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「李陵」

 高校生が「資治通鑑」の中にある「蘇武持漢節」の現代訳を教えて欲しいと言った。結構長い漢文なので、私が訳していては時間がかかる、現代語訳の付いた参考書を見せた方が早いだろうと思って、コピーして渡した。その際、私も自分で本文を読んでみたのだが、蘇武が匈奴に捕えられながら、幾多の苦難に耐えて母国漢に忠節を持し、ついに帰国できるようになった経緯を中心にして、同じく匈奴に捕えられた後、匈奴に降ってしまった李陵についても語られていて、対照的な生き方をした二人のことを考えると胸が熱くなる名文であった。
 漢文では蘇武については細かな記述があるが、李陵に関してはさほど詳しくは語られていなかったため、武人として誉れ高かった李陵がなぜ匈奴に降ってしまったのか、彼の心の葛藤をもう少し知りたいと思って、中島敦の「李陵」を読んでみようと思った。かつてこの「李陵」を読んだことがあるのかどうか、自分でもはっきりしない。中島のことは、漢語を自在に操り、遥か昔の中国の人々の思いを、現代日本人にも分かりやすいよう匂うがごとき雅文に認めてくれた優れた作家だと常々尊敬している。高校生の頃、「山月記」「弟子」までは読んだのはしっかり覚えているが、「李陵」はどうだったかまったく思いだせなかった。たとえ読んだことがあっても、その内容を覚えていなければ、読んでいないのと同じだと思い、書棚を探してみたのだが、どういうわけか中央公論社「日本の文学」の中島敦の入った巻だけがなくなっていた。誰かに貸してそのままなのかもしれない。折角読もうと思ったのに残念だ、とがっかりしたが、その時いい考えが浮かんだ。
「青空文庫だ、青空文庫ならきっと「李陵」があるだろう」
さっそく探してみたところ、思った通り全文が載っていた。
 青空文庫というのは、「日本国内において著作権が消滅した文学作品、あるいは著作権は消滅していないものの著作権者が当該サイトにおける送信可能化を許諾した文学作品を収集・公開しているインターネット上の電子図書館である」とWikipediaに説明がある通り、過去の名作を数多く無料で公開してくれている便利なサイトであり、このブログでも何度かリンクしたことがある。ただ、i-Padのように新刊書が読めるわけではないので、何でもあるわけではないが、i-Padのように費用がかからないのがいい。(書店に新刊書が入ってくるのにタイムラグを感じないわけにはいかない地方都市に住んでいる身にとっては、読みたい本が電子化されていればすぐに読めるi-Padのような製品は魅力的に見える。ただ、i-Padの場合、ソフトバンクと契約しなければならないのがイヤで結局は買うのを断念してしまったが・・)
 
 日本の小説は元来縦書きに書いてあるはずなので、横書きの小説には慣れるのに時間がかかった。普段からPCの横書きの文書をよ見なれている私なのに、小説となると少しばかり事情が違うようだ・・。
 そのせいなのだろうか、「李陵」があまり面白くなかったのは。それとも、匈奴に降って漢人としての誇りをなくしたように見える李陵よりも、漢王朝に忠誠を尽くし、頑なに投降するのを拒み続けた蘇武の方に敬意を表したくなったからだろうか。私自身は言うまでもなく、李陵に近い。己が信条をほんの少し曲げさえすれば、安寧無事な生活を送れるのだから、何も意地を張ることないではないか、と自分に言い聞かせて、降る道を選んでしまうように思う。だが、そうした生き方を惰弱だと断じて、蘇武のように、どんな艱難辛苦が己にふりかかろうとも己の信じた道を最後まで貫き通してみたいという思いも少なからずあって、それが「李陵」の読後感を、思いの外すっきりしないものにさせたのかもしれない。まあ、無いものねだりなのだろうけど・・。(李陵の方が理解できるだけに同属嫌悪ってやつかもしれない・・)

 しかし、古代の中国人の心情は十分伝わってくるのに、現代の中国人が考えていることは理解不能になることが多いのはなぜだろう?
 
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