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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

口笛を吹きながら

2010-10-22 08:44:39 | 日記
 どこまでも行こう、道は険しくても、口笛を吹きながら走っていこう、と歌に書いたのは小林亜星さんだ。タイヤのコマーシャルソングとして使われ、口を開けば強烈な論理が飛び出しそうな一部の左翼的若者文化に辟易していた多くの、のびやかな、そして希望にあふれる若者達に人気を博し、大ヒットとなった。
 
 ちょっとした言葉が人に道を示し勇気を与えてくれる。心を躍らせる曲がつくとなおさらだ。深く染み込んで、ふとしたはずみで口をつく。歌に慰められたり励まされたりして壁を乗り越えてきた人も多いのではないだろうか。歌を歌うと前を向く力が湧いてくる。

 勇気をくれる言葉や歌とは裏腹に、応援するつもりで「頑張ってね」と言った言葉が言われた男の気持ちをくじいている、という話もある。最近新聞の投書欄に連続して載った話だ。どうやら世のお父さんは奥さんに「頑張って」と言われ続けるのが苦痛らしい。ある奥さんは毎朝「いってらっしゃい、頑張ってね」と言い続けて来たが、ある時ぼそりと亭主から「こんなに頑張っているのに、これ以上どう頑張れって言うんだという気持ちになる」、と打ち明けられて、毎朝何て言えばいいかわからなくなったそうだ。別の先輩主婦から、「いってらっしゃい」と「笑顔」だけでいいのだ、と、この何と言えばいいかわからなくなった奥さんに助言の投書があった。繊細な男性諸氏を励まし勇気づけるのはなかなか難しい。奥さんの「頑張ってね」で落ち込んでしまう亭主に、会社の上司が「頑張れ」と言い続けるとどうなるのか、考えるだけで恐ろしい。
 しかし、毎日ギリギリまで頑張って今こうしているのだ、という状況を周囲が察知するのはなかなか難しい。応援するつもりで「頑張れ」と声をかけてしまうのも仕方がないように思う。昔からずっとそうなのか、最近このような傾向が強まってきたのかわからないが、「頑張れ」という言葉を含めた人を励ます言葉や健康を確認する言葉、例えば「元気?」などは十分に気をつけて使わなければならない要注意単語になっている。うつ傾向で薬を飲んでいる人に「元気?」とか「大丈夫?」と聞くと、「元気じゃないから薬を飲んでいるのに判ってくれないのか」、「大丈夫なら薬なんて飲んでいないって言い続けてきたのにまだ言うか」とかなり傷つくらしい。薬を飲んでいなくても近似の思いを抱くだろうから難しい。
 そこへ行くと世の歌は、大した力を持っている。歌を歌うように誰かを応援できたらいい。最近とんと吹いたこともないが、たまに口笛でも吹いてみようか。


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ながら

2010-10-21 08:47:09 | 日記
 音楽を聴き「ながら」、テレビを見「ながら」、などと言う時の「ながら」は、集中できていないと言う意味で、あまり良いことではない、と親に注意されて育ってきた方が多いのではないだろうか。勉強する時は勉強しろ、という感じで。
 しかし、社会に出てみると、すべからくあらゆるものが「ながら」進行する。状況を見「ながら」今やるべきことをやり「ながら」将来の布石も打っておく、という風に。「ながら」仕事が出来る人こそ、できる人であって、常にひとつの仕事しか出来ない人は、なかなか、できる人、とは呼ばれない。例えば料理などがその典型だ。煮物をし「ながら」、味噌汁の具を刻み「ながら」味噌汁の鍋のお湯も沸かしている、ようなパラレルな仕事ぶりができるようにならないと、料理が出来る人とはなかなか呼ばれない。私が料理が出来る人になるまでの道のりは遠い。

 「ながら」仕事が出来る人は、一つ一つの仕事の単位においては極めて集中している。集中し「ながら」並行してできることにも気を配っている。仕事の「場」が見えているのだ。
 逆を言えば、「ながら」仕事が出来ない人は、見えている世界が狭く、「場」が見えない。「場」が見えない人ばかり集まってしまうと、集まった人たちの間でコミュニケーションが出来ない。顔を突き合わせてもただ静かに誰かが自分に何か言ってくれるのを待つばかりだ。みんな同じ状況なので、いつまでたっても誰も何も言わない。
 マネージャに選ばれる人なら「ながら」仕事が出来て当然だろうと思ったりするが、どこでどう間違ったのか、「ながら」仕事が出来ない人もいる。時間の経過、経験とともにできる人になっているはずだ、という思い込みと、出来る人であって欲しい、という願いが合致して、「場」が見えない「ながら」仕事が出来ない人をついマネージャに任命してしまうのだろう。たまたま、何かの都合で一時的に「場」が見えなくなっているだけ、とも考えられるが。

 マネージャからチームのメンバーまでみんな揃って「場」が見えていない、というプロジェクトに出くわすことがある。これはもう悲惨というしかない。仕事に意義を見出し、自ら楽しくやって行く、という姿勢がまるでないチームが出来上がる。このようなチームのプロジェクトの結果がどうなるかは、考えなくともわかる。
 「ながら」仕事が出来るようになるためには、心に余裕が必要だ。あるひとつのことだけでパンパンに緊張してしまう人は、当然それしかできない。だめでもともと、ま、だめでも仕方がないか、ぐらいに考えてテキトーに余裕を見せている人がいい。そういう人はウソでも「笑顔」を作れる。不思議なもので、ウソの「笑顔」でも笑顔を作れる人は心に余裕が生まれ、「場」を見る目が育つ。健康であるために努力する必要もあるだろう。当然ながら健康な人のほうが不健康な人より自然な「笑顔」が出易い。つまり、心に余裕を持ち易い。「場」が見える人になれるかどうかはわからないが、不健康な人より余程いい。

 マネージャが「場」の見えない人なら、チームの誰かひとりでも「場」を読んで自らムードメーカーになってくれると良い方向に流れが変わる場合がある。「場」をよく読むマネージャのいるチームで作業する場合であっても、そうでないチームで作業する場合であっても、結局あらゆる局面で、『自ら進んで』対応するという姿勢がないと、仕事が面白いと感じられる結果は得られないだろう。与えられた目の前の仕事をし「ながら」、自分で買って出たチームのムードを高める仕事もする、という、ここでも「ながら」が必要なのだ。


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温泉に行こう

2010-10-20 07:45:33 | 日記
 毎日頑張っていると、知らないうちに疲れが溜まっている。肩が凝ったり、いきなり睡魔に襲われたり、ううう、これはいかん。そんな時は、何もかも投げ出して、どこかでのんびりと温泉にでも、と思ったりするのだが、その気持ちを、「やもり」と言うグループが「温泉に行こう」という歌にして歌っている。

「できませんって言うのがイヤで、がんばってしまったから、もうここまで」とか「見て見ぬふりはできない性格、気がつけば山盛りの生活」と嘆いた後で「温泉に行こう、今すぐに行こう、助けはいらない、大人のやりかた、温泉に行こう、ゆっくりつかろう」と軽やかに歌う。「やもり」とは矢野顕子と森山良子という、やけにゴージャスな2人のユニット名だ。お湯につかる、というのも疲れをいやす一つの大きな手ではあるが、日常の毎日を離れて、いつもと違う空気や時間の中に自分を置いてみる、というのも溜まったものを吐き出す良い手であるように思う。その意味で「温泉に行く」、というのはまさに疲れを癒しリフレッシュする最高の手なのかもしれない。

 しかし、最近でこそ温泉に行きたい、という気分にもなるが、もっと若かった時には、温泉に行きたいなどと思ったことはほんの少しもなかった。お湯に入ってまったりして何が楽しいのだろう、と思っていたものだ。ま、それだけ元気だったということだろう。ただ、日常を離れて遠くに行きたい、冒険がしたい、という思いは毎日の生活に飽きるとすぐに噴き出した。私が最初に家族から離れて一人で旅に出た、というのは高校1年生が終わり2年生になろうという春休みのことだった。旅行というほど大したことではないが、母方の実家がある宮城県気仙沼市を目指してあちこち寄り道をしながら列車を乗り継いだ。
 もしかすると今でも電化されていないのかもしれないが、今から30数年前は2両ほどの客車をディーゼル機関車が引っ張るというかわいい列車が仙台と石巻をつなぐ仙石線と石巻と気仙沼をつなぐ気仙沼線を走っていた。
 薄く曇った日に上ったばかりの満月のようなぼんやり光る丸く黄色い室内灯を点々と灯したやけに高い天井の列車室内。ピカピカに磨かれて光る木の座席と通路。茶色い落ち着いた空間に早口のおばちゃんたちの甲高い声が響く。やけに楽しそうだ。夜の気仙沼線に乗るのは、石巻に行商に行って仕事を終えたおばちゃんたちばかりだ。神奈川育ちの高校1年生には、おばちゃんたちの気仙沼言葉がまったくわからない。外国に来ているような気分になった。列車が走る車外にはまだ雪が積もっていたと思う。帰りは大船渡線に乗って平泉の中尊寺を眺めてから神奈川に戻った。
 こんな小旅行だったが、16歳の少年にはかなり刺激になり、翌年の同じ時期には友達を誘って2人で東北一周旅行をした。春休みの期間が2週間だったのだが、その最初の日の夜、上野を出発して、最後の日の朝、新宿に帰着した。所持金は3万円。家に帰った時には10円か20円しか残っていなかった。この旅は本当に思い出深く、エピソードも豊富なので、ブログ1回ではとても書ききれない。かといって1つ1つのエピソードをしっかり書き起こせるほどパワーが無い。元気な時に少しずつ書いてみたいとは思う。能代の雪山で雪に埋もれて遭難しそうになったり、鳴子温泉のストリップ小屋で鸚鵡を肩に乗せたお兄ちゃんに踊り子さんを紹介してもらったり、福島県の演劇鑑賞会にいきなり入会して文学座の蟹工船を県民ホールで鑑賞するはめになったりと忘れられない出来事が頭の中を駆け巡る。
 さらに翌年の同じ時期には、つまり高校3年が終わる春には仲間を誘って北海道に流氷を見に行く計画を立てた。私はその頃、大学入試に落ち、浪人することが決定していた。結局計画を立案した私は、計画立案中に見つけたアルバイトが忙しく、誘った仲間だけが北海道に行く、という悔しい思いをした。悔しい思いを晴らすため、アルバイトの期間が終わるや否や、北海道一人旅に飛び出したが、流氷はすでに北の海に去っていて見ることができなかった。この旅もエピソードが豊富で忘れられない。北海道一周のつもりで出かけたが北半分を回って継続する資金が底をつき、帰ってきた。
 浪人生活中は、友人と二人で自動車による出雲大社ツアーを2週間かけておこなった。本当に行き当たりばったり適当に車を走らせて出雲まで行って帰って来ようというものだったが、あんなに楽しい旅行はもう2度とできないだろうというぐらい面白い旅だった。以後は紀伊半島一周や、いきなり広島原爆ドームツアーなど自動車を使った突然無計画旅行断行のような旅が主流になった。日常生活が重くなってくると、バランスを取るように非日常を重くしていたのだろう。

 しかし、会社生活にどっぷりはまって来たころには、日本中あちこちでシステム開発作業にあたることになり、日常が非日常化してくるようになってしまった。そうなるともう日常を離れて遠くに行くということが魅力では無くなってしまったように思う。と同時に、のんびり温泉にでも、と思うようになって来た。紅葉が見える秋の渓谷でのんびり、などと思うこの頃だ。


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ダイバーシティ

2010-10-19 08:30:29 | 日記
 多様性という言葉を最近よく聞く。生物多様性会議などという国際会議がある。今年10回目の生物多様性条約締約国会議を指してCOP10と呼ぶらしい。生き物会議とも呼ばれている。昨日18日から名古屋で本格的な会合が始まった。29日まで続く。
 地球上に生きる生物の多様性をどうやって守っていこうか、というこれまでにない前向きな会議だ。これから数年を見通した世界の目標を明確に打ち出すことが出来るかどうかが、この会議の成否を分ける結果となる。もし、あいまいでテキトーな目標すらまとまらないようなら、人類を含む地球上のあらゆる生物の存続は危うい。しかし、またしても経済と利益、先に権益を得た者と後を追う者、原産国と利用国などという、最近よく聞くキーワードを発端にする対立がそこかしこに渦巻き、29日にまでに世界を巻き込む合意が得られるかどうかまったく不透明だ。
 日本は古来、和をもって尊しとなす国であったはず。様々な異論が百出する「多様性」の会議をうまくまとめて欲しい。生物の多様性と人間の多様性はまた別に考えなければならない問題かもしれないが、多様でありながら協調して行ける社会はすばらしいと思う。

 「多様性」を英語ではダイバーシティと言う。企業経営の世界ではダイバーシティ・マネジメントなどという言葉で「多様性」よりダイバーシティの方が浸透している感がある。男性も女性も白い人も黒い人も黄色い人も健常者も体が不自由な人も朝早く仕事がしたい人も夕方から仕事を開始したい人も、持続的にうまーくやって行ける組織を作ることは出来ないだろうか、というようなことを考えるマネジメントの方向性を言う。アメリカがダイバーシティ・マネジメントの先進国だと言う。しかし、そのアメリカにしても世界の国々と協調して助け合って行く世界的なダイバーシティ・マネジメントのレベルでは、最近首を傾げたくなる言動が多い。折りしも中国と日本の間は、今、相当にギクシャクしている。その上、COP10が開かれている名古屋と言えば河村市長と市議会が徹底的なケンカ状態になっている場所だ。世界が最も多様性を発揮している時期にかなり熱くなっている場所を選んでCOP10開催となった感じがしなくも無い。つまり、世界の生物の未来は人類の自制によって守られる可能性が少なくなって来ている、ということだ。

 19世紀20世紀は経済を沈滞させないリーダーが世界の良いリーダーだった。しかし、21世紀は評価基準が異なって来ている。真っ暗な状態でもあきらめるなと励ましながら、少ない資源を公平に、納得させて分配する力を持っていなければならない。限られた資源をいかに納得させて配分することができるかが良いリーダーの評価基準になって来ている。市民もひとりひとりが自分がリーダーであるぐらいの自覚を持たなければ、つまり、やらされている感を捨て、自分自身が考えて自分自身が主導していると信じなければ、とてつもなく少ない配分資源に納得などできるはずもない。生き残っていくことが、未来に人類を送り込むことが、自分の自分達の使命だと強く信じることがリーダーにも市民にも求められている。


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神無月

2010-10-18 11:02:49 | 日記
 10月は神無月とも言われる。詳しいことは知らないが、出雲で年1回開かれる全国神様会議のようなものに出席するため神様が出払ってしまうため、神様がいない月で神無月と言われている、と聞いたことがある。出雲では逆に神在月(かみありづき)と言うらしいから、なんとなくそれらしい。 八百万(やおよろず)の神々が龍型の飛行形態に変身するか乗せてもらうかして派手に集結する。なので、出雲以外の土地で10月に神様にいろいろ願っても聞いてくれない。困る。これでは十月は神社もあがったりである。そこで、留守番役としてサービス精神旺盛な福の神、恵比寿様が抜擢されて留守番を任されることになったと言う。ただ、実際は恵比寿様は耳が遠く、出雲の全神協(全国神様協議会)総会に参加しても皆が言うことが聞き取りづらいため、話についていけず、毎年つまらない思いをしていたらしい。そこで自ら留守番を買って出た。人間に大盤振る舞いしている方がよっぽど面 白いと考えたようだ。だから、10月に神様に頼みごとをする場合は、他の月以上に大声で頼まないと恵比寿様の耳に入らない。神社に裏手がある場合は、表で願い事をするだけでなく、裏手に回ってドラなどを鳴らして耳の遠い恵比寿様の耳に届かせなくてはならない。 

「恵比寿」と変換しようとすると「戎」という漢字が現れることがある。「戎」は古代中国の王朝を悩ます騎馬遊牧民族を指した言葉である。日本でも自分たちとは異なる文化を持つ種族を指してエビスと呼んでいたようだ。してみると10月出雲には日本古来の血が濃い正社員のような神々が集い、外来で他の神々とはちょっと縁の薄い、派遣社員のような神様だけが残っている、という感じにもとれる。いやいやバカなことを言っては困る、という説もあるらしい。10月は神の月なのだ、という説である。神の月が、カミナ月になり、神な月、かんなづきになったのだ、というわけだ。なぜ神の月なのか知らないが、10月は日本の神様たちにとって忙しい月であるらしいことは確かなようだ。

 「カンナ好き」という間違った入力をしてしまって思い出すのは、カンナという赤い花が小学校の花壇にたくさん植えられていたということだ。カン ナは、調べてみると熱帯アメリカの原産ということらしい。熱帯アメリカと言えばカリブの海賊で有名な北アメリカと南アメリカの中間にあるスペイン 帆船の商魂たくましい荒稼ぎの現場だ。パイナップルもカンナ同様この地域の原産だ。スペイン商人はヨーロッパにカンナを持ち帰り、すぐに繁殖させて輸出まで行った。カンナが日本に上陸するのは江戸時代前期と言われる。
 「かんな」には植物のカンナだけでなく、木材の表面を薄くきれいにそぎ落として仕上げるのに使われる大工道具の「鉋」がある。こちらは植物のカンナより200年ほど早く15世紀頃の発明品だという。中国ではもっと以前 から使われていたのだと思うが、日本に入って工夫され引いて使うシンプルなものに変わったらしい。中国や欧米の鉋は主に押して使うそうだが、日本の鉋は、手元に引きながら削る。材質も日本製は樫などの堅い木材に鉄の歯となっているが、中国や欧米のものは材質にこだわらない。建築の文化の違いが道具の違いを生んで独自に発達させたのである。現代では作る物のテーマが多様化し、頑固に日本の鉋だけを使うのではなく世界の鉋を用途に合わせて使う、という大工さんが現れているそうだ。柔軟な思考力を持つ人が新しい技術を作り上げて行くのだろう。
 
 この時期、デパートやスーパーではオレンジ色のかぼちゃに目鼻を付けたようにくりぬいた「ジャック・オー・ランタン」と呼ばれるお化けカボチャちょうちんが飾られる。10月31日がハロウィーンという日本ではあまり馴染みのない欧米のカトリック信者の間で行われてきた行事の日であることに由来する。日本のお盆の行事に近い。あの世とこの世の境がこの時期、一瞬揺らぐ。あの世の者がこの世にやって来たり、この世の者が あの世を覗くことができたりする時期らしい。日本の神様だけでなく、キリスト教の関係者もなかなか忙しい時期のようだ。

 神様関係が忙しい時期を過ぎると、たちどころに人間の忙しい時期になる。「師走」(しわす)と呼ばれる年末まで、あと74日だ。


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