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「東海道中膝栗毛」

 高3の生徒が古典の訳を知りたいと言う。古典の訳は主だった作品のものなら揃っているが、「東海道中膝栗毛」の訳が必要だと言う。「野次喜多ならしっかり読めば分かるだろう」と言ってみたものの、明日までに提出しなければいけないプリントのようで、どうしても欲しいと言う。しかし、今まで「東海道中膝栗毛」が教科書や問題文に採用されているのを見た記憶はないので、教科書ガイドには載っていないと思った。それなら、小学館版の「日本古典文学全集」に載っていれば全訳が書いてあるからそれを利用すればいいと思った。調べてみると、「東海道中膝栗毛」は第49巻にあった。あったはいいが、この全集は妻のもので、教科書に取り上げられることの多い平安時代や鎌倉時代の巻は妻の実家から塾に持ってきてあるが、江戸時代は松尾芭蕉と井原西鶴の巻しか持って来ていない。さすがに実家まで夜遅くに取りに行くわけにはいかないので、ネットで訳が転がっていないかを調べることにした。今までも、こうやって探してみると案外いろんな古典の現代訳が載っているので、お世話になったこともたびたびだが、果たして「東海道中膝栗毛」というような高校の教科書には載っていないような文章の訳などあるのだろうか?半ば、あきらめながら探してみた。
 やっぱりない。何でもあるわけじゃないし、需要の少ないものは供給されることもないだろう。ネット上でも需給のバランスが働いているのは面白いものだが、今はそんな呑気なことを言っているわけにも行かない。仕方ない、B5用紙一枚分はある全文を私が訳してやろうかな、と思いかけたところで、運良く見つけたのが、電子書店パピレスで電子化された村松友視の「東海道中膝栗毛」。パピレスはかなり以前に必要があって会員登録がしてあるので、簡単にログインできるはずだ。この村松の書はたぶん逐語訳にはなっていないだろうが、大体の雰囲気を読み取るには十分だろう。そう思って早速ダウンロードしてみた。
 勿論タダではなかったが、これでひとりの塾生の学習が進めば安いものだ。印刷はできないようなので、生徒をPCの所まで呼んで、原文と読み比べていくように言った。

 武蔵野の尾花がすゑにかゝる白雲と詠(よみ)しは、むかしむかし浦の苫屋(とまや)、鴫(しぎ)たつ沢の夕暮に愛(めで)て、仲の町の夕景色をしらざる時のことなりし。
 今は井の内に鮎を汲む水道の水長(とこしなへ)にして、土蔵造の白壁建つゞき、香の物桶、明俵(あきだはら)、破れ傘の置所まで、地主唯は通さぬ大江戸の繁昌、他国の目よりは、大道に金銀も蒔ちらしあるやうにおもはれ、何でもひと稼と心ざして出かけ来るもの、幾千万の数限りもなき其中に、生国は駿州府中、栃面屋(とちめんや)弥治郎兵衛(やじろべい)といふもの、親の代より相応の商人にして、百二百の小判には、何時でも困らぬほどの身代なりしが、安部川町の色酒にはまり、其上旅役者華水(はなみづ)多羅四郎(たらしろう)が抱(かゝへ)の鼻之助といへるに打込、この道に孝行ものとて、黄金の釜を掘いだせし心地して悦び、戯気(たはけ)のありたけを尽し、はては身代にまで途方もなき穴を掘明(ほりあけ)て留度なく、尻の仕舞は若衆とふたり、尻に帆かけて府中の町を欠落(かけをち)するとて
借金は富士の山ほどあるゆへにそこで夜逃を駿河ものかな

という書き出しの部分は

 この膝栗毛は、弥次さん喜多さんの旅話だが、ふたりが、どうして旅に出たか、いや旅に出なければならなかったかという、そもそもの発端を、とりあえず、お話しすることからはじめよう。
 現代の東京もそうだが当時の江戸のにぎわいというのもすごかった。他国からやってきた人の目には、大道に金や銀がまきちらしてあるようなイメージとしてうつったらしく、ともかく江戸でひとかせぎしてやろうと出かけてくる者はおびただしい数だった。そして弥次さんこと弥次郎兵衛、喜多さんこと喜多八も、そんな人々のなかにまじっていたふたりというわけだ。
 弥次さんは駿州府中というからいまの静岡の生まれで、栃面屋弥次郎兵衛といった。親の代からけっこう大きな商売をしていて、百両や二百両には、いつでもこまらないほどの財産があった。しかし、この弥次郎兵衛が生まれつきの遊び人で、酒や女にのめりこんだあげく、旅役者、華水多羅四郎の一座にいた鼻之助という役者に夢中になって、遊びのかぎりをつくした。
 そんなことをつづけていれば当然のことながら、店の金にもつぎつぎと手をつけて商売にあなをあけてしまい、しかたなく鼻之助をつれて、男どうしのかけおちみたいなかたちで夜にげをした。
  借金は富士の山ほどあるゆえに そこで夜にげを駿河ものかな

と書かれている。なかなか面白くてついつい読み進んでしまう。
私は小学校の時に「弥次喜多道中」という題名で子供向けの「東海道中膝栗毛」を何度も楽しんで読んだ記憶があるが、原文はほとんど読んだことがなかった。何年か前に土田よし子のマンガ「東海道中膝栗毛」を読んだが、原作のエキスを取り出して、それを土田流にアレンジした、なかなかの傑作である。村松の作品も原作に忠実ながらも彼独自の色合いが出ていて、味わいの作品になっているのが、少し読んだだけで分かった。
 せっかくダウンロードして保存したのだから、これを最後まで読まない手はない。こつこつと時間をかけることになるだろうが、時には原文と対照しながら読み進められたらなあ、と今は思っている。
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