天北線(北海道のローカル線で廃線ずみ)の会の、管理人K藤さんへ。
いつもMLの運用・保守有難うございます。しんちゃんの件で、MLにメールが流れてきましたが、返信してもMLに配信されません。他の方のメールは、配信されてきます。なんで?
「らくらく連絡網」のHPからも、K藤さんあてに不達についてメールを送りましたが、届いていませんか? 当方のメールがおかしいのかと思い、自分あてにテストメールを出したら配信されました。
K藤さんの管理するサーバーで、状況が分かったら教えてもらえますでしょうか? ちょっと、連絡が難しそうなので「業務連絡」してみます。
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対応、有難うございます。無事に、MLから配信されるようになりました。
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てんぽくの会とは・・
今から3〇年ほど前、東京のとある大学の卒業を間近に控えていた若者3人がいた。北海道にはまだまだ広範囲に国鉄が走っており、ワイド周遊券を使ってユースホステル(YH)を渡り歩く人も多かった時代である。
その3人組は、暇はあるが金はあまりないので、北海道ワイド周遊券とYH会員証、それに少ない資金にスキー板を担いで急行「八甲田」に乗って青森を目指したのである。
青森⇒函館は青函連絡船を利用する。函館に着いてから凍り付いたホームを全力で走って、札幌方面の特急(自由席)に乗るというのが普通であった。当然「走らないでくださーい」というアナウンスがあるのだが、自由席に座るためには無慈悲な競争に勝たなければならない。
我々には、重いスキー板があるので、走るのには不利である。その時、ばあちゃんが声をかけてきた。
「あんたらの荷物を1つ持ってやるから、自分の席も確保してくれんかな」
「がってんだ」思惑は一致した。
我々は無事に自由席に座れ、ばあちゃんも座れた。札幌に一泊してから富良野に向かい、富良野ホワイトYHに連泊し、一週間スキー三昧であった。その後、スキー板を自宅に送り返し、我々は極寒の北海道をさまようことにした。
中略 あーたら、こーたら、いろいろありまして・・
浜頓別YHを笑顔で見送られ、我々は天北線に乗ったのだが、あろうことか大雪のため列車は立ち往生してしまった。ちょうど高校の通学時間帯の列車だったので、地元の学生も沢山乗っていた。1時間ほどたったころだろうか、「〇〇高校の皆さん、今日は大雪のため休校になりました」と車内アナウンスがあり、「やったー」と学生たちは喜びに満ちていた。
一方、我々YH組(10数人いた)は、本日中に次の目的地(皆、ばらばら)に着かないと、YHを予約している関係上まずいことになる。 ラッセルはまだか・・
2時間ほどたっただろうか、やっとラッセル車が到着し、我々は雪の中から脱出できた。なんか、妙な連帯感ができて、「天北線の会」が発足したのである。つまり、天北線で遭難しかけた会なのである。
我々は、なんとか旭川まで出て、数人が旭川YHに転がり込んだ。そこで、天北線の遭難組と、旭川YHの投宿組(北海道を周回している人が多いので、再会もいた)でこれまた意気投合して、天北の会は大きくなった。
当初、年に1回は「日本のどこかで集まろう」ということで、「集会」と呼ぶ集まりを行っていた。当初から参加できない人もおり、次第に規模が小さくなって最終的には10人以下になったのだが、なんか今でも続いているのである。誰かが「集会やるぞ」というと、全国から集まるというのが常ではあるのだが、さすがに数年に一度になってしまった。渡米した人もいるしね。基本的に廃線になった天北線に由来するので、会員は増えません。なので、てんぽくの会は絶滅危惧種なのであります。
いろいろ面白い話はあるのだが、昔話になるのでやめておきましょう。
いつもMLの運用・保守有難うございます。しんちゃんの件で、MLにメールが流れてきましたが、返信してもMLに配信されません。他の方のメールは、配信されてきます。なんで?
「らくらく連絡網」のHPからも、K藤さんあてに不達についてメールを送りましたが、届いていませんか? 当方のメールがおかしいのかと思い、自分あてにテストメールを出したら配信されました。
K藤さんの管理するサーバーで、状況が分かったら教えてもらえますでしょうか? ちょっと、連絡が難しそうなので「業務連絡」してみます。
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対応、有難うございます。無事に、MLから配信されるようになりました。
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てんぽくの会とは・・
今から3〇年ほど前、東京のとある大学の卒業を間近に控えていた若者3人がいた。北海道にはまだまだ広範囲に国鉄が走っており、ワイド周遊券を使ってユースホステル(YH)を渡り歩く人も多かった時代である。
その3人組は、暇はあるが金はあまりないので、北海道ワイド周遊券とYH会員証、それに少ない資金にスキー板を担いで急行「八甲田」に乗って青森を目指したのである。
青森⇒函館は青函連絡船を利用する。函館に着いてから凍り付いたホームを全力で走って、札幌方面の特急(自由席)に乗るというのが普通であった。当然「走らないでくださーい」というアナウンスがあるのだが、自由席に座るためには無慈悲な競争に勝たなければならない。
我々には、重いスキー板があるので、走るのには不利である。その時、ばあちゃんが声をかけてきた。
「あんたらの荷物を1つ持ってやるから、自分の席も確保してくれんかな」
「がってんだ」思惑は一致した。
我々は無事に自由席に座れ、ばあちゃんも座れた。札幌に一泊してから富良野に向かい、富良野ホワイトYHに連泊し、一週間スキー三昧であった。その後、スキー板を自宅に送り返し、我々は極寒の北海道をさまようことにした。
中略 あーたら、こーたら、いろいろありまして・・
浜頓別YHを笑顔で見送られ、我々は天北線に乗ったのだが、あろうことか大雪のため列車は立ち往生してしまった。ちょうど高校の通学時間帯の列車だったので、地元の学生も沢山乗っていた。1時間ほどたったころだろうか、「〇〇高校の皆さん、今日は大雪のため休校になりました」と車内アナウンスがあり、「やったー」と学生たちは喜びに満ちていた。
一方、我々YH組(10数人いた)は、本日中に次の目的地(皆、ばらばら)に着かないと、YHを予約している関係上まずいことになる。 ラッセルはまだか・・
2時間ほどたっただろうか、やっとラッセル車が到着し、我々は雪の中から脱出できた。なんか、妙な連帯感ができて、「天北線の会」が発足したのである。つまり、天北線で遭難しかけた会なのである。
我々は、なんとか旭川まで出て、数人が旭川YHに転がり込んだ。そこで、天北線の遭難組と、旭川YHの投宿組(北海道を周回している人が多いので、再会もいた)でこれまた意気投合して、天北の会は大きくなった。
当初、年に1回は「日本のどこかで集まろう」ということで、「集会」と呼ぶ集まりを行っていた。当初から参加できない人もおり、次第に規模が小さくなって最終的には10人以下になったのだが、なんか今でも続いているのである。誰かが「集会やるぞ」というと、全国から集まるというのが常ではあるのだが、さすがに数年に一度になってしまった。渡米した人もいるしね。基本的に廃線になった天北線に由来するので、会員は増えません。なので、てんぽくの会は絶滅危惧種なのであります。
いろいろ面白い話はあるのだが、昔話になるのでやめておきましょう。