1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【2237話目】閻魔法要祈願に「自分の名前が書かれた短冊がない」と、寂しい思いで帰った檀家の子供が。まさか息子が、自分の名前入り短冊を探すとは、思っていなかった親が、気まずい思いで下山を。

2021-08-10 16:04:23 | 法話

わが寺での閻魔法要の短冊祈願(供養)で、参拝して来た子供が自分の名前をあっち探し、こっち探し、と。両親に「僕の名前が」と寂しそうに。祖父母に若夫婦が「今からお寺に頼めないの」と。「来年にしろ。あれだけ祈願を、と言ったのに、お前達は。今更したって、子供も先祖も喜ばん。形だけ繕って何になる」と。

【追伸】
このやり取りを拙僧、陰から見ていて、祖父母を客殿に呼び寄せ「今からでも、祈願出来ますよ。しましょうか」と言うと「いや、住職。人から『お前は親孝行してないんか』と呆れられて、取り繕う様に親孝行の真似事したって、親は嬉しくも何ともない。心の籠らん親孝行など。わしらは、この閻魔法要で息子夫婦に『子供の健康の為に願ってやったらどうだ。神仏の加護があるとか、ないとか、そんな事じゃない。親が子供の事を思っているという形が、子供には大切なんだ』と、何度も言ったんだ。わしらがするより、親がする方が意味があるから、と。なのに、あいつらは。子供に言われ、寂しい顔をされ、初めて慌てて。来年、この出来事をあいつらが、覚えていてくれればいいんだが」と。因みに、この写真の短冊祈願(供養)は、7月(施餓鬼盆)、8月(盂蘭盆)、9月(秋季彼岸)まで本堂に。