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「カイジ」

 藤原竜也主演の「カイジ」を見た。この映画が作られると知った時、私は見に行きたいとは思わなかった。それは、原作のマンガ「カイジ」の作者・福本伸行の描いた作品はいくつか読んでいたものの、その絵柄が好きになれず、しかもストーリーがグダグダ回りくどくて、どうにも好きになれないものばかりだった。この「カイジ」もきっと同じようなものだろうと、妻が原作のマンガ本を買ってきたのも全く読まなかった。それに加えて、藤原竜也も、映画「カメレオン」をDVDで見た時にあまりよくなかったので、余計に興味が湧いてこなかった。
 しかし、少し前に映画館でマンガ「カイジ」の第1話を載せた冊子が配られていて、それを家に持ち帰って読んでみたら案外面白かった。これなら映画を見に行ってもいいかな、と少し気が変わり始めた。
「うだつの上がらないフリーター生活を送っているカイジが数年前に友達の借金の保証人になったため、その友人が行方知れずになって彼に返済義務が生じる。しかし、利子で膨大な額にふくらんだ借金を返すことなどできないカイジは、借金取りの誘いに乗り、一攫千金の夢を求めて集まった同じような若者たちとギャンブルに命を賭ける・・」
といったようなところでその冊子は終わっている。これじゃあ、蛇の生殺しだ。どうしたって続きが知りたくなる。仕方ないなあ、製作者の陥穽にはまってみようか、という気になった。しかも、このところ続けて映画を何本も見ているため、いつの間にかポイントが貯まって一作はタダで見られると妻が教えてくれたのもいいきっかけになった。じゃあ、面白くなくてもいいな、そんな気軽な思いで映画館に出かけた。
 ところが、なかなか面白かった。130分はちょっと長すぎるだろう、と心配していたものの、その長さを感じさせることはなかった。カイジが自らの運命を賭けて挑む勝負が3つあり、その時々に苦悶する藤原竜也は今まで私が見た彼の映画の中では一番よかった。今までならベビーフェイスの彼特有の甘い表情が、シリアスな場面では邪魔になっていたように思うが、この作品では彼も年相応の男の顔になってきたな、という印象を受けた。年令を重ねるたびに男は自らの顔に責任を持たなければならなくなる、という故事に従えば、彼がこれだけしっかりした顔を持てるようになったのも、充実した時間を過ごしてきたことの表れだろう。20代にして早くも男を感じさせる役者になってきたようで、これからの彼のますますの成長が楽しみになった。
 だが、見終わった後、なんだか疲れた気がした。娯楽映画なんだから、そんな肩肘張ってみていたわけでもないのに、どうして?と考えてみたら、藤原竜也の活舌が見事で、せりふの一つ一つがはっきり聞こえてきて、知らず知らずのうちに気を抜くことなく出演者全員の台詞を追っていたからではないだろうか、と気づいた。以前から映画でもTVでのナレーターでも、藤原は舞台の台詞と同じような発声法をしているような気がしていたが、この映画では原作のマンガの台詞自体が説明くさくて、長ったらしいものが多いから、余計に台詞を聞いているだけでもう十分・・という気になったのかもしれない。活舌がはっきりしすぎているのも反って難点かな・・。


 しかし、この映画の全編の底流に流れる「勝ち組」と「負け組」という区別の仕方には最後まで抵抗があった。確かに香川照之演じる利根川が、借金で首の回らなくなってしまった若者たちに言い放つ厳しい言葉には「その通りだ」と言いたくなるものも多かったが、それでも複雑怪奇な現代を単純に勝者と敗者に分けてしまう基準がすべて「お金」であるという発想には、少しばかり時代感覚がずれているように思った。もちろんこのマンガが始まった90年代後半の世相を反映したものであろうが、拝金主義の世界観をぐいぐい押し付けられるのは、もうこりごりだという気がどうしても拭えなかった。あのホリエモンがこの映画の試写を見て、絶賛していたという話を妻から聞いたが、さもありなんと思ってしまった・・。
 でも、そうした不満な点をいくつか差し引いても、なかなか面白い映画だったという印象は変わらない。松山ケンイチも出ていたしね。
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