息子は、嘘をついたことがありません。
というより、おそらく、嘘をつけないのだと思います。
嘘というのは、自分をよく思われたいとか、こんなことを言ったら相手がどう思うか・・・などと「想像」するところから始まると思うのです。
少し前に、通級教室の参観で、「ついていいウソ・ダメなウソ」という授業がありました。
「ついていいウソ」というのは、例えば、休み時間に転んで、足をすりむいて血が出たとします。心配した友達が「だいじょうぶ?痛い?」と聞いてきます。私は、痛くても我慢して、「痛くない。平気やよ!」と言いました。
・・・という嘘なのですが、〇×表示で、3人中、他の2人は「〇」息子は「×」としていました。
この嘘は、友達を心配させないようにと思ってついた嘘なので、必ずしも「×」ではないよ・・・という授業なのですが、この微妙なニュアンスを理解するのは、息子には難しいようです。
「嘘をついてはいけない」と思っている息子は、どの嘘にも全て「×」を付けていました。
釈然としない息子に、家に帰ってから、
「誰かを思ってつく、『思いやりの嘘』があるけど、〇〇が無理に嘘をつかないといけないってことじゃないよ。今は、そういう嘘があるってことだけ覚えておいて」
と、伝えました。
この先、もっと自我が発達していくと、理解出来るようになるかもしれません。
理解できなくても、世の中には、「誰かを思ってついた嘘がある」ということを、心の片隅にでもとどめておいてくれたらなと思っています。