毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
待ち
もう2月。なんとまあ時の過ぎるのが早いことか。TV画面を倍速で早送りしているようだ。困ってしまうがこればかりはどうしようもない。流れに身を任せ、振り落とされないようにするしかない。
私を中心とする時間軸は私を取り巻くものすべてにその影響を及ぼしているはずである。中心者たる私が圧倒的な時の流れの速さに巻き込まれている以上、私の周りにある物も同じように時の流れに翻弄されているはずである。だが、そうした時の支配から逸脱しているものもあるようで、早送りで進んでいく周りとは明らかに異なる時間軸で悠然と過ごしているように見える。私の部屋に置いてあるシンビジュームのことだ・・・。
昨年12月16日の記事では、もう今にも開花しそうだと書いたが、1月11日になっても咲かないため愚痴を少し書き残してしまった。あれからもう20日経ったにもかかわらず、まだ咲かない。どうしてなんだろう?

つぼみはかなり膨らんできたが、もう何週間もこんな状態だ。私の観測眼が悪いだけで、実際には日一日と開花を目指しているのだろう。ただ鈍感な私にはそれを見て取れないだけで、着々と準備は進められているのだろう。だが、短気な私には遅滞としか映らない。毎晩「早く咲いてよ」と声をかけているが、なかなか聞き届けてくれない。もう少しの辛抱だと、己に言い聞かしているが、それもこれだけ開花するのに時間をかけていると、思わず「いい加減にしろよ!」と悪態をつきたくなってしまう・・。
開花するには日照時間や気温、さらには水や肥料の加減も関係しているのだろう。私としては、日当たりの良い窓際に置き、定期的に水をやったり栄養分を与えたりして、できるだけの世話はしているつもりだ。それなのに何故?
毎晩、咲いてくれないシンビジュームを眺めているうちに、ふと次のようなことが浮かんできた。
『何を育てるにしても愛情が大切なのは言うまでもないだろう。愛情をもって接すれば、必ず相手はそれに応えてくれるはずだ。でも、育てるということは一方的に愛情を注ぐばかりではなく、その愛情を受け止めた相手がそれに対してどのような反応を返してくれるかを見極めなくてはならない。うまく相手に伝わったかどうか・・。だが、その反応は人によって千差万別だ。すぐに返してくれる者もいれば、なかなか返してくれない者もいる。そこでイラついたりしては何もならない。じっくり腰を据え、待つことができるかどうか、そこに事の成否は懸かっている。もちろん待ったところで報われることは少ないかもしれないが、そこまで待つことは相手の心を尊重することであり、それこそが最も相手に伝えたいことだろうから、決して無駄にはならないはずだ』
今は、先月末から始まった私立中学受験の真っ只中であり、もうしばらくは緊張する日々が続くが、果たしてこうした「待ち」を私は受験生に対してできていただろうか?以前よりもかなり忍耐力は強くなったと思うが、それでも結果を求める余り性急に傾いたことはなかっただろうか?・・まだすべての結果が出ていない今、反省するのは早いかもしれないが、なかなか咲かないシンビジュームを見ていると、つい舌打ちしてしまう自分では、まだまだ悠揚さが足りないと自ずと自戒の念が浮かんでくる。
そうは言ってもやはり早く花が見たいというのが偽らざる気持ちだ。合格発表が行われる来週中に咲いてくれたら、「サクラサク!」の代わりになって二重に嬉しいのだが・・。
私を中心とする時間軸は私を取り巻くものすべてにその影響を及ぼしているはずである。中心者たる私が圧倒的な時の流れの速さに巻き込まれている以上、私の周りにある物も同じように時の流れに翻弄されているはずである。だが、そうした時の支配から逸脱しているものもあるようで、早送りで進んでいく周りとは明らかに異なる時間軸で悠然と過ごしているように見える。私の部屋に置いてあるシンビジュームのことだ・・・。
昨年12月16日の記事では、もう今にも開花しそうだと書いたが、1月11日になっても咲かないため愚痴を少し書き残してしまった。あれからもう20日経ったにもかかわらず、まだ咲かない。どうしてなんだろう?


つぼみはかなり膨らんできたが、もう何週間もこんな状態だ。私の観測眼が悪いだけで、実際には日一日と開花を目指しているのだろう。ただ鈍感な私にはそれを見て取れないだけで、着々と準備は進められているのだろう。だが、短気な私には遅滞としか映らない。毎晩「早く咲いてよ」と声をかけているが、なかなか聞き届けてくれない。もう少しの辛抱だと、己に言い聞かしているが、それもこれだけ開花するのに時間をかけていると、思わず「いい加減にしろよ!」と悪態をつきたくなってしまう・・。
開花するには日照時間や気温、さらには水や肥料の加減も関係しているのだろう。私としては、日当たりの良い窓際に置き、定期的に水をやったり栄養分を与えたりして、できるだけの世話はしているつもりだ。それなのに何故?
毎晩、咲いてくれないシンビジュームを眺めているうちに、ふと次のようなことが浮かんできた。
『何を育てるにしても愛情が大切なのは言うまでもないだろう。愛情をもって接すれば、必ず相手はそれに応えてくれるはずだ。でも、育てるということは一方的に愛情を注ぐばかりではなく、その愛情を受け止めた相手がそれに対してどのような反応を返してくれるかを見極めなくてはならない。うまく相手に伝わったかどうか・・。だが、その反応は人によって千差万別だ。すぐに返してくれる者もいれば、なかなか返してくれない者もいる。そこでイラついたりしては何もならない。じっくり腰を据え、待つことができるかどうか、そこに事の成否は懸かっている。もちろん待ったところで報われることは少ないかもしれないが、そこまで待つことは相手の心を尊重することであり、それこそが最も相手に伝えたいことだろうから、決して無駄にはならないはずだ』
今は、先月末から始まった私立中学受験の真っ只中であり、もうしばらくは緊張する日々が続くが、果たしてこうした「待ち」を私は受験生に対してできていただろうか?以前よりもかなり忍耐力は強くなったと思うが、それでも結果を求める余り性急に傾いたことはなかっただろうか?・・まだすべての結果が出ていない今、反省するのは早いかもしれないが、なかなか咲かないシンビジュームを見ていると、つい舌打ちしてしまう自分では、まだまだ悠揚さが足りないと自ずと自戒の念が浮かんでくる。
そうは言ってもやはり早く花が見たいというのが偽らざる気持ちだ。合格発表が行われる来週中に咲いてくれたら、「サクラサク!」の代わりになって二重に嬉しいのだが・・。
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