毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「チェ39歳 別れの手紙」
「チェ29歳の革命」のエンドロールの後、「チェ39歳 別れの手紙」の短い予告編が流され、キューバを出奔したゲバラがボリビアの山中でゲリラ闘争を行ううちに捕まり、銃殺されてしまうまでが描かれるのを知った。その時、キューバでは革命の英雄と称えられ、国民すべてから敬愛されていたゲバラが、妻や5人の子供、さらにはキューバ政府内での確固たる地位をすべて放擲してまで、ボリビアの解放のために何故闘わねばならなかったのか、少し考えてみた。もちろん簒奪されている人民を救うという革命の大義名分に突き動かされて、とも考えてみたが、それだけで得たものすべてを捨て去ることができるのだろうか、疑いを持った。確かに、ゲバラの理想が私などには理解できない崇高なものであったせいかもしれないが、そうした建前だけの分析では納得できない何かがあるような気がした。ゲバラを突き動かした衝動はいったい何だったのだろう。
ずっと考え続けていたが、ある時ふっと思いついた。戦場でヒリヒリ肌にまとわり付くような緊張感、生と死のぎりぎりの狭間で綱渡りをする時のような高揚感、さらに言えば、死と背中合わせに生きていくときの恍惚感・・、キューバ革命の戦場で味わったそうした感覚が忘れられず、ゲバラは平和のうちに埋没しかけていく自分に我慢ができなくなったのではないだろうか、そんな邪推が浮かんだのだった。
私の愛読する「あずみ」には、関が原の戦いで味わった精神的・肉体的高揚感を忘れることができず、今一度戦乱の世が訪れることを願いながら、悪の限りを尽くす、謂わば戦国時代のはぐれ者が繰り返し登場するが、ゲバラもそうした衝動に突き動かされて再び戦場へと戻っていったのではないか、戦士は戦いの場でしか生きていかれないのではないか・・ 、そんなふうに思った。
だが、そんなものはやはり曲解だった、と「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見ながら思い直した。決して奇麗事ではなく、あの1万キロ以上の南米旅行からゲバラが得たものは、彼のそれまでの人生、そしてそれからの人生を大きく変えたものであったのは、映画を見ていて痛感した。その体験こそが、喘息の発作に苦しみながらも、山中を半ばさ迷い歩くような行軍を支えたのだろうし、キューバで得たものを全てを捨て去らせるほど大きな力を持ったものだったのだろう。それは決して恍惚感とかそんな刹那的なものではないはずだ。では、いったい何だろう?
この映画は「28歳の革命」と比べると何も明るさがない。ただただゲリラ軍を殲滅しようとする政府軍に追い詰められて、山中を迷走しているゲバラの苦難を映しているだけの映画だ。そのままキューバに残っていればよかったものを、などと思うのはぬるま湯に慣れてしまった私のような者が思うことであって、ゲバラは一歩も後退することはない。だが、交戦中に足を射抜かれた彼はとうとう政府軍に捕らえられてしまう。囚われても革命家としての矜持を失わない彼の姿は心を打つが、処刑されるまで収容されていた建物の中で、彼が若い兵士と交わした短い会話の中にすべてが語られていた。
キューバのことを尋ねる兵士に短い言葉で答えるゲバラ。
兵士「キューバに宗教はあるか?」
ゲバラ「公式の宗教はないが、人は神を信じている」
兵士「あなたも神を信じるか?」
ゲバラ「私は人を信じる」
この瞬間、なんてすごい言葉だろうと思った。そういえば、前編では「革命家に必要なものは愛だ」とインタビューに答えていた。「人民を愛し、信じる」これこそがゲバラをどんな苦難にも雄々しく立ち向かわせた源だったのだ。人は己が愛し、信じたものには己の命を捧げることができる・・・。
もちろんそんなことは誰にでもできるものではない。誰にでもできるものでもないからこそ、今でも世界中でゲバラの名は多くの人から称えられているのだろう。彼の武力闘争が正しいかどうか、それを現代の視点から論じても仕方のないことであろうが、彼を支え続けた人間への愛と信頼は決して忘れてはならないものである。
ゲバラに関する映画を3本見ただけで彼を理解したとは思わないが、彼が私たちの残そうとしたメッセージのいくつかは受け取れたのではないだろうか・・。
ずっと考え続けていたが、ある時ふっと思いついた。戦場でヒリヒリ肌にまとわり付くような緊張感、生と死のぎりぎりの狭間で綱渡りをする時のような高揚感、さらに言えば、死と背中合わせに生きていくときの恍惚感・・、キューバ革命の戦場で味わったそうした感覚が忘れられず、ゲバラは平和のうちに埋没しかけていく自分に我慢ができなくなったのではないだろうか、そんな邪推が浮かんだのだった。
私の愛読する「あずみ」には、関が原の戦いで味わった精神的・肉体的高揚感を忘れることができず、今一度戦乱の世が訪れることを願いながら、悪の限りを尽くす、謂わば戦国時代のはぐれ者が繰り返し登場するが、ゲバラもそうした衝動に突き動かされて再び戦場へと戻っていったのではないか、戦士は戦いの場でしか生きていかれないのではないか・・ 、そんなふうに思った。
だが、そんなものはやはり曲解だった、と「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見ながら思い直した。決して奇麗事ではなく、あの1万キロ以上の南米旅行からゲバラが得たものは、彼のそれまでの人生、そしてそれからの人生を大きく変えたものであったのは、映画を見ていて痛感した。その体験こそが、喘息の発作に苦しみながらも、山中を半ばさ迷い歩くような行軍を支えたのだろうし、キューバで得たものを全てを捨て去らせるほど大きな力を持ったものだったのだろう。それは決して恍惚感とかそんな刹那的なものではないはずだ。では、いったい何だろう?
この映画は「28歳の革命」と比べると何も明るさがない。ただただゲリラ軍を殲滅しようとする政府軍に追い詰められて、山中を迷走しているゲバラの苦難を映しているだけの映画だ。そのままキューバに残っていればよかったものを、などと思うのはぬるま湯に慣れてしまった私のような者が思うことであって、ゲバラは一歩も後退することはない。だが、交戦中に足を射抜かれた彼はとうとう政府軍に捕らえられてしまう。囚われても革命家としての矜持を失わない彼の姿は心を打つが、処刑されるまで収容されていた建物の中で、彼が若い兵士と交わした短い会話の中にすべてが語られていた。
キューバのことを尋ねる兵士に短い言葉で答えるゲバラ。
兵士「キューバに宗教はあるか?」
ゲバラ「公式の宗教はないが、人は神を信じている」
兵士「あなたも神を信じるか?」
ゲバラ「私は人を信じる」
この瞬間、なんてすごい言葉だろうと思った。そういえば、前編では「革命家に必要なものは愛だ」とインタビューに答えていた。「人民を愛し、信じる」これこそがゲバラをどんな苦難にも雄々しく立ち向かわせた源だったのだ。人は己が愛し、信じたものには己の命を捧げることができる・・・。
もちろんそんなことは誰にでもできるものではない。誰にでもできるものでもないからこそ、今でも世界中でゲバラの名は多くの人から称えられているのだろう。彼の武力闘争が正しいかどうか、それを現代の視点から論じても仕方のないことであろうが、彼を支え続けた人間への愛と信頼は決して忘れてはならないものである。
ゲバラに関する映画を3本見ただけで彼を理解したとは思わないが、彼が私たちの残そうとしたメッセージのいくつかは受け取れたのではないだろうか・・。
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