じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

地域総合大学(案)

2009-06-25 12:20:31 | Weblog
★ 教育大学の在り方について、先に「師範大学」(案)を書いたが、もうひとつプランがある。それは「地域総合大学」という考え方である。

★ いわば「コミュニティカレッジ」構想だ。「学芸大学」の発想にも似ているのだろうが。

★ 広く市民に開かれた教養課程の大学といったイメージだ。教員養成はこの基礎課程の上に専門職大学院で養成すればどうか。教員養成は6年制となる。

★ 2年間の専門課程だけで教員養成が不十分と言うなら、学部に教職基礎課程を併設し、それを履修したものに専門課程への門を開けば良い。他の大学卒業者も同様に、大学での基礎課程を修了し、専門職大学院で専門課程を修了した者に教員免許状を発行するようにすればよい。

★ 大学卒業レベルでは「仮免」、専門職大学院を修了した者に「本免」を授与するようなものだ。

★ 教員には広い視野や社会とのつながりが求められる。専門性と同時に、異年齢の人との関わりや専門外の学習、実践によって人間性を高めて欲しいものだ。
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師範大学(案)

2009-06-25 11:45:33 | Weblog
★ 時代に逆行する発言をお許し願いたい。

★ かつての師範学校は戦後学芸大学と改称され、その後それらの多くは教育大学と再び名を改められた。

★ 学芸大学は、戦前の師範教育の反省を踏まえて「リベラルアーツ」、つまり教員に高い教養や科学的な考え方を身につけて欲しいと言った願いが込められていたのだろう。また「開放制」といった教員養成の在り方にも連動したネーミングであった。

★ 教育大学への改称は、専門機関による教員養成の必要性という発想がより色濃く出ている。

★ 高度経済成長を経て、大学進学率が増え、それと反比例するかのように教員の社会的地位は低下していったように思う。

★ 教員の待遇は大きく改善された。石川達三著「人間の壁」などを読むと、かつての教員が貧しさにいかに耐えていたのかがわかる。かつては「デモシカ」先生などと言われたが、教員採用の門が狭まる中で、教員の質は比べものにならないほど高まっているはずであった。

★ にもかかわらず教員のイメージは大きく変わった。

★ 確かに社会の変化は大きい。「権威」を素直に認めない、「権威」を茶化す傾向が広まった。それが風刺であるうちは良かったのであろうが、今や弱い者いじめに化している。

★ 父母の学歴の高さが教員の価値の低下にもつながっている。教員が何をもって専門職と自負するのか、それが見えにくくなっている。こうした状況を受け、大学院での教員養成が志向されているが、どれほどの効果が上がっているのだろうか。

★ 昨今はより実践的な教育力(経営力)を養成すべく教職大学院も設立された。制度改革は着々と進んでいるが、実効性はまだ未知数だ。

★ こうした中で起こった教育大学の不祥事。問題はたまたま教育大学で起こったに過ぎないのかも知れない。教育大学であるがゆえのバッシングは気の毒な面もあるが、それは教育大学あるいは教員養成と言った営みが社会からまだ期待されている存在であるが故の失望と批判であろう。

★ 大学当局は、教員にはより一層高いモラルが必要であるといったコメントを発表していた。

★ ならば一層「師範大学」と名前を変えてはどうか。市民の範たる人材の養成を目指してはどうか。市民の範とは何かその吟味を踏まえて考えてはどうか。

★ かつての教員の「権威」は天皇制に由来していた。宗教的でさえあった。現代社会において、何をもって権威づけるのか。高圧的に上から押し付けられる時代ではない。結局は教員一人ひとりの「専門性」「人間性」に頼らざるをえないようだが、であるなら、その「専門性」「人間性」の内容の吟味と養成方法の研究を急がねばなるまい。
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