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半年ぶり・・

 娘が、名古屋で研修があるとかで、家に戻ってきた。火曜に来て、水曜日は終日家でのんびりした後、木曜からの研修に出席して、それが終わったらそのまま赴任地に戻っていくのだそうだ。GWに赴任先へ出掛けて以来の帰郷だから、半年ぶりに顔を見たことになる。と言っても、大学時代も同じようなペースでしか帰ってこなかったから、特別久しぶりという気もしない。それでも半年ぶりに見た顔は元気そうで、少しばかりふっくらしたような気もして、慣れぬ毎日で疲れがたまってはいないかと心配していただけに、安心した。話しぶりも学生時代の威勢のよさは影をひそめ、どことなく落ち着いた雰囲気が感じられるのも、社会人としての自覚のなせる技かもしれない。この半年で成長したのか、といつまで経っても未熟なままである親としては、少々面映ゆさも感じてしまう・・。
 では、私はいったいこの半年間何をしてきたのだろう。取り立てて変わったこともなかったが、その分毎日を楽しんできたかもしれない。それは家族が増えたことに拠るかもしれない。ネコのチョボと熱帯魚は、娘と初対面だった。魚は誰がどうなろうと知ったことではないだろうが、チョボは初めて娘を見たとき、緊張で体が強張ってしまった。「人みしりだから」と妻が評するように、娘に慣れるまでに少しばかり時間がかかった。ただ、何と言ってもネコ好きな娘だけあって、抱っこしたりなでたりすることで、いつの間にか大の仲良しになってしまった。
「久しぶりだなあ、子猫が家にいるのは・・」
と、娘は嬉しそうだったが、数えたみたら5年以上は家に猫がいなかった。そんなにブランクがあったのは不思議な気もするが、それだけ前のネコのトラが死んだのが、妻には辛かったようだ。
「私が頑なにネコを飼うのを拒んでいたものねえ・・」
と妻が述懐したように、どうしても新しいネコを飼うことに同意しなかった。じゃあ、何故このチョボを飼うことには了承したのだろう。
 もちろん農協でチョボの姿を見た時、あまりにガリガリで哀れを催させるのに足るほどだったのが一番の理由なのかもしれないが、妻の心にチョボが入り込む空白があったことも忘れてはいけないだろう。娘が社会人となり、息子も東京で就職が決まり、子供たちが戻ってこないことが決まって以来、私の心にもぽっかり穴が空いてしまったように感じることがよくあり、うら寂しい気持ちになることさえある。「いくら自分たちの生き方は自分たちで決めろ」などとカッコいいことを言ったところで、いざずっと離れて暮らさねばならないことが決まってしまうと、寂しさが募ってきて仕方なかった。妻も、分かったようなことを言いながらも、本音のところは寂しくないはずがない。(酔っ払うと妙に絡んでくるし・・)
 そんな頃に、弱弱しい子ネコを見たのだから、簡単に母性本能がくすぐられてしまったのだろう。その証拠に、初めはあまり乗り気ではなかった熱帯魚も、今では一匹ごと、種類ごとに呼び名を付けて、暇があると楽しそうな顔をしながらじっと水槽を眺めている。私にしても同じことで、このところ水質が良好になったせいか、元気に泳ぎ回っている魚たちに目を奪われてしまうことも度々だ。じっと水槽を眺めながら、一匹一匹が元気そうな様子でいるのを確認すると、ホッとする。よく考えれば狭い水槽の中でしか生きられない魚たちは可哀そうなものだが、元気でいてくれると我がことのように嬉しくなる。魚たちもなんとなく甘えてくるように見えるし、段々子供のようになてきたのかもしれない・・。

 娘が家にいた2晩、妻の機嫌は最高潮だった。私の心だって常よりは弾んでいた。父も嬉しくて酒量が増えてしまったようだ・・。ああ、今度はいつまた会えるんだろう?お正月には帰ってくるんだろうか?
 
 それはともかく、元気で楽しい毎日を過ごしてくれよ!!寒くなるから、無理はするなよ!!
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