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Deux Amis

 先日、中島敦の「李陵」を読もうと、書棚を探していたとき、ひょっとしたら「ちくま文学の森」という作品集に載っていないかと、「たたかいの記憶」という巻を繰ってみた。残念ながらそこには「李陵」は収められていなかったが、魯迅の「戦争をやめさせる話」といものがあったので読んでみた。魯迅の作品は結構読んでいるはずなのに、この短編は知らなかった。何か現代社会に通じる示唆でも含まれていないか、と期待したのだが、あまり面白くなかった。ちょっとがっかりしたが、他に何かないかとさらにページを繰ってみたら、モーパッサンの「二人の友」という短編があった。
 ん?待てよ、これは・・。
と読み始めてみたら、なんと今から30年ほど前に大学の講義で取り上げられて熟読したあの Deux Amis ではないか!!と気付いた。モーパッサンとその題名を見ただけですぐに分からなければならないのに・・、と少々恥ずかしかったが、まあ30年もブランクがあればそれも仕方ないか、と開き直って、最後まで読みとおしてみた。
 う~~ん、すごい小説だ。
大袈裟でなく、読み終わってしばらく心の震えが止まらなかった。30年前にもよくできた小説だな、と思ったが、それは構造主義的文学評論のテクストとしての感想だった。それまで知りもしなかった分析法の鋭さもさることながら、そうした分析にも十分耐えられるだけのしっかりした小説を書き遺したモーパッサンの力量に感動したのであって、モーパッサンがこの小説に込めた思いを十全に受け取ったからではなかったように思う。30年の時を経て、私の感受性はかなり鈍くなってしまったが、その分この世の中に個人ではどうしようもならない魔物がいくつも潜んでいるのが分かるようになった。いくら感受性が磨滅しかけていても、世間智を身に付けた私なら、モーパッサンが発したメッセージ、個人の命が大きな権力によって蹂躙されることに対する憤りを感知することくらいはできる。読み進めるうちに自然と涙が溢れ出てきて、読み終えたときにはやるせない思いでいっぱいだった・・。
 そして同時に、この小説を少しでも多くの人に読んでもらいたいと心から思った。モーパッサンなどもう100年以上も前の人であり、その名を知っている人もそんなに多くはないかもしれない。しかし、この小説が語っているものはそのまま現代世界が抱える問題でもあり、これから先もほぼ永遠に人類にまとわりつくであろう問題だ。それは悲しことであるが、現実である以上仕方がない。私のように微力な者では如何ともし難いことではあるが、何もできないわけではない。このブログにその小説を翻訳して載せることはできるだろう。もしできれば、少なくともこのブログを訪れる方々には読んでもらえるわけであり、そこから些かなりとも広がりができてゆけば、それはそれで意味のあることではないだろうか・・、そんな思いに突き動かされて、私の語学力から言えばかなり無謀な試みを、あえてしてみようと思うに至った。
 元より大学で仏文科に籍を置いただけの浅学非才な私であるから、モーパッサンの名文を余すことなく日本語に置き換えることなど望むべくもない(テクストの意味不明な単語を調べるだけで相当時間がかかってしまった。とにかく今の私は単語量が少な過ぎる・・)。そこで「ちくま文学森」の「二人の友」の青柳瑞穂訳を参考にして、極力正確を期することにした。
 拙訳は明日から何回かに分けて、載せていくつもりだが、今は「二人の友」が描いている普仏戦争について少しばかり説明を加えておきたい。

 「普仏戦争(1870年~1871年)」
プロイセンとフランス間で行なわれた戦争。スペイン国王選出問題をめぐる両国間の紛争を契機として開戦。
プロイセン側が圧倒的に優勢でナポレオン3世はセダンで包囲され、1870年9月2日同地で降伏、退位。パリでは共和制の国防政府が樹立され抗戦を続けたが、1871年パリを開城して敗戦。
フランスはフランクフルト条約でアルザス・ロレーヌの大部分を割譲、賠償金50億フランを支払った。戦争終結直前の1871年1月8日、プロイセン王・ヴィルヘルム1世がベルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位し、ドイツ統一が達成された。


 
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