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踏んばるには

 中川昭一氏の訃報に接して思ったことは色々あった。人間生まれてから死ぬまで何の苦もなく生きられるのが理想なんだろうが、そうは簡単に行かないのもまた人生の面白みでもある。「楽あれば苦あり」、それは、51年かなり浮ついた年月を生きてきて、死にたいほどの苦しみを味わったことのない私のような甘ちゃんならではの言辞なのかもしれないが、呑気そうに見えてもそれなりに苦しんでいる昨今であるから、「浮かぶ瀬もあるのに・・」と中川氏の死は残念でならない。詳細が明らかにされていない現時点では、「なんで?」と思わざるを得ないが、これが彼の宿命だったのかな、と思わないでもない。
 彼の心の弱さが酒の上での失敗を招いたという指摘が、かの一件以来散々なされてきたが、言わずと知れたチキンである私には何となく、彼にシンパシーを感じる面もあった。だからと言って、公の場に酔った勢いで臨む程の蛮勇は私にはない。それが許されると思ってしまったところに彼の過ちがあるのだろうと思うが、死者に鞭打つのは人倫の道に反する所業であるから、これ以上は言わないことにする。ただ、ふっと思ったことは、ピンチに陥った時にどう対処するか、自分なりのマニュアルを持っているかどうかは、その人の逆境での強さを左右するのではないだろうか、ということだ。人はヤバい状況に立ったとき、そこから抜け出すことは難しいとしても、何とかそこで踏みとどまらなければならない。全身に力を込めて耐えられるかどうか、そこが「生きる力」なのだろうが、その対処法についてこのブログで2006年3月25日に書いた記事のことを思い出した。井上ひさしが「ふふふ」という著作の中で、自分の好きなものを10選定し、それを呪文のように唱えて恐怖を乗り越えているとあったのを真似して、私自身「自分の好きなもの」を10選んでみたものだ。
 ちなみに、その10とは、
  1.志望校に合格したときの生徒たちの笑顔
  2.娘のとりとめのないおしゃべり
  3.飲み始めたときの1口目のビール
  4.息子が塾の教室で私を『お父さん』と呼ぶ声
  5.アクセルを踏み込んだ瞬間に加速する車
  6.酔っ払った父が話し出す昔話
  7.あつあつのご飯にかけたとろろ汁のしみこむ音
  8.難しい数学の問題の解法がひらめいた瞬間
  9.妻がSMAPのTVを観ているときの呆けた横顔
  10.湯船に沈んでふっと眠りに落ちる瞬間
であったが、今でもそれはほとんど変わっていない。(4だけは、「私がたまに息子に電話すると『どうしたの?』と聞き返す声」と直さねばならないが・・)。
 他愛もないものと言われてしまえば正にそうである。己の周りのことしか頭にない私ならではの選択であろうが、しかし、最後の最後に心の支えとなるものは自分の身近な存在であり、自分の周囲を幸せにできないようでは自分も幸せになることはできない、と思っている私であるから、何一つ恥じるものではない。逆にこれだけのものが私を支えてくれれているのか、と改めて認識できて嬉しくさえなる。
 天下国家を論ずる人と私のごとき卑近なことに齷齪する者とでは比べるべくもないかもしれないが、両者にさほどの違いはないと思ってしまえるほど古狸になりつつある私であるから、あえて言いたくなってしまう、「自分の好きなもの」を10個選んでそれを呪文のように唱えていれば、かなりの確率で危機を乗り越えることはできるのではないか、と。もちろん「大甘」の誹りは受けるであろうが、それくらい楽観しなければやっていられないのも事実であるように思う・・。
 
 またぞろマスコミが中川氏の死の謎についてあれこれ報道するだろうが、そっとしておいてほしいなあ、そんな気持ちでいっぱいだ。内面はともあれ、外見だけは一番かっこいい政治家だと思っていただけに、ご冥福を祈る。
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