このブログでは過去に何度か「わかりやすさ」について書いてきました※。それも否定的に。その理由は「わかりやすい」がときに胡散臭(うさんくさ)いからです。「胡散臭い」は「何となく疑わしい。何となく怪しい」という形容詞です。形容詞ですから、あくまでも主観的な判断によるものです。たとえば、ある人にとっては「おいしい」ものが誰にとっても「おいしい」とは限りません。「わかりやすい」も同様です。
もちろん、「わかりやすい」ことはとても大切なことです。義務教育では最も優先されるべきでしょう。小学校で習う算数は、数学というとても大きな理論体系の一部をわかりやすくまとめたものです。その教科書は小学生向けとはいえ、数学についてよく理解している人が「わかりやすく」書いています。小学校の先生は、大学の教員養成課程などで「わかりやすく」教える訓練を受けています。
一方、大学で教えるには教員免許は必要ありません。教育学部を除けば、大学には「わかりやすく教える訓練」を受けていない教員がたくさんいます(95%くらいでしょうか)。学生自身も、大学で学ぶために必要な知識と経験をある程度身につけている(だろう)という前提もあります。
最近は大学の教員も学生から「授業アンケート」というかたちで評価を受けます。その中に「講義はわかりやすかったですか」という項目がよくあります。「わかりやすい」講義をできなかった教員は、学問的な業績がどれほど素晴らしくてもダメ出しをされます。研究と教育は別物ですから、これはこれでしかたがないのかもしれません。
社会人になるとさらに「わかりやすさ」が求められます。ビジネスにおいては、わかりにくいことは悪であるかのようです。もちろん、わかりにくいことが誤った行動を引き起こし、損失を生じてしまうことは多々あります。特に技術にかかわるドキュメントにおいては、わかりにくさは最大の敵です。
わかりにくいことの根っこにあるのは、複雑さであり曖昧(あいまい)さです。複雑なことを単純な「部分」に分解し、あいまいさを排除するために数字や具体例を使って示すことで「わかりやすさ」を実現します。そのため、「わかりやすい」はたくさんの言葉や文字によって支えられています。テクニカルドキュメント、たとえば技術マニュアルはそれなりのページ数になります。
技術的なことはもとより、ビジネスの現場で起こることの多くは複雑で曖昧です。それをわかりやすくするためには、たくさんの言葉が必要になるはずです。ところが多くの多くのビジネスパーソンはたくさんの言葉を聞きたくないようです。地位が高い人ほどその傾向が強くなります。
「ごちゃごちゃ言ってないでわかりやすく説明しろ!」「一言で言えばどういうことだ?」「どうでもいいから結論だけ言え!」
上司からこうした言葉をぶつけらた方は多いと思います。言いたいことをずばり伝えるスキルは、ビジネスパーソンにとって必須です。特に上司に対してはくどくどと説明をしてはいけません。地位が高くなるほど気が短くなるからです(寿命もです)。
こうしてビジネスパーソンは「わかりやすい」とは「余計なことを言わないこと」であると刷り込まれていきます。ビジネスパーソン向けのセミナーやウェブサイト、書籍が「わかりやすい」ことを前面に出しているのもうなずけます。
そして上司に言われたセリフをそのままセミナー講師にもぶつけます。「面倒なことはいいからもっとわかりやすく教えてくれ!」講師もそのニーズに応えます。「××だけわかっていればOKです!」
それは、たくさんの言葉を尽くしてていねいに伝えることを止めてしまったということです。ほんとうにそれで良いのでしょうか?脱線しますが、昨今の政治家の言葉を聞くにつれ、その思いが強くなります。
ビジネスパーソンに限らず大人こそ、ていねいに聞き、深く考えることがなによりも大切ではないでしょうか。それをしなくなるように仕向ける「わかりやすい」言葉を聞くたびに、だんだん自分の頭も考えること止めてしまうのではないかという恐ろしさを感じます。
だから私はとりあえず「わかりやすいはうさんくさい」と言い切るようにしています。
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