毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「チェンジリング」
朝9時50分から始まる「チェンジリング」を見るため、10分ほど前に劇場に着いてびっくりした。長蛇の列ができている・・。
水曜日はレディース・デイでいつも人は多いが、こんなに大勢なのは初めてだ。だが、係員の人がマイクを使って叫ぶ声を聞いて納得した。「本日の『おくりびと』の入場券は完売しました。お並びになってもチケットは買えません」とずっと繰り返している。
「すごいなあ・・」
思わずため息をついてしまった。この劇場では今日明日は2回の上映だが、金曜からは5回フルに上映する予定らしい。アカデミー賞効果を実感したが、だからと言ってこんなにも皆一斉に見に来なくても・・と少しばかりひねくれた見方もしたくなった。「3月になればDVDも発売されるし、そんなに焦らなくても」などと言っていては時流に乗り遅れるのだろうか。私は昨年の「おくりびと」の公開時には、死をテーマにした映画は苦手だなあ・・と最後まで踏ん切りがつかず、結局見ないままで終わってしまったから、見たい気もしなくはないが、これだけ大勢の人が押し寄せるのを目の当たりにしてしまうと、なんだかそんな気持ちも萎えてしまった。
などと思いながらも、大勢の人でごった返す売り場をくぐり抜けて、「チェンジリング」を上映するシアターの席に座った。ストーリーの前半部を記せば、「1928年、シングルマザーのクリスティンは、ロサンゼルス郊外で9歳の息子ウォルターと暮らしていた。ある土曜日、彼女は同僚に泣きつかれて断り切れずに休日を返上して仕事へと向かう。暗くなって彼女が帰宅すると、家で一人で留守番をしているはずの息子の姿はどこにもなかった。彼女はすぐに警察に電話するものの、24時間は行方不明の子供を捜索しないとの返事を受け愕然とする。だが、その後の彼女の必死の訴えが実り、数ヵ月後に警察から息子を発見したとの連絡を受け、駅まで迎えに行く。が、そこで彼女が会ったのは、息子とはまったくの別人であったため、彼女はそう警察に訴える。だが、そんな彼女の叫びを警察は封じ込めようと彼女を精神病院に閉じ込めてしまう・・」
この辺りまではNHKラジオの番組で浜村純も解説していたから、ここに書いてもネタバレの謗りは受けないだろう(浜村の解説は、本当にここまで言っちゃって大丈夫か、といつも心配になる)。これだけでも十分胸を打つ話のようではあるが、どういうわけか私の胸には迫り来るものがあまり感じられなかった。息子の行方を捜し求める母の姿を克明に追ったりはせず、どこか淡々としたシーンが続くので、息子を愛する母親の心情が伝わってこない。「アンジェリーナ・ジョリーの真っ赤な唇がいやだった。子供がいなくなったら、あんな真っ赤な口紅を塗ろうなんて気は起こらないよ」と妻は言っていたが、物語にイマイチ感情移入できなかった理由は、デリケートな題材を扱うにしては繊細さが画面から伝わってこなかったせいなのかもしれないと思った。毎日新聞の映画評では絶賛されていたし、月イチゴローでも1位に選ばれたそうだが、私はさほどの映画ではないと感じた。終わりの30分くらいは、もっと簡潔にまとめてもよかったような・・。アメリカ映画はスケールの大きなものは確かに面白くて、日本映画にはとても真似できないと思うが、人情の細かい機微を描き出すのはやはり日本映画のほうが勝っていると思う。まあ、デテールに拘りすぎて木を見て森を見ない映画も多々あるから、どちらがどうとも言えないのだろうが・・。
だが、映画の終盤で明らかにされたように、80年も前のアメリカでは、不正を行う役所や警察に対して市民が立ち上がって糾弾する自浄作用が働いていたというのは、さすが民主主義国家を標榜するだけのことはあると思った。この映画のサブタイトルとして掲げられた「真実の物語」という言葉を果たしてどれだけ信じていいのかは分からないが、そうした動きがこの時代にあったことは、あながち誇張ではないだろう。ひるがえって、80年前の日本はどうだっただろう?治安維持法が施行された頃だよな、確か・・。
水曜日はレディース・デイでいつも人は多いが、こんなに大勢なのは初めてだ。だが、係員の人がマイクを使って叫ぶ声を聞いて納得した。「本日の『おくりびと』の入場券は完売しました。お並びになってもチケットは買えません」とずっと繰り返している。
「すごいなあ・・」
思わずため息をついてしまった。この劇場では今日明日は2回の上映だが、金曜からは5回フルに上映する予定らしい。アカデミー賞効果を実感したが、だからと言ってこんなにも皆一斉に見に来なくても・・と少しばかりひねくれた見方もしたくなった。「3月になればDVDも発売されるし、そんなに焦らなくても」などと言っていては時流に乗り遅れるのだろうか。私は昨年の「おくりびと」の公開時には、死をテーマにした映画は苦手だなあ・・と最後まで踏ん切りがつかず、結局見ないままで終わってしまったから、見たい気もしなくはないが、これだけ大勢の人が押し寄せるのを目の当たりにしてしまうと、なんだかそんな気持ちも萎えてしまった。
などと思いながらも、大勢の人でごった返す売り場をくぐり抜けて、「チェンジリング」を上映するシアターの席に座った。ストーリーの前半部を記せば、「1928年、シングルマザーのクリスティンは、ロサンゼルス郊外で9歳の息子ウォルターと暮らしていた。ある土曜日、彼女は同僚に泣きつかれて断り切れずに休日を返上して仕事へと向かう。暗くなって彼女が帰宅すると、家で一人で留守番をしているはずの息子の姿はどこにもなかった。彼女はすぐに警察に電話するものの、24時間は行方不明の子供を捜索しないとの返事を受け愕然とする。だが、その後の彼女の必死の訴えが実り、数ヵ月後に警察から息子を発見したとの連絡を受け、駅まで迎えに行く。が、そこで彼女が会ったのは、息子とはまったくの別人であったため、彼女はそう警察に訴える。だが、そんな彼女の叫びを警察は封じ込めようと彼女を精神病院に閉じ込めてしまう・・」
この辺りまではNHKラジオの番組で浜村純も解説していたから、ここに書いてもネタバレの謗りは受けないだろう(浜村の解説は、本当にここまで言っちゃって大丈夫か、といつも心配になる)。これだけでも十分胸を打つ話のようではあるが、どういうわけか私の胸には迫り来るものがあまり感じられなかった。息子の行方を捜し求める母の姿を克明に追ったりはせず、どこか淡々としたシーンが続くので、息子を愛する母親の心情が伝わってこない。「アンジェリーナ・ジョリーの真っ赤な唇がいやだった。子供がいなくなったら、あんな真っ赤な口紅を塗ろうなんて気は起こらないよ」と妻は言っていたが、物語にイマイチ感情移入できなかった理由は、デリケートな題材を扱うにしては繊細さが画面から伝わってこなかったせいなのかもしれないと思った。毎日新聞の映画評では絶賛されていたし、月イチゴローでも1位に選ばれたそうだが、私はさほどの映画ではないと感じた。終わりの30分くらいは、もっと簡潔にまとめてもよかったような・・。アメリカ映画はスケールの大きなものは確かに面白くて、日本映画にはとても真似できないと思うが、人情の細かい機微を描き出すのはやはり日本映画のほうが勝っていると思う。まあ、デテールに拘りすぎて木を見て森を見ない映画も多々あるから、どちらがどうとも言えないのだろうが・・。
だが、映画の終盤で明らかにされたように、80年も前のアメリカでは、不正を行う役所や警察に対して市民が立ち上がって糾弾する自浄作用が働いていたというのは、さすが民主主義国家を標榜するだけのことはあると思った。この映画のサブタイトルとして掲げられた「真実の物語」という言葉を果たしてどれだけ信じていいのかは分からないが、そうした動きがこの時代にあったことは、あながち誇張ではないだろう。ひるがえって、80年前の日本はどうだっただろう?治安維持法が施行された頃だよな、確か・・。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )