毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
トルストイ
今年はトルストイ没後100周年だそうである。あと40日ほどで終わってしまう2010年が100周年と言われてもピンとこないのだが、毎日新聞朝刊の読書欄に特集が組まれていて、初めて知った。その中でも辻原登が書いている文章には心を動かされた。
『むろん、トルストイは真面目である。しかし、欺されてはならない。その直後に発表された『復活』は汲めども尽きせぬ傑作だし、死の数年前に書き上げられた『ハジ・ムラート』は、いわばゴーゴリを超え、フローベールを超え、ドストエフスキーを、そしてトルストイ自身をも超えて、文学にできることはここまでだ、人間の言語表現は最早、これ以上のことはできない、と思える到達点にある。
主人公はチェチェン人の、ロシアによって虐げられた人々の抵抗運動のリーダー、中年の武人、ハジ・ムラート。彼は同族の首領の嫉妬から不当な迫害を受け、母や妻、息子を人質に取られ、彼らを救出するためにロシア軍に投じるが、ロシア軍からも裏切られ、何百人ものロシア兵を相手に凄絶な戦いの中で斬殺される。彼の生首が斬り取られる。
文章の正確さ、簡潔さは比類ない。ラストはたった一行だが、その衝撃力はすべての小説のラストを色褪せさせる。
若きトルストイは砲兵士として、チェチェン人討伐に加わっている。敵側に、恐らくハジ・ムラートがいた……。
この作品は、トルストイの家出とその死から二年後に発表された。
小林秀雄は、「トルストイを読み給(たま)え、だまされたと思ってトルストイだけを読み給え」と若い人たちに檄を飛ばしている。
「ハジ・ムラート」読み給え、と私もいおう』
この辻原登という人は作家のようだが、失礼なことに私はまるで知らなかった。妻によれば、書評欄で名前を見たことはあるようなので、もっぱら私が無知なのだろう。しかし、この文章には久方ぶりに揺り動かされた。トルストイの著作はほとんど読んでいたと思っていたのに、この「ハジ・ムラート」という小説は読んだことがなかった。それどころか、その存在すらも知らなかった。瞬間、ものすごく恥いった。いったいお前はトルストイの何を読んでいたのか?
すぐに自室の書棚を調べてみた。高校生の時に河出書房新社の「ドストエフスキー全集」は全20巻買っていたが、同じ河出書房新社の「トルストイ全集」は、いつか全巻買おうと思い続けていたものの、結局買わずに来てしまった。そのツケがとうとう回ってきたようで、書棚のどこを探しても「ハジ・ムラート」は見つからなかった。
「仕方ない、こうなったらネット検索しかない」と思って、このところ味をしめたオークションで調べてみた。しかし、思うようなものは見つからなかった。何でもあるかと思っていたが、さすがにこんな古い本はないかと思いながら、じゃあ、古書店を探してみようと思った。
だが、私の検索の仕方が下手なのか、もう随分昔の本なので流通していないのか、ぴったりくるものを見つけることができなかった。返す返すも「トルストイ全集」を買っておかなかった己の迂闊さに腹が立った・・。しかし、書評欄にこうまで必読の書と掲げられたものを読まずに終わったら、私の沽券に関わる。大したものではないにせよ、そうした矜持は死ぬまで持ち合わせていなければならない。何としても読まねば!と考えているうちに、いとも簡単な結論に達した。
「図書館に行こう!」
アホみたいな結論だが、「本は新品を買うもの」という固定観念がある私には、古書を買ったり、図書館で借りたりするのは優先順位が低い。だが、とにかく読みたいのだから、グズグズしていないで図書館に走るべきだ。市の図書館で果たして見つかるかどうか、心配な気もするが、一度は調べてみても損はないだろう。もう何年も行ったことがないから、ちょっと自信はないが、確か月曜日は休みだった気がする。とりあえず、火曜か水曜に行ってみようと思う。
何十年かぶりのトルストイは、どんな味わいがするだろう・・。
『むろん、トルストイは真面目である。しかし、欺されてはならない。その直後に発表された『復活』は汲めども尽きせぬ傑作だし、死の数年前に書き上げられた『ハジ・ムラート』は、いわばゴーゴリを超え、フローベールを超え、ドストエフスキーを、そしてトルストイ自身をも超えて、文学にできることはここまでだ、人間の言語表現は最早、これ以上のことはできない、と思える到達点にある。
主人公はチェチェン人の、ロシアによって虐げられた人々の抵抗運動のリーダー、中年の武人、ハジ・ムラート。彼は同族の首領の嫉妬から不当な迫害を受け、母や妻、息子を人質に取られ、彼らを救出するためにロシア軍に投じるが、ロシア軍からも裏切られ、何百人ものロシア兵を相手に凄絶な戦いの中で斬殺される。彼の生首が斬り取られる。
文章の正確さ、簡潔さは比類ない。ラストはたった一行だが、その衝撃力はすべての小説のラストを色褪せさせる。
若きトルストイは砲兵士として、チェチェン人討伐に加わっている。敵側に、恐らくハジ・ムラートがいた……。
この作品は、トルストイの家出とその死から二年後に発表された。
小林秀雄は、「トルストイを読み給(たま)え、だまされたと思ってトルストイだけを読み給え」と若い人たちに檄を飛ばしている。
「ハジ・ムラート」読み給え、と私もいおう』
この辻原登という人は作家のようだが、失礼なことに私はまるで知らなかった。妻によれば、書評欄で名前を見たことはあるようなので、もっぱら私が無知なのだろう。しかし、この文章には久方ぶりに揺り動かされた。トルストイの著作はほとんど読んでいたと思っていたのに、この「ハジ・ムラート」という小説は読んだことがなかった。それどころか、その存在すらも知らなかった。瞬間、ものすごく恥いった。いったいお前はトルストイの何を読んでいたのか?
すぐに自室の書棚を調べてみた。高校生の時に河出書房新社の「ドストエフスキー全集」は全20巻買っていたが、同じ河出書房新社の「トルストイ全集」は、いつか全巻買おうと思い続けていたものの、結局買わずに来てしまった。そのツケがとうとう回ってきたようで、書棚のどこを探しても「ハジ・ムラート」は見つからなかった。
「仕方ない、こうなったらネット検索しかない」と思って、このところ味をしめたオークションで調べてみた。しかし、思うようなものは見つからなかった。何でもあるかと思っていたが、さすがにこんな古い本はないかと思いながら、じゃあ、古書店を探してみようと思った。
だが、私の検索の仕方が下手なのか、もう随分昔の本なので流通していないのか、ぴったりくるものを見つけることができなかった。返す返すも「トルストイ全集」を買っておかなかった己の迂闊さに腹が立った・・。しかし、書評欄にこうまで必読の書と掲げられたものを読まずに終わったら、私の沽券に関わる。大したものではないにせよ、そうした矜持は死ぬまで持ち合わせていなければならない。何としても読まねば!と考えているうちに、いとも簡単な結論に達した。
「図書館に行こう!」
アホみたいな結論だが、「本は新品を買うもの」という固定観念がある私には、古書を買ったり、図書館で借りたりするのは優先順位が低い。だが、とにかく読みたいのだから、グズグズしていないで図書館に走るべきだ。市の図書館で果たして見つかるかどうか、心配な気もするが、一度は調べてみても損はないだろう。もう何年も行ったことがないから、ちょっと自信はないが、確か月曜日は休みだった気がする。とりあえず、火曜か水曜に行ってみようと思う。
何十年かぶりのトルストイは、どんな味わいがするだろう・・。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )