毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「大脱走」
日曜日の夜、NHK-BShiで放送された「大脱走」を見た。NHK-BShiで放送されているハイビジョンシネマは今月、「今年生誕80年・没後30年を迎える、団塊の世代のヒーロー、スティーブ・マックィーンの大特集」なのだそうだが、それを楽しみにしていたわけではない。たまたま日曜の朝刊で「大脱走」の放送を見つけた妻が、「今夜は酔っ払ってちゃんと見れないから、剛のドラマ(TBS「99年の愛」)の最終回は録画しておいて後で見る。だからTVは「大脱走」を見る」と宣言したため、私がそれに付き合ったことになる。だが、妻は映画が始まるとすぐに寝入ってしまったから、結局は私一人で見たことになるのだが・・。
私はかつてこの映画を見たことがあるはずだが、それがいつだったのか思い出せない。そんなことも覚えていな人間であるから、この映画のストーリーもほとんど覚えていなかった。マックイーンがバイクで疾走するシーンをうっすら覚えているが、それ以外はとんと思い出せなかった。なので実質初めて見るようなもので、私としては随分と楽しめた。だが、なにせ酔っぱらって見ていただけに字幕を追いきれなくなることもしばしばで、所々よく分からない場面もあった。そこで、知識を補おうと Wikipedia を覗いてみたところ、不明だった部分がはっきりして、「ああ、そうだったのか・・」と合点がいってすっとした・・。
『第二次世界大戦中の1944年3月、ロジャー・ブッシェル少佐指揮の下、ベルリン南東160km のザーガンにあったドイツ空軍の管理する連合軍の航空兵捕虜収容所から捕虜が集団脱走した史実を映画化したものである。当時、1943年末頃まではムスタングのようなドイツ奥地まで爆撃機を長距離護衛できる戦闘機がなかったイギリス軍やアメリカ軍の爆撃機部隊は、ドイツ空軍の優秀な迎撃戦闘機部隊やレーダーに連動する高射砲部隊の健闘によりドイツ上空で多数が撃墜、あるいは不時着、多くの連合軍航空兵が捕虜となり、各所の捕虜収容所に収容されていた。ザーガンもその一つである。捕虜となった軍人の務めの一つとして、収容所を脱走してその捜索にドイツ軍兵力を割かせ、味方前線部隊の負荷を削減することがあった。この脱走により、捕虜の捜索にドイツ軍は7万もの兵士を投入するなど多大な労力を要し、結果的に連合国にとって戦局を有利に導いた』
なるほど、脱走も任務だったのか・・。望郷の念のみで必死に脱走用のトンネルを掘り続けたわけではないのか、すごいな・・。と感心してしまった。だが、それだからこそ、脱走したもののあえなく逮捕されてしまった者たちが、50名も一斉に射殺されてしまったのだろう。その辺りの事情をWikipediaは次のように記述している。
『ドイツ当局は50名の脱走兵を殺害している。 映画内で示されるこの人数はほぼ史実通りである。ナチス親衛隊に逮捕された捕虜は射殺され、ドイツ陸軍に逮捕された捕虜は収容所に戻されている(逃走76名、内射殺が50名、連れ戻されたのが12名。差し引きの14名の内、無事帰国の途につけたのは僅か3名と言われている)。実際、映画でもダニーとウィリーの2人が小舟で逃げ、最後にスウェーデン行きの船に乗り移った。セジウィックもレジスタンスに協力してもらったことで無事逃走に成功している』
私のおぼろげな記憶では、脱走者が全てつかまり収容所に連れ戻されるとばかり思っていたので、50名がトラックから下りたところを一斉射撃で皆殺しにされたシーンは衝撃的だった・・。そんなことが許されるのか、と無性に腹が立ったのだが、そんな残虐な行為はやはり許されるはずもない。現実に脱走者を射殺したナチスドイツ軍兵士は次のように断罪されたそうだ。
1947年7月1日、ハンブルク裁判所で、50名中46名の射殺に関与したゲシュタポ等の18名の軍事裁判が行なわれる。15名に死刑判決が下る。
1948年2月26日、判決を受けた14名の刑が執行される。
1948年10月11日、最後まで不明であった4名の射殺に関与した2名が、軍事裁判にかけられる。
「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、いくら戦争中とはいえ、大量虐殺など許されてはならない。まあ、戦争自体がもっとも非人道的な行為なのだから、程度の問題なのかもしれないが・・。
昔見た名作映画を改めて見直すというのもなかなか意味深いものかもしれない。
私はかつてこの映画を見たことがあるはずだが、それがいつだったのか思い出せない。そんなことも覚えていな人間であるから、この映画のストーリーもほとんど覚えていなかった。マックイーンがバイクで疾走するシーンをうっすら覚えているが、それ以外はとんと思い出せなかった。なので実質初めて見るようなもので、私としては随分と楽しめた。だが、なにせ酔っぱらって見ていただけに字幕を追いきれなくなることもしばしばで、所々よく分からない場面もあった。そこで、知識を補おうと Wikipedia を覗いてみたところ、不明だった部分がはっきりして、「ああ、そうだったのか・・」と合点がいってすっとした・・。
『第二次世界大戦中の1944年3月、ロジャー・ブッシェル少佐指揮の下、ベルリン南東160km のザーガンにあったドイツ空軍の管理する連合軍の航空兵捕虜収容所から捕虜が集団脱走した史実を映画化したものである。当時、1943年末頃まではムスタングのようなドイツ奥地まで爆撃機を長距離護衛できる戦闘機がなかったイギリス軍やアメリカ軍の爆撃機部隊は、ドイツ空軍の優秀な迎撃戦闘機部隊やレーダーに連動する高射砲部隊の健闘によりドイツ上空で多数が撃墜、あるいは不時着、多くの連合軍航空兵が捕虜となり、各所の捕虜収容所に収容されていた。ザーガンもその一つである。捕虜となった軍人の務めの一つとして、収容所を脱走してその捜索にドイツ軍兵力を割かせ、味方前線部隊の負荷を削減することがあった。この脱走により、捕虜の捜索にドイツ軍は7万もの兵士を投入するなど多大な労力を要し、結果的に連合国にとって戦局を有利に導いた』
なるほど、脱走も任務だったのか・・。望郷の念のみで必死に脱走用のトンネルを掘り続けたわけではないのか、すごいな・・。と感心してしまった。だが、それだからこそ、脱走したもののあえなく逮捕されてしまった者たちが、50名も一斉に射殺されてしまったのだろう。その辺りの事情をWikipediaは次のように記述している。
『ドイツ当局は50名の脱走兵を殺害している。 映画内で示されるこの人数はほぼ史実通りである。ナチス親衛隊に逮捕された捕虜は射殺され、ドイツ陸軍に逮捕された捕虜は収容所に戻されている(逃走76名、内射殺が50名、連れ戻されたのが12名。差し引きの14名の内、無事帰国の途につけたのは僅か3名と言われている)。実際、映画でもダニーとウィリーの2人が小舟で逃げ、最後にスウェーデン行きの船に乗り移った。セジウィックもレジスタンスに協力してもらったことで無事逃走に成功している』
私のおぼろげな記憶では、脱走者が全てつかまり収容所に連れ戻されるとばかり思っていたので、50名がトラックから下りたところを一斉射撃で皆殺しにされたシーンは衝撃的だった・・。そんなことが許されるのか、と無性に腹が立ったのだが、そんな残虐な行為はやはり許されるはずもない。現実に脱走者を射殺したナチスドイツ軍兵士は次のように断罪されたそうだ。
1947年7月1日、ハンブルク裁判所で、50名中46名の射殺に関与したゲシュタポ等の18名の軍事裁判が行なわれる。15名に死刑判決が下る。
1948年2月26日、判決を受けた14名の刑が執行される。
1948年10月11日、最後まで不明であった4名の射殺に関与した2名が、軍事裁判にかけられる。
「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、いくら戦争中とはいえ、大量虐殺など許されてはならない。まあ、戦争自体がもっとも非人道的な行為なのだから、程度の問題なのかもしれないが・・。
昔見た名作映画を改めて見直すというのもなかなか意味深いものかもしれない。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )