1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【2236話目】喫茶店で耳に入った若者達の会話が、今も印象に残っていて。貧困家庭の子に裕福家庭の子が「何不自由なく育てられた苦しみが、お前なんぞにわかってたまるか」と。人は皆、苦しみ抱えて人生を。

2021-08-09 14:58:59 | 法話

小学校講演で保護者に「専門家が、狭い家、貧困で育った子供と、広い家、裕福で育った子供、一概には言えないが、前者の方が創意工夫の力が付くと。生活も遊びも不足を補う必要があるからと。これが大人になっても持続していくと。じゃ、裕福家庭は駄目か、と。ではなく、子供の経験を横取りしない家庭構築を」と。

【追伸】
この講演で保護者に「実は拙僧も、どちらかといえば、貧困家庭(父の収入はお寺維持費に使用の為)で育った子供で、お寺は拙僧10歳までは、雨が降るとバケツが20個ほど必要で、雨漏りの箇所に置いていかなきゃならんお寺だった。風呂は五右衛門風呂で薪の用意、風呂焚きは拙僧の仕事。当然、お小遣いなどはなく、遊び道具は工夫して作成。友人と遠くに遊びに行った帰り、友人達は電車で帰宅。拙僧と似た家庭の友人は歩いて帰宅を。では、辛かったか、といえば、そうでもなかった。頭を使って工夫するが、とても楽しかった。現在、坊主となり、法話を提供出来るも、そうした子供時代の経験と、身に付いた観察能力があっての事」と。




【2235話目】檀家の子供達が「死後の世界ってあるの」と。「死んで逝った爺ちゃん、婆ちゃんに、また、会いたいかい」「そりゃ、会いたいよ」「会いたいなら、ある、と信じていた方が、楽しいよな」と。

2021-08-09 12:11:12 | 法話

読者が「番組『そこまで委員会』で、臨死体験の話と死後の世界の話が。住職の見解は」と。「死に掛けた事もないし、死んだ事もないからね。常日頃、寝ている時に夢を見ているのと同じ様に、死に掛けている時に、夢を見てるんじゃないのかな。『花畑にいた』は脳にインプットされている浄土の知識の表れかな」と。

【追伸】
この読者が「住職は、仕事が仕事なのに、考え方が冷ややかですね」と。「いやいや、そうではなくて、その道の専門家が『大脳が未発達の状態では、臨死体験はしない。臨死体験は、一定程度の知識の蓄積と経験値がないと、その体験はない。だから、大脳のない動物は、死の恐怖がない。よって、人間も大脳が未発達の7歳、8歳頃までは、死の恐怖を感じない』と。この考え方には、賛同かな。ただし『死後の世界があるか、ないか』については、まだ1度も死んだ事がないから、明確な答えは出せんけどね。ただ、拙僧においては、ないと困るんだよな。あの世でも、家内と一緒に暮らしたいからね」と。