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KAGEROU

 1月はまったく本が読めなかった。読む時間がなかったし、そんな気にもなれなかった。
 ところが、月が変わって2月、いきなり1冊読んでしまった。水嶋ヒロが書いたといわれる「KAGEROU」。さすがに自分でお金を出して買うほどミーハーじゃない。塾生が家にあると言ったのを聞いて、「それじゃあ貸してよ」と軽い気持ちで言ったところ、真に受けたその子が持ってきてくれた。「なんでも読んでみなくちゃ、文句も言えないよね」などと自分に言い訳をしながら読んでみた・・。
 
 40歳最後の日に自殺をしようとビルの屋上から飛び降り自殺をしようとしていたヤスオは、すんでのところでキョウヤに邪魔される。臓器売買のエージェントであるキョウヤはヤスオに体すべてを売らないかともちかける。借金で首が回らなくなり、自殺するしかないと思い込んでいたヤスオはその申し出を受け入れ、キョウヤの属する「全ド協」(全日本ドナー・レシピエント協会)の病院で処置を受ける手筈となるが、その途中で偶然知り合った彼の心臓のレシピエント(移植を受ける者)となる予定のアカネと最後の時を過ごし、命の儚さ、切なさを知る・・。

 かいつまんでみればそんな内容だろう。かいつままなくてもそれだけのことしか書かれてない。活字が大きく、200ページ以上あるとは思えないほどの短時間で読み終えてしまった。驚きだ・・。 
 数ページ読んで、すぐに感じたのは、主人公のヤスオの軽さだ。自殺せざるをえない状況にまで追い込まれた四十男が、これほどまで軽くいられるのが不思議でたまらなかった。いくらなんでもこのヤスオはひどすぎる。ヤスオの人物像がしっかり描かれていないため、一応のテーマらしきものまでも安っぽくなってしまう。これだけで、この小説が破綻していることが分かる。「ポプラ社小説大賞」ってこの程度で受賞できるものなのか、と読む途中で何度唖然としてしまったことか。賞自体も限りなく軽くなってしまったように思う・・。
 じゃあ、お前はこれより面白い小説が書けるのか、と詰問されるとちょっと困る。このブログの記事のように、1,500字前後の駄文ならいくらでも書けるが、想像力を羽ばたかせて一個の小説世界を築きあげるだけの能力が己に備わっていないことくらいは分かっているつもりだ。だけど、そんな私でさえもこれより少しはマシなものが書けるように思えてくるのだから、この「KAGEROU」 のつまらなさは推して知るべしであろう・・。
 小説だと思って読んでいると段々腹が立ってくる。荒唐無稽な場面もいくつかあって、「もう劇画の世界だな」と思えてくるが、それだからこそ映画の脚本と見なすなら、まだ観賞に耐えられるかもしれない。水嶋ヒロにはキョウヤの役をやらせることにして・・。
 
 魔がさしたとしか言えないような読書ではあった。しかし、今回は大枚1,400円を払うことなく、人から借りて読めたのだから、さほどの被害はなかったのかもしれない・・。
 まあ、この本が呼び水となって、また読書欲が戻ってくれればいいのだが、この小説にそれを望むのは無理な気がする。時間の無駄だった、とまでは言わないにしても、最後まで読む必要はなかったな、とかなり後悔しているのだから・・。
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