「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

早すぎる! ブログの投稿時刻

2025年02月23日 | 独り言

このブログの投稿時刻は、恒常的な読者ならご存じのとおり毎日ほぼ4時から6時までの間になっています。

昨日(22日)のこと、この3連休を利用して、福岡に住んでいる甥っ子(姉の二男)が遊びにやってきました。ドライブがてら、別府市内の「地獄めぐり」をするとのこと。

久しぶりに顔を合わせましたが、このブログを2~3日に1度は目を通しているそうで、身内なのでいろいろと遠慮せずに意見を言ってくれる貴重な読者の一人ですが、兄(姉の長男)との会話を通じて、別府のおじちゃんは朝早く4時過ぎからあんなにテンションを上げて長文のブログを投稿しているが、精神構造は一体どうなっているんだろうと噂しているそうです。

何しろ夜の8時頃までには就寝するので早起きは苦にならないです(笑)

で、よく聞いてみると、ブログとは日記のようなものでその場で思い浮かぶままに文章を考え、そのまま投稿してしまう人が大多数で、そういえばかなり熱い宝塚ファンの娘もブログにヅカ関連の記事を投稿するときはこのスタイルであまりこだわらずに思いつくままの文章を投稿しているそうだ。

自分の場合、残念なことにそういうタイプではない。

あまりヒラメキがいい方ではないので適切な表現の文章がすぐに思い浮かばず、事前に原稿を作成し推敲するのが常である。通常で3日ぐらい前から「記事一覧」に草稿状態で留め置いて、ああでもない、こうでもないと考えながら折をみて文章をいじり回している。

ときどき面倒くさくなって「一発勝負」のときもあるがかなり稀なこと、それに事前に頭の中で構想を練っていることが多いので実質的には3日前後というのが当たっている。

まあ、どうせ載せるのであれば、少しでも満足のいくものにというのが理由のひとつだが、それに加えて別に推敲が苦になるわけでもなく、むしろ小文とはいえ階段を一段ずつ登っていくように完成に近づけていく楽しみもある。

もちろん、仕上がり具合は いまひとつ で、所詮、自己満足の世界に過ぎないのはいうまでもない。何せ一介の素人なんですから~(笑)。

そういうわけで、朝早く投稿するときには既に前日までに推敲が終わった草稿をさらにもう一度ざっと目を通して機械的にパソコンを操作してエイヤっとクリックするだけです。

ものの5分とはかからない作業であり、決して早朝からテンションを上げているわけではない。また、一晩寝た後にふっ切れて投稿するのがクセになっているので昼間以降の投稿はまず考えられない。

こういう自分のような、どちらかといえば粘着気質で推敲好きの人間は実生活ではかなり損をするタイプ。

つまり、時間をかけてゆっくりと考えればよい文章とは違って、日常生活の中で大部分を占める他人とのコミュニケーション、会話という一発勝負の中では、なかなか最適な言葉がすぐに浮かばず、後になってああ言えばよかった、とか相手のあの言葉はこういう意味だったのかといろいろ考えることが多い。

したがって結構、過去の事件を思い出して悔やむことがありどうも精神衛生上よろしくない。世の中、しゃべるのがうまくて、文章も上手というのが理想だろうが、今も昔もしゃべりがうまい人のほうが有利で重宝されるようだ。本当にうらやましい。

しかし、ずっと以前に仕事がらみで好きな作家の城山三郎(故人)さんの講演を聴いたことがあるが、正直言ってあまりトークの方はお上手でなかったので、あの城山さんでさえそうなので「天は二物を与えない」ものだと妙な安心感を覚えた記憶がある。

いずれにしても、こういうクセは生まれつきのもので直せる性質のものではなさそうで、歳(とし)も歳だし、無駄なエネルギーは使わないに越したことはないです。

ちなみに、この原稿の据え置き期間は2日間でした(笑)。

最後に、この1週間(2月16日(日)~22日(土)にかけての記事ごとのランキング結果をお知らせしましょう。

第1位 「音と音の間の沈黙を聴く」(カテゴリー:音楽)
    「グーブログ」参加320万人のうち150位

第2位 「南海トラフ巨大地震」と「ネコ学」(読書)全体165位

第3位 「豹変する音」・・、たったこれだけのことで(オーディオ)全体228位

第4位 ピアニスト「内田光子」さん(音楽) 全体252位

第5位 「絶好調の波に乗るオーディオの原因」(オーディオ)全体253位

第6位 「虎穴に入らずんば虎児を得ず」(独り言)全体307位

第7位 「満足している現状から一歩踏み出す勇気」(オーディオ)全体311位

ちなみに、全体の週間順位は「233位」でした。

こうして眺めてみると、1位と2位の記事で全体を底上げした感じですが、200番台なら御の字で極めて上出来と思える1週間でした!(笑)。

文中に引用させていただいた方々には紙面を借りて厚くお礼申し上げます。



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ピアニスト「内田光子」さん

2025年02月22日 | 音楽談義

つい先日のブログ「音と音の間の沈黙を聴く」は近年にない大ヒット(アクセス)でした。匿名の方からも次のようなメールをいただきました。(抜粋)

「昨日まで家内と 東北方面(秋田、岩手)へ旅行でした。新潟岐阜地域は大雪でしたが 行ったところはそれほどの降雪は無く旅もスムーズに終わりました。

角館武家屋敷の大雪に囲まれた異次元の世界を楽しみにしていましたが 降雪の中、樹齢3-400年の樹々は雪化粧少なくすこし残念でしたが 途中の山々でみた全ての物を内に隠しての単調な樹々たちの モノクロの素朴な世界。

帰ってから読んだブロブ主のサティの世界と相通じるものを感じました。

曲では やはり ジムノペディア1番の世界が 私は好きです。夜 寝る前によく聞きます。」

メールありがとうございます。ほんとうのクラシック通によく見られる「音と音の間の沈黙を聴く」仲間がいらっしゃるのは心強いですね。

で、ブログの中で取り上げていたモーツァルトの「ピアノソナタ全集」。

      

ピリスの演奏にゾッコンでしたが、同じくらい素敵だと思ったのが「内田光子」さん(上段の右端)でした。

今や、日本が生んだ世界的なピアニストですね。

クラシックの場合、ピアノとヴァイオリンが楽器の双璧となりますが、
前者の場合表現力が多彩なのでたった1台でオーケストラの代役だって務まるのが凄いところです。

ちなみに、表現できる周波数の範囲はピアノがおよそ「40ヘルツ~6000ヘルツ」、ヴァイオリンがおよそ「170ヘルツ~1万ヘルツ以上」となっています。40ヘルツまで出るなんて、ちょっと驚きますがあの図体からすると さもありなんです(笑)。

さて、ハイライトは内田光子さんです。彼女の世界にちょっと分け入ってみましょう。


聞くところによると彼女が弾いている愛器「スタンウェイ」(一説によると4千万円で購入?)は特別につくりがよくて抜群の響きだそうだし、しかもフェリップス・レーベルでCDを輩出しているので録音もいいとなると、まさに芸術家としての資質と周辺のテクノロジーが両立した近年稀にみる演奏家だといえそうです。

何といっても彼女のCD盤はまずハズレが無い。あのとびっきり難しいベートーヴェンのピアノ・ソナタ32番だってバックハウスに迫る勢いだし、録音がいいだけにむしろ総合力では上かもしれませんね。

さらには、演奏家としての活動のほかにいろんな人たち、たとえば音楽評論家などとの対談が非常に多く、これらを通じて音楽への造詣がことのほか深いのに驚かされました。

それでは、まずネット情報から。

1948年静岡県生まれとあります。ということは当年とって77歳前後。ずっとロンドン住まいで2001年、英国エリザベス女王より「サー」に続くCBE勲章(大英帝国勲章)を授与されています。

また、音楽評論家濱田滋郎氏との対談「内田光子の指揮者論」によるといろんな音楽を相当深く聴きこんでおり特に指揮者フルトヴェングラーへの傾倒が目を引いた。これだけでも音楽への接し方におよそ見当がつこうというものです。

次に、文献として次の本から。

「ピアノとピアノ音楽」(2008年7月10日、音楽之友社刊) → 

著者の藤田晴子さんは1918年生まれ、昭和13年に日本音楽コンクールピアノ部門の第一位。昭和21年に東京大学法学部の女子第一期生として入学した才媛。

本書の268頁~275頁にかけて、内田光子さんに関する詳しい記述があったので箇条書き風に引用させてもらいました。

 ドイツやオーストリアの大使を務めた外交官「内田藤雄」氏のご息女であり、12歳で渡欧、ウィーン音大を最優秀で卒業し、1970年ショパン国際コンクールの第二位という今でも日本人としては最高位の入賞を果たした。

 佐々木喜久氏によると内田光子さんが一気に「世界的」となった契機は1982年6月のロンドンのウィグモア・ホールにおけるモーツァルト・ピアノ・ソナタ全曲演奏だった。このときはリサイタルを5回に分けて火曜日ごとに開き「ウチダの火曜日」(ファイナンシャル・タイムズ)という今や伝説的にさえなった名コピーが生まれたほどの鮮烈なデヴューを果たした。

このときの演奏がもとで、メジャー・レーベル、フィリップスによりモーツァルのソナタと協奏曲の全曲録音という大事業に結びついた。

内田さんも後日、対談で「いろんな試行錯誤を繰り返して、完全に抜け切れたのは、やはり、モーツァルトのソナタを全曲演奏で弾いたとき(’82年)。突然、自分の音楽の形がスパッと見えちゃったんです。」

 次にアメリカでの好評。同じく佐々木氏によるとモーツァルト没後200年に湧くアメリカでの「内田のニューヨーク初のモーツァルト・ソナタ・シリーズは注目の演奏会だった。高名な音楽評論家が、内田さんの初日演奏のあと「モーツァルトを愛する人は、是非ウチダの演奏を聴きに行くべきだ」と批評の中に思わず書かずにいられなかった。」という。

 「この40年はロンドンでひとり住まい」に対して「私がつくっている西洋音楽の世界というものは、私程度の才能では日本に住んだら死んでしまいます。私が勉強したウィーンには伝統の良さと悪さの両方があってモーツァルトはこういうものというような押しつけがましい規則にあふれていました。英国の方が自由な空気があるはずだと本能的に思ったんです。実際にそうでした。ロンドンが私の家。ああ、帰ったなとほっとします。」これで彼女のロンドン好きの謎が解ける。

 先年の来日記念会見で内田さんは「1000回生まれ変わったら998回はピアニストに」と言っておられる。あと2回はヴァイオリニストにというのも面白い。

 今後「20世紀のものをどんどん取り上げたいですね。シェーンベルクとヴェーベルンを中心に、これを広げて「ウィーン派と新ウィーン派とその友人たち」とするとモーツァルトもシューベルトも入ればベートーヴェンもブラームスもバッハも入る。面白いプログラムをつくってみたいな、と。

それと乗りかかった船でベートーヴェンの協奏曲集。シューベルトとシューマンとかドイツ語の世界にも気を引かれます。だから、もう人生短くて、短くて、アホなことやってられない」


※この「アホ」なことに因んで次のような言葉がある。「私は口紅1本持っていません。そんな時間が勿体ないから」 アハハ・・、(笑)。

最後になりますが、「少なくとも80歳まではピアノを弾き続ける」といわれる内田さん、今年も日本公演が行われるようですね。

日本と西洋の「文化と価値観」が合体しているといわれる独自の「内田節」が今後さらに完成度を高めて、歴史に名を刻むピアニストとして人々の記憶にきっと長く刻み込まれることでしょう。

 

冒頭の話に登場した角館の武家屋敷「つらら」の写真です(ご提供)。

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絶好調の波に乗るオーディオの原因

2025年02月21日 | オーディオ談義

今年に入ってから絶好調・・、まさに波に乗っている感がある我が家のオーディオシステム。もちろん「持ち主」の勝手な思い込みですから、他人からすると「?」かもしれませんけどね(笑)。

ただし、唯一の読者の反応を示すアクセスの方もこれまた絶好調です! オーディオ記事は日頃低調なのにね・・、珍事です。

まあ、自分さえ満足していればそれでいい世界ですから、別に大向こうを唸らせる必要はないんでしょうけど。

あっ、そういえばときどき「You Tube」で「豪華なシステム」を散見しますが、ご努力と財力には大いに敬意を表しますものの、個人的にはいつも長所(音のスケール感)と短所(音のスピード感)が裏腹になっている印象を受けます。言い換えると、シンプルな小型システムにはそれなりの良さがあり、それは音にスピード感があるところ。

経験上から言って「大掛かりなシステムになればなるほど上手く鳴らすのが難しい」のではないでしょうか。

それに、こういう番組に登場する人って表面上だけで判断するのは危険ですが「音と音の間の沈黙を聴く」タイプが少ないような気がします。もちろん、それが良いのか悪いのかは別問題ですよ~(笑)。

おっと、つい話が横道に逸れてしまいましたので戻ります。

現在、新装なった「JBL」の変則3ウェイシステムで聴いてますが、今のところ何ら欠点が見当たりません。

来し方を振り返って、JBLってこんなに良かったかな?と怪訝な気持ちですが、アンプが良くなればなるほど実力を発揮するタイプかもしれないです・・、真空管アンプに限った話ですけどね(笑)。



そして、珍しく絶好調の波が来ているとくれば「時の運」が味方しているわけですからこういうときこそ一気呵成に攻め立てるに限ります。麻雀のツキと一緒みたいなものですから逃がさないことが肝心~(笑)。

JBLシステムに後ろ髪を引かれる思いですけど、その気になればいつでも復活できるのが強みなので、新たにチャレンジすることにしました。

<攻め立て事例>



先日のテストで好印象だった「スーパー10」をウェストミンスターの上に乗っけました。これをフルレンジで鳴らし、ウェストミンスターを100ヘルツ以下のサブウーファーとして使う目論見です。

病み付きになった超高音域を受け持たせるツィーターには、デッカのリボンツィーターを持ってきました。

ワクワクしながら聴いてみると、どうしても直前に聴いていたJBLと比べてしまいますよねえ。JBLが味付けのやや薄目の料理だとすると、こちらの方は濃厚な味付けに聴こえます。

これはこれで悪くはないんですけど、長時間聴くのには味付けの薄い方がいいなあ~という気がしてきました(笑)。それに、「D123」(JBL:口径30cm)のスカッと爽やかで小気味よく弾んでくる低音の魅力といったらちょっと忘れ難いですね。

JBLといえば以前に「D130」(口径38cm)も使ったことがありますが、どうしても上手く鳴らせなくて手放しました。我が家のサウンドに「口径38cm」は合わないようです。

そして、しばし沈思黙考のすえ思い切って次のように変えました。



英国ワーフェデールと米国JBLの混成旅団です。そしてここから予想だにしない大迷走が始まりました(笑)。

クロスオ―ヴァ―の設定とアンプの選択が難しくて・・、

1 「D123」を100ヘルツでローカットしてサブウーファーにして、「スーパー10」をフルレンジで鳴らしてみたところ

サブウーファーとフルレンジの相性が最悪でした。バランスがうまく取れないです。

2 仕方なく方向転換して、クロスオーヴァーを従来通り「700ヘルツに設定したところ、これでようやく一段落してひとまず聴けるようになりました。つまり、「D123」の低音の質の方が「スーパー10」を上回ったということになります。

3 最後の仕上げはアンプの起用方法です。これも迷走しましたが、「スーパー10」には「STCの出力管アンプ」を、「D123」には「6AR6」(三極管接続)を充てこんでようやく結着をみました。

結局、右往左往して行き着いた姿となると、単純に「175ドライバー」を「スーパー10」に代えただけという形になりました、あ~、バカらしかった!(笑)。

管楽器はともかく、弦楽器にかけては当然のことながら「スーパー10」に軍配が上がりますから、しばらくこれで聴いてみましょう。

それにしても、今回のドタバタ劇で終始「影の主役」を果たした感があるのは、STCの出力管アンプ(モノ×2台)でした。

どんなスピーカーに起用しようとも見事に魂を吹き込むんですよねえ・・、冴えない音が見事に豹変するんです!

結局、一連の「絶好調の波」の原因はこのアンプだったことがわかりました・・、な~んだ、「時の運」(ツキ)じゃ無かったのか!(笑)。



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「南海トラフ巨大地震」と「ネコ学」~読書コーナー~

2025年02月20日 | 読書コーナー

☆ 知っておきたい地球科学



この種の本で知りたいのは率直に言って「南海トラフ巨大地震がいつ頃起きるんだろう?」に尽きます。すると、181頁にこう書いてありました。

「2030年代に南海トラフ巨大地震」

今回の巨大地震は「東海」(静岡県)「東南海」(名古屋~和歌山)南海」(和歌山~四国)の三か所が連動して起こると予測されている。

起きる順番も過去の事例から決まっているようで最初に「東南海」、次に「東海」、そして最後が四国沖の「南海」地域となる。

南海トラフ巨大地震は発生時期が科学的に予測できる殆んど唯一の地震である。この虎の子の情報を活用し、激甚災害を迎え撃たなければならない。

過去の経験やシミュレーションの結果から述べると、南海トラフ地震が起きるおおよその時期は、地震学者たちは2030年代には起きると予測している。筆者も2040年代までにはほぼ確実に起きると考えている。

政府の地震調査委員会は地震の発生確率を公表しており、南海トラフについては30年以内に発生する確率を「70~80%」にしている。

実はここに大きな問題がある。こうした確率で示したのでは緊急性が伝わらない・・、そこで筆者は具体的に「2035年 ± 5年」と予想している。

そして、その災害規模は東日本大震災よりも確実に一桁大きい。津波はおよそ34mの巨大なものになる。(要旨)

以上のとおりです。

なるべくなら2020年代に人生を終えたいものですね、アレッ、もうすぐだ(笑)。

☆ ネコ学



貴方は「猫派」ですか「犬派」ですか?

と、問われたらどう答えますか。ブログ主の場合は玉虫色の「両派」です(笑)。

本書によると(178頁)、テキサス大学がオンラインで行ったアンケート調査では、回答者の半分近くは犬派であると答え、約1/4の人が犬も猫も両方好きだと答えたが、猫派であると答えたのは12%に過ぎなかった。

どうも猫派の方が分が悪そうですね。印象的にもそのようです。

アメリカでは「猫好き」というのは冷笑の的になったり意地の悪い言われ方をすることが多い。たとえば、犬が嫌いな人は信用できないとか、猫を複数飼っている女性が「猫好きおばさん」と揶揄されたりする。

ちなみに、現在の副大統領「ヴァンス」氏が、かって女性のハリス副大統領(当時)を指して「子供のいない猫好きの女性たちにアメリカが運営されている」と、攻撃したところ猛烈なバッシングが起きたのは記憶に新しいところ。

男性らしさを表すテストストロン(男性ホルモン)の分泌量と猫嫌いが比例しているような印象を受けるのは筆者だけでしょうかね。

現実にも、ご近所の例だけど「猫好きなんだけど主人が嫌うので犬を飼ってます」という奥さんたちがいます。

そして、ウォーキングでときどきお会いする、年の頃80歳ぐらいの仲良しのお婆ちゃんは、昨年春にご主人を亡くされたそうで、その後に3匹の猫を飼われ
「もう可愛くてねえ・・、この子たちを残して死ぬわけにはいかないから歩いているのよ」と、目を細めながら大きな生きがいになっているご様子。

筆者は、前述どおり玉虫色ですが、猫の気紛れなところが気に入ってます。パタ~ンが決まっていないので意外性が散見される・・、そう、これはオーディオと似てますね(笑)。

猫については、さらに面白い記述がありました。


「左団扇(うちわ)の生活は幸せか?」(96頁)

以下、転記します。

仕事柄、連日ネズミの行動を観察します。通常、エサは皿に入れられいつでも食べられる状態ですが、レバーを押すとエサが出てくる仕掛けに変えると、すぐに学習し上手にレバーを押すようになります。

このネズミに二つのエサを同時に与えてみましょう。一つは皿に入ったエサ、もう一つはレバー押しで出るエサ。得られるエサはどちらも同じです。さて、ネズミはどちらのエサを選ぶでしょうか。

試せばすぐにわかります。レバー押しを選ぶ率が高いのです。苦労せずに得られる皿のエサよりもタスクを通じて得るエサの方が価値が高いというのです。

これは「コントラフリーローディング効果」と呼ばれ、犬やサルはもちろん、鳥類や魚類に至るまで動物界に普遍的にみられる現象です。ヒトも例外ではありません。

こうした実験データを眺めると、労働の価値について考えさせられます。「左団扇の生活」には誰もが憧れますが、仮にそんな夢のような生活が手に入ったとして、ほんとうに幸せでしょうか。

ちなみに、コントラフリーローディング効果が観察できない唯一知られた動物がネコです。ネコは徹底的な現実主義です。レバー押しに精を出すことはありません。

以上のとおりです。

結局「ネコ学」の極まるところ、このエピソードが象徴しているとは思いませんかね(笑)。


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音と音の間の沈黙を聴く!

2025年02月19日 | 音楽談義

昨日(18日)のこと、オーディオ仲間のNさん(大分市)からお電話がありました。

「例のプリアンプの真空管「12AU7」を「CV4068」に代えた件だけど、プレート電圧は一緒だけど、電流値が違うので抵抗を変える必要があるよ。ついでのときに持ってきてくれないかな」

「えーっ、そうでしたか! 今でも十分上手く鳴ってますよ」

「いや、ちゃんとした規定値に納めておかないとどうも目覚めが悪くてね」

「ハイ、わかりました、今からお伺いします」

プリアンプはパワーアンプと違って小振りだし軽いので助かります。クルマを40分ほど走らせました。

抵抗値を決める細かな計算に想像以上の時間がかかって、作業に1時間半ほどかかりました。

無事終了して、その帰り道に久しぶりに「本屋さん」に立ち寄ったところ、
さりげなく店内に流れていたBGMがモーツァルトのピアノソナタでした。

「ああ、いいなあ!」と、思わずウットリして立ち尽くしてしまいました。

このところまったくご無沙汰だったピアノソナタ(全20曲)ですが

「一生の間、間断なく固執して作曲したジャンルに作曲家の本質が顕現している。モーツァルトのピアノソナタは湧き出る欲求の赴くままに、何らの報酬の当てもなく作られた故か不思議な光芒を放って深夜の空に浮かんでいる」(石堂淑朗氏)

のとおり、モーツァルトの作品の中では非常に地味な存在だが聴けば聴くほどにモーツァルトの素顔が顕わになる音楽であり、一度はまってしまうと病み付きになる音楽でもあります(笑)。


急いで自宅に戻ると関連のCDを引っ張り出しました。「プリアンプ」の改造のせいか、以前よりも何だか音が艶めいてきましたよ(笑)。

      

感受性が豊かだった30代の頃は聴きながらたびたび感涙に咽んだものだが、この年齢になるとスレッカラシになってしまい涙の一滴も出てこないが(笑)、それでもやはり相性がいいのだろうか、相変わらず琴線に触れるものがある。

グールドに始まって、ピリス、内田光子、アラウ、ギーゼキング、シフと聴いてみたがこの年齢になると自然体の演奏が一番ピッタリくるので、その点グールドはあまりに個性が際立っていてちょっと押しつけがましい気がしてきた。

当時はグールドでなければ夜も昼も明けなかったのに、年代によって好みが変わってくる典型的な例ですね。


その一方、ピリスはまことに中庸を得ていて、普段着のままの気取ったところが無いし何よりも「音楽心」があってたいへん好ましい。

「音楽は普段の生活の中で味わうものです。何も着飾ってコンサートに行く必要はありません。」が、彼女のモットーだが、この演奏も等身大そのままの音楽を聴かせてくれる。

このソナタを久しぶりに堪能させてもらったおかげで、このところオーディオに傾いていたマインドが振り子のように音楽に戻っていくのはメデタシ、メデタシ。

これが「音楽とオーディオ」の本来あるべき姿なんだから(笑)。


そして、ふとこの「音楽の押しつけがましさ」で連想したのが「生きている。ただそれだけでありがたい。」(新井 満著:1988年芥川賞)
の中の一節。

                     

この中でなかなか興味深いことが書いてありました。(61頁)

著者が娘に対して「自分のお葬式の時にはサティのグノシェンヌ第5番をBGMでかけてくれ」と依頼しながらこう続く。

「それにしても、何故私はサティなんかを好きになってしまったのか。サティの作品はどれも似たような曲調だし、盛り上がりにも欠けている。淡々と始まり、淡々と終わり、魂を震わすような感動がない。バッハやマーラーを聴く時とは大違いだ。

だが、心地よい。限りなく心地よい。その心地よさの原因はサティが声高に聴け!と叫ばない音楽表現をしているせいだろう。サティの作品には驚くほど音符が少ない。スカスカだ。音を聴くというよりはむしろ、音と音の間に横たわる沈黙を聴かされているようでもある。

沈黙とは譜面上、空白として表される。つまり白い音楽だ。サティを聴くということは、白い静寂と沈黙の音楽に身をまかせて、時空の海をゆらりゆらりと漂い流れてゆくということ。

毎晩疲れ果てて帰宅し、ステレオの再生ボタンを押す。サティが流れてくる。昼間の喧騒を消しゴムで拭き消すように。静寂の空気があたりに満ちる。この白い壁の中には誰も侵入することができない。白い壁の中でたゆたう白い音楽。」

以上、これこそプロの作家が音楽について語る、まるでお手本のような筆致の文章だとは思いませんか! 自分のような素人がとても及ぶところではありません(涙)。

サティの押しつけがましさのない音楽の素晴らしさが充分に伝わってきますが、実は、文中にある「音と音の間に横たわる沈黙」については思い当たる節があります。

以前、クラシック音楽の大先達だった五味康祐さんが生涯に亘って愛好された曲目をベスト10として掲げてあるのをネットで拝見したが、第1位の「魔笛」に続いて第2位にランクされていたのがオペラ「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)。

五味さんほどの方が愛好される音楽だからさっそく聴いてみようと指揮者の違うCDを2セット(ハイティンクとアンセルメ)を購入して聴いたところ、これがあまりピンときませんでした。
           

気の遠くなるような長い静寂の中を登場人物がぼそぼそと囁くようにつぶやく、まことに冴えないオペラで、メロディらしいものもなく盛り上がりにももちろん欠ける。五味さんほどの方がこんな曲の何処が気に入ったんだろうと正直言ってガッカリしました。

しかし、今となってみるとこれはサティの音楽とそっくりで、五味さんはもしかすると「音と音の間の沈黙」を聴かれていたのかもしれないと思えてきました。

この沈黙を聴きとるためには、聴く側にも心の準備として自己の内面と秘かに向き合う「静謐感」が必要であることは、クラシック音楽ファンならきっと思い当たるに違いありません。

とはいえ、「音楽は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華できる」なんてことを偉そうに書くと、すぐに馬脚が現れそうなのでこの辺でお終いにしておくのが無難でしょうよ(笑)。

 

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