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「ポニョ」

 「崖の上のポニョ」を見てきた。日曜日、お千代保稲荷へ行った返り道、高速をいつもよりインター2つ遠くまで走って、たどり着いた映画館は人でごった返していた。だが、妻がネットで席を予約しておいてくれたので、並ぶ必要もなく、機械で引き換えれば簡単にチケットが手にはいった。「映画なんて何十年ぶりだろう」と一緒に行った80才過ぎの伯母は、スクリーンがいくつもある劇場、恐ろしいほどの人の波、機械で簡単に手にはいるチケットなど、自分の知っている映画館とはまるで違っているのに、一つ一つ驚いていたのは可笑しかった。浦島太郎の気分を味わっているようにさえ見えた。

 「ポニョ」は面白かった。ジブリのアニメには何らかのメッセージが込められている、など喧伝されるようになり、それを読み取るのが見る者の務めであるかのような風潮が蔓延しているような気がするが、どうしてそんな小難しいことを考えながらアニメを見なくてはいけないのか、と私は常々不満に思っている。「ジブリのアニメは奥が深いから・・」などと言われても鼻白むだけだ。面白くないものは面白くないし、楽しければそれでいい、まったく素直に思った通りの感想を感想を語って何が悪かろう。人の意見を気にしながら、映画を見るなんて真っ平ごめんだ。
 見終わった伯母が、「いい映画だったね。おとぎ話みたいで次がどうなるか楽しみだった」と感想を述べたが、これが「ポニョ」に対する最大の賛辞だと思った。さらに「最後にもう少し話が盛り上がるともっとよかったのにね」と言ったのも、多くの人が感じたものであり、私もこれがこの映画の大きな疵だな、と思った点だった。だが、全体的に見れば、なんとなく丸く収まった感じのする話だし、ワクワク感も所々で味わえるし、ここ最近のジブリ映画の中では楽しめる映画だったと思う。私たちが見たシアターにはやはり家族連れが多かったのが、小さい子供が多かった割には、館内がざわついた感じはまったくしなかったから、子供たちも映画の中に引き込まれていたのだろう。私も上映時間が短く感じられたから、いつの間にか映画の中に感情移入していたのだと思う。
 

 ただ、どうしても最後まで違和感を払拭できなかったのは、主人公の男の子宗介が自分の両親のことを「耕一」「リサ」と名前を呼び捨てにしてにしていたことだ。宗介と同じ5才の子供を持つ家庭が全国にどれだけいるのか分からないが、こんな風に子供から呼び捨てにされる親はほとんどいないだろう。私は、たかが5年くらいしか生きていない子供から友達のように呼ばれたくはない。だが、もしこれが現代風だなどと勘違いして、自分の家でもそう呼び習わそうと考える若い親が多数出てこないとも限らない。それはいやだ。小さな子供が親の名を呼び捨てにするのを聞いたなら、思わずそんな呼び方をしちゃだめだよ、と注意してしまいそうだし、その親にも、「何考えてるの?」ときっと説教したくなるだろう。
 親は親として子供を育む義務があるが、それは対等の関係であっては成り立つものではない。親として子供と接するにはある一定の距離を保つ必要がある。友達親子などという愚にもつかない幻想が、この映画によってまた広がりを見せ始めたら、果たしてジブリはどう責任を取るのだろう・・、などと思わず考えてしまうほど、この呼び方にはどうしても異論を唱えたい。「お父さん」「お母さん」という呼び方で、なぜいけないんだろう、関係者に聞いてみたい気がする。
 映画の趣旨とは関係ない枝葉末節なことかもしれないが、子供たちが見る映画だけに気になって仕方がない。
 
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