毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
D.Jeter
「名門球団ヤンキースでデビューして17シーズン目。ジーターの記念すべき3千本目のヒットは、青空が広がる中、満員の左翼席に吸い込まれた。本塁付近でチームメートと抱き合って喜びを分かち合った背番号2の主将は「興奮と開放感が入り交じっている」と言って安堵の笑みを浮かべた。
一回に先頭打者で三遊間を破り、通算安打数は2999本に。「かなり楽になっていた」という三回の1死走者なし。フルカウントからの8球目を見事に捉えてスタンドへ。
37歳になった。昨季は打率2割7分に終わり、衰えが指摘されていた。周囲の雑音をシャットアウトし、節目に到達したこの日は、決勝打を含む5打数5安打。伝説の名選手ゲーリッグが持っていた2721安打の球団最多記録を更新したのは一昨年9月。「ヤンキースで一番になるのは、自分にとって特別なこと。それが三振の記録でも」と言って笑った」(共同)
全くすごい奴だ。けがで故障者リスト入りして、周りを心配させたが、きっちりヤンキースタジアムで達成してしまうのだから。松井がアメリカに渡る前から私が名前を知っていた数少ないメジャーリーガーの一人、松井がチームメートになってからはほぼ毎日顔を見ていたキャプテン、松井がヤンキースを去ってからも常に動向を気にしていた選手、そのジーターが史上27人目の快挙を成し遂げたのだから、心から祝福したい。
「おめでとう、ジーター!!」
日本語じゃ通じないかもしれないから、
”Congratulations, Captain Jeter!!”


何のお祝いもできない私だが、せめてこブログでその偉業を称えようと、あれこれ考えた結果、3000本目のヒット(HR)、メジャー1本目のヒット、
1000本目のヒットの映像を見つけたので、貼っておく。
それと、ジーターをtributeする映像もYouTube で見つけたので、貼っておく。憎らしいほどかっこいい!
だけど、やっぱり松井にこの歓喜の輪の中にいて欲しかったなあ・・。
一回に先頭打者で三遊間を破り、通算安打数は2999本に。「かなり楽になっていた」という三回の1死走者なし。フルカウントからの8球目を見事に捉えてスタンドへ。
37歳になった。昨季は打率2割7分に終わり、衰えが指摘されていた。周囲の雑音をシャットアウトし、節目に到達したこの日は、決勝打を含む5打数5安打。伝説の名選手ゲーリッグが持っていた2721安打の球団最多記録を更新したのは一昨年9月。「ヤンキースで一番になるのは、自分にとって特別なこと。それが三振の記録でも」と言って笑った」(共同)
全くすごい奴だ。けがで故障者リスト入りして、周りを心配させたが、きっちりヤンキースタジアムで達成してしまうのだから。松井がアメリカに渡る前から私が名前を知っていた数少ないメジャーリーガーの一人、松井がチームメートになってからはほぼ毎日顔を見ていたキャプテン、松井がヤンキースを去ってからも常に動向を気にしていた選手、そのジーターが史上27人目の快挙を成し遂げたのだから、心から祝福したい。
「おめでとう、ジーター!!」
日本語じゃ通じないかもしれないから、
”Congratulations, Captain Jeter!!”




何のお祝いもできない私だが、せめてこブログでその偉業を称えようと、あれこれ考えた結果、3000本目のヒット(HR)、メジャー1本目のヒット、
1000本目のヒットの映像を見つけたので、貼っておく。
それと、ジーターをtributeする映像もYouTube で見つけたので、貼っておく。憎らしいほどかっこいい!
だけど、やっぱり松井にこの歓喜の輪の中にいて欲しかったなあ・・。
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レイムダック
このところ、「レイムダック」という語をよく見聞きする。菅直人首相の現在の状況を指す言葉として使われている。「死に体」とほぼ同義語であろうと推察はできるが、この際正確な意味を把握しておくべきだろうと、調べてみた。
【a lame duck 「直訳:足の悪いアヒル」】
政治的指導力や世論の支持がなく任期の残りを惰性で政治運営している無能な大統領。
アヒルのよちよち歩く(waddle)様子から。アヒルのような歩き方は滑稽で嘲笑の対象。元はイギリス英語で債務不履行の会社のこと。債務不履行の会社の経営者がロンドンの証券街からよたよた歩いて出て行く様をからかって呼んだことが起源。それが1830年代のアメリカで借金を返せない政治家という意味になりさらに上記のような意味に広がった。
なるほど・・。てっきり退陣表明をしたと思われ、政治的求心力がどうしようもなく弱ってしまった菅首相の四面楚歌ぶりを端的に表している。だが、ちょっと待って欲しい。アヒルはたとえ足が悪くとも羽を持っている。歩けなくても羽を使って飛ぶことができる。飛んだはいいが、足が悪ければ着地することもままならない。着地もできずにただひたすらフラフラ彷徨い飛ぶのみ・・、ここまで深読みしてこそ、この言葉が生きてくる。復興相に任じた松本龍が暴言で早々と辞任、原発の安全宣言をしたと思えば、原発を再開するかどうかはストレステストをさせてから・・、などと内閣の迷走ぶりには呆れるばかりだ。思いつきで、場当たり的な政策をいくら重ねても復興にはつながるはずもない。ひょっとしたらアヒルよりおバカなのかもしれない・・。
それでは「死に体」という言葉の正確な意味は何だろう。広辞苑によれば、
『(相撲用語)力士の体勢がくずれて立ち直ることが不可能になった状態』
とある。さらにWikipediaによれば、
『判断基準について明確な基準はなく、実質その時々の行司や勝負審判の判断にまかされている。基本的には、自らの重心を支えきれなかったり、体勢を立て直すことが出来ず、相撲を取り続けられないと判断された状態。逆転は不可能で、技をかけた力士が先に落ちたような場合でも、技をかけられた力士が「死に体」であれば攻めた方が勝ちとなる』
とある。これもなかなか意味深である。
菅首相を現状にまで追い込んだのは、あくまでも自分自身の不甲斐なさであり、誰かの攻勢を受けた結果ではない。震災発生後、4ヶ月が経とうとしているのに、国の存在が希薄すぎる。政治主導と嘯いてみても、復興の遅れは誰が見ても明らかだ。さらには福島原発の処理問題と今後のエネルギー問題、混迷を続けているのは政府内部での意思の疎通が欠けているからで、まさに墓穴を掘っているとしか思えない。この現状を見れば、菅直人内閣が逆転不可能な状況にあり、「死に体」と宣言されても致し方ないであろう。だが、当の本人、菅直人が「死に体」であることを認めようとしないから、オチのない笑い話のようになってしまう・・。それに、代わりとなるめぼしい人物もいない現状では、「死に体」であろうが、首相を「やりたい」菅がそのまま続けていくのもあながち無理ではないかもしれない・・。
新聞で読んだが、菅首相の誕生日は10月10日なのだそうだ。もちろん彼自身は首相のまま誕生日を迎えたいだろうが、果たしてそこまでたどり付けるだろうか。私はグダグダとこのまま行っちゃうようにも思うのだが・・。
しかし、希代の粘り腰の持ち主である。いや、「カエルの面に水」と呼ぶべきか・・。
【a lame duck 「直訳:足の悪いアヒル」】
政治的指導力や世論の支持がなく任期の残りを惰性で政治運営している無能な大統領。
アヒルのよちよち歩く(waddle)様子から。アヒルのような歩き方は滑稽で嘲笑の対象。元はイギリス英語で債務不履行の会社のこと。債務不履行の会社の経営者がロンドンの証券街からよたよた歩いて出て行く様をからかって呼んだことが起源。それが1830年代のアメリカで借金を返せない政治家という意味になりさらに上記のような意味に広がった。
なるほど・・。てっきり退陣表明をしたと思われ、政治的求心力がどうしようもなく弱ってしまった菅首相の四面楚歌ぶりを端的に表している。だが、ちょっと待って欲しい。アヒルはたとえ足が悪くとも羽を持っている。歩けなくても羽を使って飛ぶことができる。飛んだはいいが、足が悪ければ着地することもままならない。着地もできずにただひたすらフラフラ彷徨い飛ぶのみ・・、ここまで深読みしてこそ、この言葉が生きてくる。復興相に任じた松本龍が暴言で早々と辞任、原発の安全宣言をしたと思えば、原発を再開するかどうかはストレステストをさせてから・・、などと内閣の迷走ぶりには呆れるばかりだ。思いつきで、場当たり的な政策をいくら重ねても復興にはつながるはずもない。ひょっとしたらアヒルよりおバカなのかもしれない・・。
それでは「死に体」という言葉の正確な意味は何だろう。広辞苑によれば、
『(相撲用語)力士の体勢がくずれて立ち直ることが不可能になった状態』
とある。さらにWikipediaによれば、
『判断基準について明確な基準はなく、実質その時々の行司や勝負審判の判断にまかされている。基本的には、自らの重心を支えきれなかったり、体勢を立て直すことが出来ず、相撲を取り続けられないと判断された状態。逆転は不可能で、技をかけた力士が先に落ちたような場合でも、技をかけられた力士が「死に体」であれば攻めた方が勝ちとなる』
とある。これもなかなか意味深である。
菅首相を現状にまで追い込んだのは、あくまでも自分自身の不甲斐なさであり、誰かの攻勢を受けた結果ではない。震災発生後、4ヶ月が経とうとしているのに、国の存在が希薄すぎる。政治主導と嘯いてみても、復興の遅れは誰が見ても明らかだ。さらには福島原発の処理問題と今後のエネルギー問題、混迷を続けているのは政府内部での意思の疎通が欠けているからで、まさに墓穴を掘っているとしか思えない。この現状を見れば、菅直人内閣が逆転不可能な状況にあり、「死に体」と宣言されても致し方ないであろう。だが、当の本人、菅直人が「死に体」であることを認めようとしないから、オチのない笑い話のようになってしまう・・。それに、代わりとなるめぼしい人物もいない現状では、「死に体」であろうが、首相を「やりたい」菅がそのまま続けていくのもあながち無理ではないかもしれない・・。
新聞で読んだが、菅首相の誕生日は10月10日なのだそうだ。もちろん彼自身は首相のまま誕生日を迎えたいだろうが、果たしてそこまでたどり付けるだろうか。私はグダグダとこのまま行っちゃうようにも思うのだが・・。
しかし、希代の粘り腰の持ち主である。いや、「カエルの面に水」と呼ぶべきか・・。
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「小川の辺」
「小川の辺」を見た。藤沢周平好きの伯母が、少し前に検査入院をしたとき、退院したら見に行こうと約束したことが無事果たせた。あらすじは次のよう、
「海坂藩士、戌井朔之助(東山紀之)は直心流の使い手としての腕を買われて、家老の助川権之丞(笹野高史)から、ある藩命を受ける。それは、親友である佐久間森衛(片岡愛之助)を討つことだった。藩主への上書によって藩の農政を痛烈に批判した佐久間は、謹慎処分を受けた後、妻の田鶴(菊池凛子)を連れて脱藩していたのだ。朔之助が受けた藩命は、佐久間に対する裁きだった。民を想って正論を訴えた友を斬らねばならないのか……。朔之助の心は揺れる。しかも佐久間の妻、田鶴は朔之助の妹。幼い頃から負けん気が強く、自身も直心流の使い手である田鶴は、武士の妻として手向かってくるに違いなかった。戌井家の家長である朔之助に対し、妹を斬ってでも主命に従えと諭す父の忠左衛門(藤竜也)と、涙を流す母の以瀬(松原千恵子)。妻の幾久(尾野真千子)は朔之助の身を案じながらも、気丈に振る舞う。翌朝、朔之助は幼い頃から兄弟のように育ち、田鶴への想いを秘めた奉公人、新蔵(勝地涼)とともに江戸へ向けて旅立つ。やがて見つけた佐久間の隠れ家は、兄妹と新蔵が幼い頃に遊んだような下総の小川の辺にあった。遂に向き合う朔之助と佐久間。幼い頃より築き上げてきた絆が、無情にも引き裂かれようとするとき、彼らが選んだ道とは……。」

東山がいい!端正な顔立ちと引き締まった肉体が、上級武士の品の良さを醸し出していて、ジャニーズの一員であるなどとは思えないほどだ。アイドルはとっくに卒業し、役者として確固たる存在感を身につけている。一年ほど前に、東山が敏腕ドクターを演じたTVドラマも楽しかったが、武士役の方が東山には似合う。立ち姿、瞑目して端座する姿勢、太刀さばき、鷹揚たる物言い、全てが「もののふ」らしくて、男の私でさえ目が離せなくなる。ましてやジャニーズ好きの妻では、心奪われるのも致し方ないだろう・・。
「やっぱりヒガシはいいでしょう!」
必殺シリーズに出演した頃から、東山の侍姿の凛々しさに唸ってばかりいた妻だが、この映画で改めて彼の魅力に捕らえられたようだ。(とは言え、目下最大の関心事は、ファンミーティングの抽選の結果・・)
「映画はやっぱりいいねえ・・」
と伯母がしみじみ言った。
「年を取るとイヤなことも多いけど、こうやって映画に連れてきてもらえるんだから、丈夫でいなくちゃいけないね」
伯母は久しぶりに藤竜也が見られたのも嬉しかったようだ。

私は松原智恵子が元気そうなのがよかった・・。(脇にこれだけの役者を配せば、当然のごとく引き締まる)
私は取り立てて時代劇が好きなわけでもないが、日本の美しさ、日本人の心のゆかしさを見直すことができるのが、時代劇のよいところだと思う。
「俺たちもこういうゆったりした映画を面白いと思うような年になったんだなあ・・」
映画が終わって妻に言いながら、劇場をぐるりと見回したら、白髪頭ばかりが目立った。確かに、若い人たちにこの映画の良さを伝えるのは少々難しいかもしれない・・。
「海坂藩士、戌井朔之助(東山紀之)は直心流の使い手としての腕を買われて、家老の助川権之丞(笹野高史)から、ある藩命を受ける。それは、親友である佐久間森衛(片岡愛之助)を討つことだった。藩主への上書によって藩の農政を痛烈に批判した佐久間は、謹慎処分を受けた後、妻の田鶴(菊池凛子)を連れて脱藩していたのだ。朔之助が受けた藩命は、佐久間に対する裁きだった。民を想って正論を訴えた友を斬らねばならないのか……。朔之助の心は揺れる。しかも佐久間の妻、田鶴は朔之助の妹。幼い頃から負けん気が強く、自身も直心流の使い手である田鶴は、武士の妻として手向かってくるに違いなかった。戌井家の家長である朔之助に対し、妹を斬ってでも主命に従えと諭す父の忠左衛門(藤竜也)と、涙を流す母の以瀬(松原千恵子)。妻の幾久(尾野真千子)は朔之助の身を案じながらも、気丈に振る舞う。翌朝、朔之助は幼い頃から兄弟のように育ち、田鶴への想いを秘めた奉公人、新蔵(勝地涼)とともに江戸へ向けて旅立つ。やがて見つけた佐久間の隠れ家は、兄妹と新蔵が幼い頃に遊んだような下総の小川の辺にあった。遂に向き合う朔之助と佐久間。幼い頃より築き上げてきた絆が、無情にも引き裂かれようとするとき、彼らが選んだ道とは……。」

東山がいい!端正な顔立ちと引き締まった肉体が、上級武士の品の良さを醸し出していて、ジャニーズの一員であるなどとは思えないほどだ。アイドルはとっくに卒業し、役者として確固たる存在感を身につけている。一年ほど前に、東山が敏腕ドクターを演じたTVドラマも楽しかったが、武士役の方が東山には似合う。立ち姿、瞑目して端座する姿勢、太刀さばき、鷹揚たる物言い、全てが「もののふ」らしくて、男の私でさえ目が離せなくなる。ましてやジャニーズ好きの妻では、心奪われるのも致し方ないだろう・・。
「やっぱりヒガシはいいでしょう!」
必殺シリーズに出演した頃から、東山の侍姿の凛々しさに唸ってばかりいた妻だが、この映画で改めて彼の魅力に捕らえられたようだ。(とは言え、目下最大の関心事は、ファンミーティングの抽選の結果・・)
「映画はやっぱりいいねえ・・」
と伯母がしみじみ言った。
「年を取るとイヤなことも多いけど、こうやって映画に連れてきてもらえるんだから、丈夫でいなくちゃいけないね」
伯母は久しぶりに藤竜也が見られたのも嬉しかったようだ。

私は松原智恵子が元気そうなのがよかった・・。(脇にこれだけの役者を配せば、当然のごとく引き締まる)
私は取り立てて時代劇が好きなわけでもないが、日本の美しさ、日本人の心のゆかしさを見直すことができるのが、時代劇のよいところだと思う。
「俺たちもこういうゆったりした映画を面白いと思うような年になったんだなあ・・」
映画が終わって妻に言いながら、劇場をぐるりと見回したら、白髪頭ばかりが目立った。確かに、若い人たちにこの映画の良さを伝えるのは少々難しいかもしれない・・。
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「野菜栽培セット」
伊藤園の「お~いお茶」はめったに飲んだことがない。どういうわけか分からないが、飲む気がしない。しかし、おまけが付いていれば気も変わる。「お~いお茶 濃い味」に野菜栽培セットというおまけが付いているのを見つけたとき、好き嫌いなどどこかに吹っ飛んでしまい、「三つ葉」「ネギ」「サラダ菜」の3種類を手に取ってしまった。

ちょうど1年前に、カゴメの「野菜生活」のおまけに付いていた「小松菜」の種を栽培した記事を載せたが、今回の栽培セットは種をペットボトルのキャップで育てるという斬新な方法が採られている点が、気に入った。説明書きを読みながら、さっそく種まきをしてみた。
①付属の土をペットボトルのキャップの中に入れてペットボトルのキャップ約1個分の水をかけます。水をかける際は周りが汚れないようにペットボトルのキャップの下に紙などを敷いてください。

②しばらくすると土が膨らんできますので、紙などを敷いて1度ペットボトルのキャップから土を出して、よくほぐしてください。土はペットボトルのキャップで約2個分あります。

③ほぐした土をペットボトルのキャップに8分目まで入れて付属の種を5~10粒まき、種がかくれる程度に上から土をかけてください。

④種をまいた後は日当たりのよい場所で芽が出るまでは土が乾かないように毎日水を与えてください。
と、ここまでが火曜日の夜のこと。
次の水曜の夜には「三つ葉」には、早くも小さな芽が出てきた。

そしてこれが木曜日の様子・・。

やっぱり「三つ葉」の成長が一番はやい。他の「ネギ」と「サラダ菜」には目立った変化はない。
発芽して1週間たったら、植え替えをしなくちゃいけないそうだから、ちょっと面倒くさいけど、きちんと世話をしていこうと思っている。

ちょうど1年前に、カゴメの「野菜生活」のおまけに付いていた「小松菜」の種を栽培した記事を載せたが、今回の栽培セットは種をペットボトルのキャップで育てるという斬新な方法が採られている点が、気に入った。説明書きを読みながら、さっそく種まきをしてみた。
①付属の土をペットボトルのキャップの中に入れてペットボトルのキャップ約1個分の水をかけます。水をかける際は周りが汚れないようにペットボトルのキャップの下に紙などを敷いてください。


②しばらくすると土が膨らんできますので、紙などを敷いて1度ペットボトルのキャップから土を出して、よくほぐしてください。土はペットボトルのキャップで約2個分あります。

③ほぐした土をペットボトルのキャップに8分目まで入れて付属の種を5~10粒まき、種がかくれる程度に上から土をかけてください。

④種をまいた後は日当たりのよい場所で芽が出るまでは土が乾かないように毎日水を与えてください。
と、ここまでが火曜日の夜のこと。
次の水曜の夜には「三つ葉」には、早くも小さな芽が出てきた。

そしてこれが木曜日の様子・・。

やっぱり「三つ葉」の成長が一番はやい。他の「ネギ」と「サラダ菜」には目立った変化はない。
発芽して1週間たったら、植え替えをしなくちゃいけないそうだから、ちょっと面倒くさいけど、きちんと世話をしていこうと思っている。
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団扇
節電の夏、扇風機が売れているらしいが、節電どころか電気をまるで使わない団扇の方がずっと役に立つ。塾の授業中に下敷きをパタパタする生徒は時として目障りだが、今年の夏はそうも言っていられない。いっそのこと団扇持参を促そうか・・。
江戸時代の俳人、横井也有の俳文集「鶉衣」に「奈良団賛(ならうちはのさん)」という軽妙洒脱な一文がある。以下に原文とその現代語訳を載せてみる。
【原文】
青によし奈良の帝の御時、いかなる叡慮にあづかりてか、この地の名産とはなれりけむ。
世はただ其道の芸くはしからば、多能はなくてもあらまし。かれよ、かしこくも風を生ずるの外は、たえて無能にして、一曲一かなでの間にもあはざれば、腰にたたまれて公界にへつらふねぢけ心もなし。ただ木の端と思ひすてたる雲水の生涯ならむ。
さるは桐の箱の家をも求めず。ひさごが本の夕すずみ、昼ねの枕に宿直して、人の心に秋風たてば、また来る夏を頼むとも見えず。物置の片隅に紙屑籠と相住みして、鼠のあしにけがさるれども、地紙をまくられて野ざらしとなる扇にはまさりなむ。
我汝に心をゆるす。汝我に馴れて、はだか身の寝姿を、あなかしこ、人にかたる事なかれ。
袴着る 日はやすまする うちはかな
【現代語訳】
青によし奈良の帝(称徳天皇)の御時に、どのような叡慮にあずかってか、この土地(奈良)の名産となったのだろうか。
世間では芸を十分に知っているから、多能でなくてもよいのだ。「彼」は、賢いことに風を生み出す外は、全く無能で、音楽の一節、舞の一手を奏でる時に出会うこともないから、扇子のように腰にたたまれて公の場所へ出て機嫌をとることもない。この世をただ木の端のように軽く思いすてた僧の境涯のようだ。
豪華な桐の箱の入れ物をも求めない。夕顔の下での夕涼みや昼寝の枕にお共して、涼しくなって人の心に秋風(飽き風)が立てば、また来年の夏にも頼むと思われることもない。物置の片隅に紙くずのゴミ箱と一緒に住んで、鼠の足跡に汚されるけれども、
不要になると表の地紙をまくられて野ざらしとなる扇子よりはましであろう。
私はお前に心を許す。私がお前に馴れたからと言って、私の裸身の寝姿を、恐れ多くも人に語る事はするなよ。
袴を着る日は休ませるのだよ、団扇は。(正装の袴の時は団扇でなく扇子)
作者の横井也有は、名古屋の産で、若い頃から俳人としても知られていたが、俳諧では句よりもむしろ俳文のほうが優れ、俳文の大成者と呼ばれる多芸多才の人物であった。その才の発露である「鶉衣」の中には、他にも面白い文がたくさんあり、こんな自在な文章が書けたらいいのになあ・・、と浅学非才な私は羨むばかりである。
もし、「団扇」というお題で文を書くとしたら、今の私には先日手に入れた「ウチワヤシ」のことぐらいしか書けないだろう・・。

でも、このウチワヤシ、なかなか立派でしょう!!
江戸時代の俳人、横井也有の俳文集「鶉衣」に「奈良団賛(ならうちはのさん)」という軽妙洒脱な一文がある。以下に原文とその現代語訳を載せてみる。
【原文】
青によし奈良の帝の御時、いかなる叡慮にあづかりてか、この地の名産とはなれりけむ。
世はただ其道の芸くはしからば、多能はなくてもあらまし。かれよ、かしこくも風を生ずるの外は、たえて無能にして、一曲一かなでの間にもあはざれば、腰にたたまれて公界にへつらふねぢけ心もなし。ただ木の端と思ひすてたる雲水の生涯ならむ。
さるは桐の箱の家をも求めず。ひさごが本の夕すずみ、昼ねの枕に宿直して、人の心に秋風たてば、また来る夏を頼むとも見えず。物置の片隅に紙屑籠と相住みして、鼠のあしにけがさるれども、地紙をまくられて野ざらしとなる扇にはまさりなむ。
我汝に心をゆるす。汝我に馴れて、はだか身の寝姿を、あなかしこ、人にかたる事なかれ。
袴着る 日はやすまする うちはかな
【現代語訳】
青によし奈良の帝(称徳天皇)の御時に、どのような叡慮にあずかってか、この土地(奈良)の名産となったのだろうか。
世間では芸を十分に知っているから、多能でなくてもよいのだ。「彼」は、賢いことに風を生み出す外は、全く無能で、音楽の一節、舞の一手を奏でる時に出会うこともないから、扇子のように腰にたたまれて公の場所へ出て機嫌をとることもない。この世をただ木の端のように軽く思いすてた僧の境涯のようだ。
豪華な桐の箱の入れ物をも求めない。夕顔の下での夕涼みや昼寝の枕にお共して、涼しくなって人の心に秋風(飽き風)が立てば、また来年の夏にも頼むと思われることもない。物置の片隅に紙くずのゴミ箱と一緒に住んで、鼠の足跡に汚されるけれども、
不要になると表の地紙をまくられて野ざらしとなる扇子よりはましであろう。
私はお前に心を許す。私がお前に馴れたからと言って、私の裸身の寝姿を、恐れ多くも人に語る事はするなよ。
袴を着る日は休ませるのだよ、団扇は。(正装の袴の時は団扇でなく扇子)
作者の横井也有は、名古屋の産で、若い頃から俳人としても知られていたが、俳諧では句よりもむしろ俳文のほうが優れ、俳文の大成者と呼ばれる多芸多才の人物であった。その才の発露である「鶉衣」の中には、他にも面白い文がたくさんあり、こんな自在な文章が書けたらいいのになあ・・、と浅学非才な私は羨むばかりである。
もし、「団扇」というお題で文を書くとしたら、今の私には先日手に入れた「ウチワヤシ」のことぐらいしか書けないだろう・・。

でも、このウチワヤシ、なかなか立派でしょう!!
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ソングオブジャマイカ(2)
「ソングオブジャマイカ」が欲しい!と書いたのは、先週土曜の記事。その後、ネット上をあちこち彷徨ってみたが、気に入ったものを見つけることができなかった。ネットだけではなく、ホームセンターやフラワーショップにも行き、何鉢か見つけたものの、大きすぎたり、高すぎたりして、なかなか踏ん切りが付かなかった。できれば一緒に「ソングオブインディオ」も欲しいと思っていたので、なるべくなら大きさの揃ったものを一度に買いたいと思っていたが、おいそれと条件に合うものなど見つかるはずもなかった。まあ、焦る必要もないから、気長に探せばいいかと思い始めたときに、「そうだ、三貴フラワーセンターに行ってみればいい」と気づいた。このところ、オークションで何鉢か買ったので、三貴フラワーセンターの存在をすっかり忘れていた。「あそこなら見つかるかもしれない」と、月曜日、期待に胸膨らませて出かけた。
さすがに今の時期、観葉植物が並べてある温室はかなりの高温だ。少し歩いたら、汗が噴き出してきた。
「こんなに暑くても平気なんだから、やっぱり熱帯の植物なんだな・・」
とごく当たり前のことを新しく発見したような気になって、ニヤニヤしながら歩いていたら、まずは「ソングオブインディオ」を見つけた。大きいものと中くらいのものが数本ずつ置いてあった。
「やっぱりあった!!」
しかも値段が安い。中くらいのもので3,400円!!びっくりした。とりあえず目星を付けておいてから、「ソングオブジャマイカ」を本気で探し始めた。すると、ちょっと離れたところに、何本か置いてあるのが見つかった。
「本当に何でもあるんだな・・」
と、改めて三貴フラワーセンターの底力に感服した。それは値段にも反映されていて、中くらいの鉢が3,060円だなんて俄かに信じられなかった。驚くことに、2つペアで買ってもなんと6,460円・・。こんなに安くても大丈夫か?と心配になったほどだった。


先日載せた写真のものとは、葉の密度や色合いが違う。このあたりが安い物の弱点かもしれないが、せっせと世話して葉の色がもっと鮮明になるようにしてやろう。で、育て方を調べてきた。
『水やりは一般的な鉢物と同程度でよく、暖かい時期には時々肥料を与えます。直射日光を嫌い、明るい室内に置きます。冬越しには最低5℃は必要です。多湿を好みますので、時々葉水をしましょう』
了解!!
だけど、「ソングオブインディオ」の方は、人が歌っている姿に見えなくもないなあ・・。
さすがに今の時期、観葉植物が並べてある温室はかなりの高温だ。少し歩いたら、汗が噴き出してきた。
「こんなに暑くても平気なんだから、やっぱり熱帯の植物なんだな・・」
とごく当たり前のことを新しく発見したような気になって、ニヤニヤしながら歩いていたら、まずは「ソングオブインディオ」を見つけた。大きいものと中くらいのものが数本ずつ置いてあった。
「やっぱりあった!!」
しかも値段が安い。中くらいのもので3,400円!!びっくりした。とりあえず目星を付けておいてから、「ソングオブジャマイカ」を本気で探し始めた。すると、ちょっと離れたところに、何本か置いてあるのが見つかった。
「本当に何でもあるんだな・・」
と、改めて三貴フラワーセンターの底力に感服した。それは値段にも反映されていて、中くらいの鉢が3,060円だなんて俄かに信じられなかった。驚くことに、2つペアで買ってもなんと6,460円・・。こんなに安くても大丈夫か?と心配になったほどだった。




先日載せた写真のものとは、葉の密度や色合いが違う。このあたりが安い物の弱点かもしれないが、せっせと世話して葉の色がもっと鮮明になるようにしてやろう。で、育て方を調べてきた。
『水やりは一般的な鉢物と同程度でよく、暖かい時期には時々肥料を与えます。直射日光を嫌い、明るい室内に置きます。冬越しには最低5℃は必要です。多湿を好みますので、時々葉水をしましょう』
了解!!
だけど、「ソングオブインディオ」の方は、人が歌っている姿に見えなくもないなあ・・。
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「南極料理人」
日曜9時からは「JIN」を見るのが半ば習慣となっていたので、「JIN」が終わってしまったこの前の日曜日は、どうやって時間を過ごそうか、妻と相談した。
「やっぱり映画だなあ・・」
「そうだね、9時からなら1本見ることができるものね・・」
「何か録画してある?」
「う~ん、「南極料理人」ならあるよ」
「堺雅人の映画か・・」
「そう。見る?」
「見てみるか・・」
正直言えば、あまり期待していなかった。堺雅人のいつも笑っている顔はあまり好きじゃないし、だいたいのストーリーは見なくても分かるし・・。などと思いながら見始めたところ、意外や意外、なかなか面白かった。あらすじは次のよう・・。
『1997年、南極。昭和基地から1,000キロ離れた高地にある南極ドームふじ基地では、8人の隊員が一年間の共同生活を送っていた。その1人、西村(堺雅人)は隊員たちの毎日の食事を用意する調理担当。だが、食材は冷凍、乾燥、缶詰が基本。凍ったらダメになるものは用意していない。特殊な場所だけに様々な制約を受ける中で、いかに隊員たちにおいしい食事を届けるか。それが彼の仕事だった。ある日の料理は伊勢海老を使った特大エビフライ。それを見た隊員たちは唖然とする。家族を日本に残してきた西村。妻のみゆき(西田尚美)と娘の友花(小野花梨)、赤ん坊の航。家族のことを想う西村だったが、家族から届くファックスを見て落ち込む。“お父さんがいなくなってから、毎日が楽しくてしょうがありません”。雪氷学者の本さん(生瀬勝久)の誕生日には、牛肉の丸焼きがテーブルに並ぶ。歓声を挙げた隊員たちは、飲めや歌えやの大騒ぎ。そして冬至には、全員が正装してフレンチのフルコースに舌鼓。時が経ち、次第に髪はボサボサ、髭も伸び放題。保存していた食材も次第に減ってゆく。ラーメンがないと不満を漏らす気象学者のタイチョー(きたろう)。仕事をサボって遊んでいた主任(古舘寛治)は、平さん(小浜正寛)に追いかけ廻される。その騒動で揉み合う中、お守り代わりに持ち歩いていた友花の乳歯がなくなってしまう。フテ寝する西村だったが、自分で料理を作ろうと悪戦苦闘する隊員たちの姿を見て、再び厨房へ。嬉しそうに彼を迎え入れる隊員たち。ある日、意を決した西村は、ありあわせの材料で手打ちラーメンを作る。恐る恐る箸をつけたタイチョーが笑い出す。“ラーメンだ!”やがて訪れる帰国のとき。食堂をきれいに片付け、包丁をしまってキッチンを後にする。出迎えでごった返す空港。家族の姿を見つけた西村は走り出す。そして、すべてがごく普通の日常へと戻っていくのだった』

ウィルスさえもいない、日本から遙か離れた-50℃以下の世界で、男ばかり8人も暮らしていれば、様々な問題が生じてくるだろうが、それを深刻めくことなく、時としてユーモラスに描いているのがいい。実際の隊員の人たちは、他人に言えないような苦労を味わっているのだろうが、それを見る者たちに押しつけるのではなく、いくつかの印象深いエピソードを緩やかに繋いでいく手法で描いているため、日曜の夜、ビール片手に見るにはちょうどいい映画だった。
「そう言えば木村拓哉が『南極物語』撮っているんだよなあ?」
「そう。北海道で撮ってて、最後に南極に撮影に行くっていう話だけど・・」
「やっぱり南極で撮らなきゃ臨場感出ないよなあ」
「この映画はどうなんだろう?南極かなあ?」
「寒そうだし、やたら広いし、南極なんじゃないの・・」
調べてみたら北海道でロケしたそうだ。私の観察眼なんてそんなもの・・。
「やっぱり映画だなあ・・」
「そうだね、9時からなら1本見ることができるものね・・」
「何か録画してある?」
「う~ん、「南極料理人」ならあるよ」
「堺雅人の映画か・・」
「そう。見る?」
「見てみるか・・」
正直言えば、あまり期待していなかった。堺雅人のいつも笑っている顔はあまり好きじゃないし、だいたいのストーリーは見なくても分かるし・・。などと思いながら見始めたところ、意外や意外、なかなか面白かった。あらすじは次のよう・・。
『1997年、南極。昭和基地から1,000キロ離れた高地にある南極ドームふじ基地では、8人の隊員が一年間の共同生活を送っていた。その1人、西村(堺雅人)は隊員たちの毎日の食事を用意する調理担当。だが、食材は冷凍、乾燥、缶詰が基本。凍ったらダメになるものは用意していない。特殊な場所だけに様々な制約を受ける中で、いかに隊員たちにおいしい食事を届けるか。それが彼の仕事だった。ある日の料理は伊勢海老を使った特大エビフライ。それを見た隊員たちは唖然とする。家族を日本に残してきた西村。妻のみゆき(西田尚美)と娘の友花(小野花梨)、赤ん坊の航。家族のことを想う西村だったが、家族から届くファックスを見て落ち込む。“お父さんがいなくなってから、毎日が楽しくてしょうがありません”。雪氷学者の本さん(生瀬勝久)の誕生日には、牛肉の丸焼きがテーブルに並ぶ。歓声を挙げた隊員たちは、飲めや歌えやの大騒ぎ。そして冬至には、全員が正装してフレンチのフルコースに舌鼓。時が経ち、次第に髪はボサボサ、髭も伸び放題。保存していた食材も次第に減ってゆく。ラーメンがないと不満を漏らす気象学者のタイチョー(きたろう)。仕事をサボって遊んでいた主任(古舘寛治)は、平さん(小浜正寛)に追いかけ廻される。その騒動で揉み合う中、お守り代わりに持ち歩いていた友花の乳歯がなくなってしまう。フテ寝する西村だったが、自分で料理を作ろうと悪戦苦闘する隊員たちの姿を見て、再び厨房へ。嬉しそうに彼を迎え入れる隊員たち。ある日、意を決した西村は、ありあわせの材料で手打ちラーメンを作る。恐る恐る箸をつけたタイチョーが笑い出す。“ラーメンだ!”やがて訪れる帰国のとき。食堂をきれいに片付け、包丁をしまってキッチンを後にする。出迎えでごった返す空港。家族の姿を見つけた西村は走り出す。そして、すべてがごく普通の日常へと戻っていくのだった』


ウィルスさえもいない、日本から遙か離れた-50℃以下の世界で、男ばかり8人も暮らしていれば、様々な問題が生じてくるだろうが、それを深刻めくことなく、時としてユーモラスに描いているのがいい。実際の隊員の人たちは、他人に言えないような苦労を味わっているのだろうが、それを見る者たちに押しつけるのではなく、いくつかの印象深いエピソードを緩やかに繋いでいく手法で描いているため、日曜の夜、ビール片手に見るにはちょうどいい映画だった。
「そう言えば木村拓哉が『南極物語』撮っているんだよなあ?」
「そう。北海道で撮ってて、最後に南極に撮影に行くっていう話だけど・・」
「やっぱり南極で撮らなきゃ臨場感出ないよなあ」
「この映画はどうなんだろう?南極かなあ?」
「寒そうだし、やたら広いし、南極なんじゃないの・・」
調べてみたら北海道でロケしたそうだ。私の観察眼なんてそんなもの・・。
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小野道風
「"おのどうふう"ってどんな人?」
高3生の女の子が訊いてきた。
「おの?どうふう?」
「みちかぜかも・・」
「みちかぜ?・・・、ああ、"おののとうふう"のことか。」
「そうかも・・、三蹟って書いてあるけど・・」
「藤原佐理、藤原行成と小野道風で三蹟・・。でも、小野道風を知らないの?本当に?」
「三蹟」という歴史的人物であることは知らないにしても、愛知県の出自と言われている小野道風はこの近辺の人間なら誰でも知っているものだと思っていただけにびっくりした。
「それじゃあ、小野道風とカエルの話も知らないの?」
「何、それ?」
「道徳の時間に習わなかった?」
「知らないよ、そんなの・・」
そこで私の記憶に残っている逸話をかいつまんで話してみた。私のあやふやな記憶ではピンとこないかもしれないので、ネット上でオリジナル版らしきものを見つけてきた。
「ヤナギニ 蛙」
昔、ヲノノタウフウトイウ 人ガ アリマシタ。
小サイ 時カラ ジノケイコヲシテ ヰマシタガ 思フヤウニ ウマク カケナイノデ 、ヤメテシマハウカト 思ヒマシタ。
アル 雨ノ日ニ タウフウガ、庭ニ オリテ 池ノ ソバヲ 見ルト、 一ピキノ 蛙ガ シダレヤナギノ 枝ニ トビツカウトシテ ヰマシタ。
トンデハ 落チ、 トンデハ 落チ 何ベンモ クリカエシテ ヰマス。
トウトウ ヤナギノ 枝ニ トビツキマシタ。
タウフウハ コレヲ 見テ、コンキヨクスレバ、ナニゴトモ デキナイ コトハナイト 気ガ ツキマシタ。
タウフウハ、ソレカライッシンニ ジヲ ナライマシタ。
ズンズン ウマク ナッテ、ナダカイ カキテト ナリマシタ。
昭和16年2月の文部省発行の教材『ヨイコドモ』の下巻にあり、2年生が使用したと言われている。「倦まず弛まず、根気強く努力することの重要性を説いている」典型的なお話だ。小野道風ほどの世に知れた能書家でも、懸命に努力して地位を築いたんだな、と子どもたちが分かってくれることを願って採用されたのだろう。
私も小学校の頃、大嫌いな道徳の時間で読んだように思う。が、その時は、「花札のあの絵のことか・・」としか思わなかったような気がする。

きちんとこの物語の趣旨を理解していたら、今頃もう少しまともな人間になっていたかもしれない、と些か後悔の念が浮かんでくる。
だが、小野道風の知名度の低さには驚いた。他の塾生たち、小学生から高校生まで何人かに訊いてみたが、一人も知らなかった。不思議で仕方なかったが、これだけ今の子どもたちがこの話を知らないと言うことは、努力の大切さを説く題材として彼とカエルの話は使われていない、と言うことなのだろう。
今では、花札なんてものを知っている子どもたちもあまりいないだろうから、この先小野道風に光が当たることはないように思う。少し残念な話だが、偉人にも流行り廃りがあるようだ・・。
高3生の女の子が訊いてきた。
「おの?どうふう?」
「みちかぜかも・・」
「みちかぜ?・・・、ああ、"おののとうふう"のことか。」
「そうかも・・、三蹟って書いてあるけど・・」
「藤原佐理、藤原行成と小野道風で三蹟・・。でも、小野道風を知らないの?本当に?」
「三蹟」という歴史的人物であることは知らないにしても、愛知県の出自と言われている小野道風はこの近辺の人間なら誰でも知っているものだと思っていただけにびっくりした。
「それじゃあ、小野道風とカエルの話も知らないの?」
「何、それ?」
「道徳の時間に習わなかった?」
「知らないよ、そんなの・・」
そこで私の記憶に残っている逸話をかいつまんで話してみた。私のあやふやな記憶ではピンとこないかもしれないので、ネット上でオリジナル版らしきものを見つけてきた。
「ヤナギニ 蛙」
昔、ヲノノタウフウトイウ 人ガ アリマシタ。
小サイ 時カラ ジノケイコヲシテ ヰマシタガ 思フヤウニ ウマク カケナイノデ 、ヤメテシマハウカト 思ヒマシタ。
アル 雨ノ日ニ タウフウガ、庭ニ オリテ 池ノ ソバヲ 見ルト、 一ピキノ 蛙ガ シダレヤナギノ 枝ニ トビツカウトシテ ヰマシタ。
トンデハ 落チ、 トンデハ 落チ 何ベンモ クリカエシテ ヰマス。
トウトウ ヤナギノ 枝ニ トビツキマシタ。
タウフウハ コレヲ 見テ、コンキヨクスレバ、ナニゴトモ デキナイ コトハナイト 気ガ ツキマシタ。
タウフウハ、ソレカライッシンニ ジヲ ナライマシタ。
ズンズン ウマク ナッテ、ナダカイ カキテト ナリマシタ。
昭和16年2月の文部省発行の教材『ヨイコドモ』の下巻にあり、2年生が使用したと言われている。「倦まず弛まず、根気強く努力することの重要性を説いている」典型的なお話だ。小野道風ほどの世に知れた能書家でも、懸命に努力して地位を築いたんだな、と子どもたちが分かってくれることを願って採用されたのだろう。
私も小学校の頃、大嫌いな道徳の時間で読んだように思う。が、その時は、「花札のあの絵のことか・・」としか思わなかったような気がする。

きちんとこの物語の趣旨を理解していたら、今頃もう少しまともな人間になっていたかもしれない、と些か後悔の念が浮かんでくる。
だが、小野道風の知名度の低さには驚いた。他の塾生たち、小学生から高校生まで何人かに訊いてみたが、一人も知らなかった。不思議で仕方なかったが、これだけ今の子どもたちがこの話を知らないと言うことは、努力の大切さを説く題材として彼とカエルの話は使われていない、と言うことなのだろう。
今では、花札なんてものを知っている子どもたちもあまりいないだろうから、この先小野道風に光が当たることはないように思う。少し残念な話だが、偉人にも流行り廃りがあるようだ・・。
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水野さんと山崎さん
「福島第一原発事故と放射線」(NHK出版新書)を読んだ。これは、NHKの水野倫之解説委員と山崎淑行記者が中心となって、「(原発)事故の真相と深層」を書いた書である。この二人は、福島原発が制御不能に陥った直後からTVに出続け、原発事故の動向を事細かに解説してくれて、何が起こっているのか、これからどうなるのか、私たちの知りたい情報とそれについての的確な解説で、多くの視聴者がパニックに陥ることなく、冷静に対処することを可能にしてくれた功労者であると私は思っている。
政府側から公表される僅かな情報だけでは、いったい何が起こっているのか、まるで分からなかった。水素爆発で建屋が吹っ飛んでも、炉心を冷却するための注水がままならぬ時も、政府や東電の発表からは危機感が伝わってこず、本当にこれで大丈夫なのか、と不安だらけだった。それと比べると、NHKのこの二人の解説は、いたずらに危機感を煽るわけでもなく、かと言って事態を楽観視するのでもなく、自らの持つ知識に基づき、理性的な物言いで私たちに注意を促し、幾ばくかの不安を取り除いてくれた。彼らの解説が的確であったことは、その後の福島原発の経過を見れば明らかであり、その慧眼は他局の解説員の及ばぬものであった。
その二人が長い取材経験の中から得たものを忌憚なく語っている本書は、原発事故を検証し、これからのエネルギー問題を考える上で、多くの示唆に富んでいる。以下に「なるほど」と思った箇所を幾つか挙げてみる。
「技術導入とその改良で原発を作ってきた日本は、ゼロからの開発を知らず、また"実戦"での緊急対応も経験していないから、制御できなくなたときの『本当の怖さ、恐ろしさ』を知らないのではないか」(P.94)
「原子力の世界の人はできるだけ情報を出さない、知らせないということで、出来上がっている推進体制を守ろうとしていましたし、その世界の外部にいる者を信じないというところがあるように感じます」(P.100)
「今回の事故は起こるべくして起きてしまったのかもしれません。言い方は悪いかもしれませんが、『原発という危険なおもちゃを私たちに扱えるのか?』ということが、今回私たちに突きつけられた宿題です。私たち日本人は、原発という代物を扱えるだけの組織マネジメントができていないということだと思うんです」(P.163)
「今後も原発に頼るのか、新規建設はやめるのか、もしくはすべてをやめるのかといった具多的なことを、国民的な議論にしなくてはいけないんですね。菅総理が勝手に政策を決めるのではなくて、原発を全部止めたらどうなるのか、自然エネルギーだけでどのくらい賄えるのかといった、国民が判断に使えるようなあらゆるシミレーションを重ねて、その情報を提示した上で、最終的には国民投票という手もあるでしょう」(P.168)
「正しく状況を理解して、正しい身の振り方を考えてもらう。それがもっともみんなの被害や損失を抑えられる。いうまでもなく、放射線をむだに受けることは避けるべき。それが基本。怖がってください、と。だから対策も徹底的に行うべきで、流通する食品や水の検査は最高に厳しくやるべきだし、放射線が継続的に高い地域の対策も余計と思われるくらいにしっかりと行うべきです」(P.178)
「私から見ると、政府がやろうとしていることは、間違っていないこともあるんですけれど、最初に住民不在で、不信感を持たれてしまっているから、正しい決定も不信の目で見られて結局混乱が継続している。広くアンテナを張り集めた情報と権限は1か所にしてそこで判断する。そういうシンプルな仕組みをとっていかないと、この未曾有の大災害の手当と、広範な分野にまたがる住民からの要望に迅速に対応できないと感じます。福島第一原発は、トラブルの真っ最中だということを、忘れてはいけないのです」(P.184)
どうしてこのことが政治の中枢にいる者たちには理解できないのだろう?鈍感なのか、始めから理解しようとしていないのか、ただのバカなのか・・・。
政府側から公表される僅かな情報だけでは、いったい何が起こっているのか、まるで分からなかった。水素爆発で建屋が吹っ飛んでも、炉心を冷却するための注水がままならぬ時も、政府や東電の発表からは危機感が伝わってこず、本当にこれで大丈夫なのか、と不安だらけだった。それと比べると、NHKのこの二人の解説は、いたずらに危機感を煽るわけでもなく、かと言って事態を楽観視するのでもなく、自らの持つ知識に基づき、理性的な物言いで私たちに注意を促し、幾ばくかの不安を取り除いてくれた。彼らの解説が的確であったことは、その後の福島原発の経過を見れば明らかであり、その慧眼は他局の解説員の及ばぬものであった。
その二人が長い取材経験の中から得たものを忌憚なく語っている本書は、原発事故を検証し、これからのエネルギー問題を考える上で、多くの示唆に富んでいる。以下に「なるほど」と思った箇所を幾つか挙げてみる。
「技術導入とその改良で原発を作ってきた日本は、ゼロからの開発を知らず、また"実戦"での緊急対応も経験していないから、制御できなくなたときの『本当の怖さ、恐ろしさ』を知らないのではないか」(P.94)
「原子力の世界の人はできるだけ情報を出さない、知らせないということで、出来上がっている推進体制を守ろうとしていましたし、その世界の外部にいる者を信じないというところがあるように感じます」(P.100)
「今回の事故は起こるべくして起きてしまったのかもしれません。言い方は悪いかもしれませんが、『原発という危険なおもちゃを私たちに扱えるのか?』ということが、今回私たちに突きつけられた宿題です。私たち日本人は、原発という代物を扱えるだけの組織マネジメントができていないということだと思うんです」(P.163)
「今後も原発に頼るのか、新規建設はやめるのか、もしくはすべてをやめるのかといった具多的なことを、国民的な議論にしなくてはいけないんですね。菅総理が勝手に政策を決めるのではなくて、原発を全部止めたらどうなるのか、自然エネルギーだけでどのくらい賄えるのかといった、国民が判断に使えるようなあらゆるシミレーションを重ねて、その情報を提示した上で、最終的には国民投票という手もあるでしょう」(P.168)
「正しく状況を理解して、正しい身の振り方を考えてもらう。それがもっともみんなの被害や損失を抑えられる。いうまでもなく、放射線をむだに受けることは避けるべき。それが基本。怖がってください、と。だから対策も徹底的に行うべきで、流通する食品や水の検査は最高に厳しくやるべきだし、放射線が継続的に高い地域の対策も余計と思われるくらいにしっかりと行うべきです」(P.178)
「私から見ると、政府がやろうとしていることは、間違っていないこともあるんですけれど、最初に住民不在で、不信感を持たれてしまっているから、正しい決定も不信の目で見られて結局混乱が継続している。広くアンテナを張り集めた情報と権限は1か所にしてそこで判断する。そういうシンプルな仕組みをとっていかないと、この未曾有の大災害の手当と、広範な分野にまたがる住民からの要望に迅速に対応できないと感じます。福島第一原発は、トラブルの真っ最中だということを、忘れてはいけないのです」(P.184)
どうしてこのことが政治の中枢にいる者たちには理解できないのだろう?鈍感なのか、始めから理解しようとしていないのか、ただのバカなのか・・・。
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大賀ハス
お稲荷さんに参拝に行く途中、今年も大賀ハスの見学に寄ってみた。

運良くと言うべきか、『ハス祭り』がちょうど昨日から開かれていた。が、やはり運悪く、ハスは全く咲いていなかった。所々につぼみがあるばかり・・。

このハス園は入場無料で誰でも入れるが、有志が何人かミニテントを張って、野菜やらお菓子やらを売っている。その人たちによれば、あと2週間ほどしたら見頃になるとのことだが、今年はなんだかんだと忙しいから、もう一度見に来るなんてことはできそうもない。残念だが、今年はこのつぼみで満足しておかねばならないようだ・・。
しかし、私にはハスの葉が一面に広がったこの壮観を眺められただけで十分だった。


花はまだまだだが、葉は今が一番良い時なのかもしれない。私がせっせと集めている葉っぱたちは、うまく育てれば一年中緑を湛えているものばかりだが、ハスの葉は枯れてしまう。儚いとも言えるかもしれないが、その儚さが微塵も感じられないほど生い茂った景観は、葉っぱ好きには堪らない。これと比べれば、私のジャングル部屋もまだまだだ・・。
しかし、今の世の中、どこにでもマスコットがいるもんだ。「ハス太郎」と「ハスっ娘」・・。あまり可愛くない気がするが・・。これを見ていたら、先日生協の宅配トラックに貼ってあった、キャラクターのことを思い出した。

「シャチオくんとシャチコさん」・・・。やなせたかしの作らしいが、これも正直言って、可愛くない・・。

運良くと言うべきか、『ハス祭り』がちょうど昨日から開かれていた。が、やはり運悪く、ハスは全く咲いていなかった。所々につぼみがあるばかり・・。


このハス園は入場無料で誰でも入れるが、有志が何人かミニテントを張って、野菜やらお菓子やらを売っている。その人たちによれば、あと2週間ほどしたら見頃になるとのことだが、今年はなんだかんだと忙しいから、もう一度見に来るなんてことはできそうもない。残念だが、今年はこのつぼみで満足しておかねばならないようだ・・。
しかし、私にはハスの葉が一面に広がったこの壮観を眺められただけで十分だった。




花はまだまだだが、葉は今が一番良い時なのかもしれない。私がせっせと集めている葉っぱたちは、うまく育てれば一年中緑を湛えているものばかりだが、ハスの葉は枯れてしまう。儚いとも言えるかもしれないが、その儚さが微塵も感じられないほど生い茂った景観は、葉っぱ好きには堪らない。これと比べれば、私のジャングル部屋もまだまだだ・・。
しかし、今の世の中、どこにでもマスコットがいるもんだ。「ハス太郎」と「ハスっ娘」・・。あまり可愛くない気がするが・・。これを見ていたら、先日生協の宅配トラックに貼ってあった、キャラクターのことを思い出した。

「シャチオくんとシャチコさん」・・・。やなせたかしの作らしいが、これも正直言って、可愛くない・・。
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