ウマ、まだ新しいわよ。百年ぐらいじゃない?」もちろん、住宅開発業者による新築の分譲住宅もあるけど、古い住宅の「使い回し」がごく普通だということですね。家はインフラ…わかってもらえた?
アラントンハウスのようなビクトリア時代の大きな邸宅に住んでいるのは、例外なくお金持ちです。古い分、その維持管理にかなりのお金がかかるからです。我々は決して金持ちじゃないので維持管理は自分たちでやる。外壁の高い場所での修復作業など、クレーン車を借りてきて自分たちでする。
つまり、僕、ウマ自身は、NGO活動のお手伝いをするかたわら、家の維持管理、家の内外の修理修復、ガーデンでの野菜類の栽培・収穫、それに主夫として、毎日、結構忙しくしています。
一日の仕事を終えた夕べ…お香を焚き、レコードに針を落とすひとときが、至福の時間なのでございます…(急にお上品になっちゃったりして…)
「宵のひととき…脇に、ちべた〜いシャルドネをはべらせ、椅子に深く腰掛ける…漂い流れ来る音楽…その心地よい響きに、我、一人ため息をつく…」
わーい、ウマさんて、詩人かい?
ところで、あんた…「大きな家に住めていいじゃない…」と思ってない? …ところがね…
家の中でケータイが要るのでござるよ…「どこにおるー?」「ゴハンやでー!」
塔があるから城だと言った方がいる。塔のてっぺんからの景色は360度絶景です。
猫のマルコは森にあるモグラの巣で寝込んでしまったのか、朝帰りしたことがあるよ。
門限は9時〜5時だけど、守らないねえ、この娘…
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60年ほど前のオーディオ専門誌「ステレオサウンド」の記事に「黄金の組み合わせ」という言葉があった。
当時のことだが、スピーカーが「タンノイⅢLZ」、アンプは管球式の「ラックスの38F」アンプの組み合わせがそうだった。たしか、五味康佑さんがこの組み合わせを強力に後押しされていたと記憶している。
当時は大のタンノイ・ファンだったので、我が家でもこの組み合わせを導入して大いに楽しませてもらったが、そのうち あさはか にもオーディオ評論家の口車に乗せられて「ⅢLZ」(イン・オリジナル・キャビネット)を下取りに出しヤマハの「1000モニター」を購入してしまった。
今となっては、とんでもないことを仕出かしたわけだが、これはいまだに後悔していることの一つである。
たとえば、現在でもたまたま見かけるオークションに出品されている「ⅢLZ」(箱付きのモニターレッド)は落札価格が30万円前後だが、片や「1000モニター」となると今の相場は2万円前後だから月とスッポンだ(笑)。
振り返ってみるとタンノイの中ではこの「ⅢLZ」(口径25センチ)が一番バランスが取れていた。
その後、「インパルス」や「ウェストミンスター」の口径38センチに換えてから、あのスピード感のない「ぼんやりした低音域」が嫌になって、いつのまにか「タンノイ嫌い」になってしまったが、もしかしてあのまま「ⅢLZ」を使っていたら、こうも迷路の中を彷徨しなかったかもしれない。
とはいえ、いたずらに過去を悔いても仕方がないので我が家の現在の「黄金の組み合わせ」に移ろう。
そう思った「きっかけ」とは・・、
このところ音信の無いオーディオ仲間の「Y」さん、歯に衣を着せぬ辛口というのか「忖度の無い」言い方というのか・・、それが良くもあり悪くもありだけど、やはり2か月も会わないと淋しくなる、まあ「碁敵」みたいな存在かな(笑)。
ただし、Yさんは年季の入ったフルート奏者として日頃から「生演奏」を楽しまれており「音の鮮度」に関しては間違いのない耳を持っておられるので、そのアドバイスは大いに参考にさせてもらっている。
で、こちらから連絡を入れてみた。「お元気ですか?久しぶりに聴きに来ませんか」「いやあ、風邪でダウンしてました。治りかけですがそれでいいですか?」「ハイ結構ですよ・・」、急いでマスクを着けて待ち構えたのは言うまでもない(笑)。
で、久しぶりに聴いていただいた「AXIOM80」に、絶賛、また絶賛・・。
楚々とした麗しいヴァイオリンの音色におおいに触発された模様で「絶対にこのスピーカーしか出せない音があるというのは物凄い強みですね!片チャンネルだけで100万円以上するといっても私は納得します」
Yさんは以前から大の「AXIOM80」ファンだけど、2か月間も遠ざかっているとひときわ感銘を受けられたらしい。
ブログ主は元々「扇動されやすいタイプ」だと自認しているが、こうまで絶賛されると不思議なほど自信が込み上がってくるのでありますわいなあ(笑)。
これこそ、我が家の「黄金の組み合わせ」だな。
というわけで、忘れないように整理しておこう。
<音の入り口>
CDトラポ「TL3 3.0」(CEC:ベルトドライブ方式) → DAC「エルガー プラス」(英国:dCS) → プリアンプ「真空管式 12AU7×2本」
<スピーカー>
「AXIOM80」のオリジナル・ユニットで、箱は「板厚1.5cm」の自作、ただし後(のち)にバッフルだけ「板厚5・5mm」の薄板(49・5cm × 95cm)の一枚板に変更したが、これがメチャ利いた模様。ちなみにグッドマン社独自の「ARU」(背圧調整器)は底板に穴を開けて取り付けている。
<パワー・アンプ>
アンプは「6A3シングル」(モノ×2台)で決まり~。このアンプは「WE300B」も挿せるのだが、「6A3」(刻印・スプリング吊り)と比べるとAXIOM80の爆速スピードに少し付いていけない面があることに最近気付いてきた。
アンプの製作者の「北国の真空管博士」によると「300Bは電極が大きい分だけ、やはりスピードの面では6A3に一歩譲るでしょう。そもそも、どんな音楽ソースにも例えばオーケストラからソロ楽器まで対応できる完全無欠な真空管ってありませんよ。このアンプは6A3をオリジナルとして設計してますからそれが本来の姿だと思います。」
<サブウーファー>
これが極めて大切な点になるが、「AXIOM80」だけだとどうしても重低音が淋しくなる。そこで、サブウーファーを活用している。
流れは、DACの [エルガー プラス」は共通だが「XLR」端子からプリアンプ「E80CC×2本」→ パワーアンプ「TR式」へ。
30ヘルツ以下を悠々と出すために「ウェストミンスター」を100ハルツでハイカットしている・・、つまり、長大なバックロードホーン付きの世界一贅沢な「サブウーファー」であり、たっぷりとした余裕のあるサウンドは他の追随を許さない、と思う(笑)。
で、気になるので「サブウーファーの重低音に違和感がありますか?」とお訊ねしてみると、「いいえ、全然ありませんよ。まるでAXIOM80から重低音が出ているみたいです。」「それは良かった・・」
というわけでした。
「このシステムの音を聴いて感動できないとすれば、それはあなたの耳が悪いからです」と、いつか大見得(おおみえ)を切ってみたい・・、これって積年の思いだったが、どうやら我が家のオーディオもようやく「大団円」を迎えつつあるようだ。
帰し方50年以上・・、実に長い道のりだったなあ~(笑)。
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いまだに「過去記事ランキング」にときどき登場するのが「バッハとウィスキー」。
もう2年ほど前の記事になるのに・・、、大半の記事が はかなくて もろい「打ち上げ花火」のようなものだからこういう事例は極めて珍しい(笑)。
よほど読者の共感を得るものがあるのだろうか。
念のため記事の内容を振り返っておくと、(要約)
「フランス発のミステリー番組(「アストリッドとラファエル」)の中でバッハの名曲「フーガの技法」の一部が登場していた。自分はモーツァルト一辺倒の人間だが、やはり音楽の母バッハには一目置かざるを得ない。
そこで、該当のCDを購入して聴いたところサッパリ馴染めず山の頂きに登る道筋さえも分からない。そこで、自棄(やけ)になって空きっ腹にウィスキーを流し込んで聴くと少し馴染みやすくなった」
という内容でした。
ちょっと話が逸れるが、実は夕食後にアルコールを嗜みながらゆったりクラシックを聴くのが一般的なのだろうが、ブログ主はなにしろ日頃から「血糖値が高目」なものだから、やむなく夕食前の「空きっ腹」のタイミングとならざるを得ないのが残念、無念(笑)。
そして、現在はウィスキーではなく、空きっ腹に「銀座のすずめ琥珀(麦焼酎)」を流し込んでいる。
で、本題に戻って、(読者の)興味の要因を推察してみよう。
1 バッハ晩年の名曲「フーガの技法」の曲自体に興味を持った
2 「バッハの音楽は難しいよね」と共感を覚えた
3 いささか線香臭いバッハの音楽に馴染めずウィスキーまで持ち込むなんて・・、脳を麻痺させて音楽を受け入れやくする工夫に共感を覚えた
以上の3つぐらいかな~。もし、ほかにもあると思われる方はためらうことなくメールをくださいね。
ちなみに、「チャットGPT」に「バッハとウィスキー」と打ち込んでみたところ、つぎのような文章がスラスラと出てきた。
「バッハとウィスキーには直接的な関連はありませんが、それぞれは音楽と飲み物という異なる分野で重要な役割を果たしています。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀のドイツの作曲家であり、西洋音楽史上最も偉大な作曲家の一人とされています。
バッハは多くの教会音楽やオルガン曲を作曲し、その作品は技巧的で複雑な構造や美しい旋律で知られています。彼の作品は音楽愛好家や音楽家にとって、永遠の名作となっています。
一方、ウィスキーはスコットランドやアイルランドなどで生産される蒸留酒の一種です。ウィスキーは大麦やトウモロコシ、ライ麦などの穀物を発酵させて蒸留し、熟成させることで作られます。
さまざまな種類のウィスキーがあり、それぞれ特有の風味とキャラクターを持っています。ウィスキーは世界中で愛され、飲み物として楽しまれるだけでなく、一部の人々にとっては芸術のようなものとも考えられています。
バッハとウィスキーは、異なる形態の芸術としての楽しみ方を提供しています。バッハの音楽は聴く人々に感情や美を与え、ウィスキーは飲む人々にリラックスや楽しみをもたらします。それぞれの領域で、深い探求や研究が行われ、人々の生活に豊かさをもたらしています。
ただし、バッハの音楽を聴きながらウィスキーを楽しむことは、音楽や飲み物それぞれの個別の鑑賞に集中するために、お互いの楽しみを最大限に引き出す方法とは言えません。それぞれを個別に楽しむことをおすすめします。」
そうかな・・、「チャットGPT」の限界を知る思いがしました!
ウィスキーは脳をある程度麻痺させて「馴染めそうにない音楽」を受け入れる素地をつくってくれる大切な役割を担っている、とくれば満点を上げたのにね~(笑)。
さらには、若いころの瑞々しい感性が失われつつある高齢者になればなるほど「音楽」に対してますます夢中にさせる麻薬的な効果もある・・、つまり「音楽とアルコール」の相乗効果も期待できる!
というわけですが、周知のとおりアルコールは「もろ刃の剣」ですよね。
成功談と失敗談・・、読者の方々のうち「音楽とアルコール」に関するエピソードがもしありましたらお聞かせくださいな~。
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本書の副題に「最大の臓器が身体と心の内を映し出す」とある。最大の臓器とは「皮膚」のことである。
そういえば、私たちは相手と対面するときに無意識のうちに顔色やしぐさなどから、会話に役立つ情報を得ようとしていることに気付く。
たとえば「久しぶりに会ったけど肌の色艶が良さそうなので元気そうだな」とか、瞬時に判断したりするのはどなたにも覚えがあると思う。
余談になるが、昨日(19日)のこと、朝のウォーキングを終えて休んでいたら、家人が「あなた顔色が悪いわね、どうかしたの?」「そうか・・、何ともないぞ」と、さりげなく返したものの持病の心臓病が気になって思わずドキリとした。
早朝の厳寒の中でのウォーキング、しかも急峻な坂道登りは止めておいた方がいいかもしれない・・、せいぜい11時ぐらいからがいいかもなあ~と、思った次第。
運動は やり足りなくても、やり過ぎても 良くないが、その判断の境目が実に難しい・・、以前のブログで「脈拍が判断材料になる」と記載したことがあるが、いちいち測るのも面倒くさいしねえ~(笑)。
というわけで、おおむね健康状態が皮膚に反映するので、(皮膚は)ゆめゆめ無視できない臓器といえるが、本書の102頁に「皮膚は聞いている」という項目立てがあった。
「耳(脳)が聞く」のなら当たり前だが、「皮膚が聞く」とはどういうこと?
ちょっと長くなるが引用してみよう。
「寒くなったり、耳に息を吹きかけられたり、撫でられたりすると鳥肌が立ちます。この現象を「立毛」と読んでいます。立毛が起こるといつもは寝ている毛が垂直に立ち、毛を取り巻いている皮膚の層が盛り上がって反り返ります。
毛包の奥にも小さな筋肉が存在するからです。この筋肉は立毛筋と呼ばれ、自律神経によりコントロールされています。そのため私たちの意思ではコントロール不可能です。
鳥肌が立つと同時に寒気が走ります。理由は鳥肌が立つことで皮膚の表面積は拡大し、熱発生と発汗が促され、汗が蒸発する際に体温が奪われるからです。~中略~
感動的な恋愛映画を観たり、素晴らしい音楽を聴いたりしても鳥肌が立ちます。その理由はまだ完全には明らかにされていません。胎児期に皮膚と神経系は同じ外胚葉から形成されるため両者は密接につながっています。それが理由の一つであることは間違いないでしょう。
黒板にチョークで文字を書いたり、爪で発泡スチロールを引っかいたりするときに出るキ~ッという音を聴いても鳥肌が立ちます。鳥肌の研究者はキ~ッという音の周波数が、母親を亡くした動物の子供の泣き声の周波数とほぼ同じであることが、鳥肌が立つ理由ではないかと考えています。
また、陶器の皿をフォークやナイフでこすった時に出るギ~ッという音を聞いても鳥肌が立ちます。この音は進化の過程で危険な状況と結びつき、危険を知らせる合図となったため、鳥肌を立たせるのではないかと言われています。要するに音は私たちの心と皮膚に大きく作用するようです。
科学者はさらなる発見をしました。何と、皮膚は音を聞くことができるのです。少なくとも毛の生えた脚にはそれができます。脚は話しかけられると、皮膚と体毛が微妙に刺激され、風を感じます。
ある実験で被験者は遮音性のヘッドホンが脚にあてがわれたにもかかわらず、脚の感覚だけで音の大きさを判断することが出来ました。また、脚だけでなく首筋や手も空気の流れから音を聞き分けられることがわかっています。
さらには、毛の生えた脚は脱毛した脚より聴力が高いこともわかりました。ということは男性の脚の方が優れた聴力を持っているということです。それなら女性は脚の脱毛をしない方がいいでしょう。男性の言葉にもっと耳を傾けてあげられるからです。一方、男性は女性にすすめられても脱毛しないことが多いのですが、それにも根拠があったのです。」
とまあ、以上のとおりだがこの学説を素直に受け止めるとすれば、音楽を聴くときはできるだけ肌の露出を多くする方がいいということになる。
なぜなら、耳以外の「皮膚」でも音を感知しているので音の情報量が多くなるから。
もちろん、マスクなんて論外である。男性の場合はできるだけ半そで姿で足の脛(すね)を出して聴く方がいい・・、となると「家庭での音楽鑑賞は冬よりも夏の方が適している」、というわけだが、皆さまはどう思われますか?
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前々回のブログ「真空管の反乱~続編~」の中で述べていた「WE300B」(1967年製)の寿命について、さっそく我が家の真空管の主治医「北国の真空管博士」からご連絡があった。
「画像を拝見しましたが、あの程度のゲッターがあれば十分です。安心して使っていいですよ。ただし、フィラメントの状態については真空管試験機でテストしないとなんとも申し上げられませんね。ついでのときに送っていただいたら測定して差し上げます。」
「ハイ、ありがとうございます。」
ということだったけど、ふとオーディオ仲間のNさん(大分市)が真空管試験機を持っておられる事を思い出した。たしか「HICOCKモデル533型」だったと思う。
そこで、さっそく問い合わせて「WE300Bの寿命をはかってもらいたいんですけどご都合はいかがでしょうか?」
「ああ、いいよ~。Gmならすぐに測れるよ」
「Gmって何?」
情けないことに、こういう方面はサッパリである(笑)。
ググってみると、
「真空管のGm(相互コンダクタンス)とは、真空管に電圧を印可した時に陽極電流がどのように変化するかを表す値です。真空管の増幅や検波能力を把握するために使用されます。」
Nさんによると「Gm × 真空管の内部抵抗 =μ(増幅率)」だそうで、内部抵抗は一定値なので、Gmが高ければ高いほど元気のいい音が出るということらしい。
ちなみに、「Gm」が低い、内部抵抗が高い、そして「μ(ミュー)」が高い真空管は経験上、高音域は華やかだけど低音域の駆動力が弱いという印象を持っている。たとえば「12AX7」などその典型だ。
その一方、「Gm」が高い、内部抵抗が低い、そして「μ」が高い真空管となればかなりレアなケースである。
実は、我が家の「WE300B」アンプに使っている前段管の「SP〇〇」(英国:エジソン・マツダ)は「Gm」が高く、内部抵抗が低い、そして「μ」が高くて80ほどもあり、見事に気難しい「300B」にマッチングするのだ。おっと、また「我田引水」になってしまった(笑)。
それはさておき、エ~イと、この際だから手持ちの300Bをすべて測ってもらうことにした。
「WE300B」では「1967年製 1本」「1988年製 2本」
「エレハモ300B 2本」 「中国製300B 2本」「スヴェトラーナSV300B 1本」
全部で計8本。
このうち「スヴェトラーナ」(ロシア)については思い出がある。
数年前のこと「スヴェトラーナ」は「WE300B」に優るとも劣らないという評判を聞きつけて2本購入したんだけど、音はまあまあだったけど1年も経たないうちに1本が故障して使いものにならなくなった。
やっぱりねえ~(笑)。ちなみに「スヴェトラーナ」はあの恐怖の独裁者「スターリン」(ソ連邦)の娘の名前ですね。
「スターリン」の独裁ぶりは際立っていたという。メチャ猜疑心(さいぎしん)が強く自分の地位が乗っとられるのを恐れるあまり、「当日の朝、アイツの笑い方が不自然だった」という理由でその日の夜に逮捕して粛清したというのだから恐れおののく(笑)。
それはさておき、一昨日(17日)の午後のこと、いそいそと大分市に向けて車を走らせた。いつも通り45分ほどで到着。
これが「HICOCK モデル533型」である。
慣れた手つきで操作をしていただいて、後は真空管を順次差し込んでいくだけとなった。
で、「300B」真空管の場合Gmの適正値は「3000~4000」だとされているが、総じて結果はガッカリ~(笑)。
3000に辛うじて到達したのは「WE300B」の1988年製1本だけで、他の真空管は軒並み「2500前後」だった。まあ、廃棄処分するほどのことはないけど、十分な状態ではないようだ。
なにしろ「1967年製」なんか、50年以上も前の製造だから長期にわたって管内の真空度が自然と落ちてきても当然だよね~。
ということで、ま、いっか~(笑)。
そこで、ふと思い出したのが昔のオークションに出品されていた「WE300A」。
おそらく100年ほど前の製造だと思うが、落札価格はたしか160万円前後だったはず。ガラス管の内部の真空度の高さを表すブルーの輝きが何とも妖しい雰囲気を醸し出しているが、はたして無事に稼働しているんだろうか・・。
当時は真空管の部品に現在では使用禁止となっている「放射性物質」を使っていたという ”まことしやか” な噂があるが、丈夫で音さえ良ければなんでもよろし~(笑)。
とまあ、以上のような顛末記でした。
今回の反省点として「出力管」よりも「整流管」の寿命の方を測ってもらった方が正解だったかな~(笑)。
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