画家志望青年が突然「パリへ行く」と。困った親が息子を連れてお寺へ。「何故、パリへ」と尋ねると「画家になるなら、やっぱりパリでしょ」「誰かに付くとか、あるの」「独学です」と。「仏教にね『如何に立派な寺院でも、そこに説法する良寛がいなけりゃ』の言葉が」と進言したが。結局、2年後、収穫なしに帰国。
【追伸】
環境を変える、という事も、時には大事な事だとは思うが、「自分探しの旅」と言って旅行に出かけた人で、収穫を得て帰ってきた人を、拙僧の狭い範疇の中だけの事例ではあるが、見た事がない。そんな人達は『自分探しの旅に出る自分に、酔いしれている人』が多いかな。やはり、目的を持って動いた方が、目的を持たずに動くより、収穫はある様な気がする。