神エホバは心が謙遜で温和(柔和)な者、義なる者を祝福されます(フィリピ2:5~8.詩編37:11、29.マタイ5:5:5,6)。一方、神エホバは高ぶる目・心がごう慢な者を忌み嫌われます(箴言6:17)。西暦前460年に書き終えられた聖書の歴代第二に、王ウジヤの心がごう慢になり、当時神殿で香をたき祭壇に近づくことが許されていたのは神聖な祭司たちのみの特権にも関わらず、神殿に入り、香をたこうとする不忠実を行ないを行なったことが記されています。その結果、王ウジヤはエホバにその罪を打たれたことが、次のように記されています。この記録は、心がごう慢になって、神エホバの神権的な取り決めを破る不忠実な行為を行なうと、どうなるかを例証しています。
「ところが、彼(王ウジヤ)が強くなるや、その心は滅びをもたらすほどに心がごう慢になったので、彼(王ウジヤ)は神エホバに対して不忠実なことをし、エホバの神殿に入って香の祭壇の上で香をたこうとした。・・・
ところが、ウジヤは激怒し、その間にも手には香をたくための香炉があった。彼(王ウジヤ)が祭司たちに対して激しく怒りを抱いている間に、その祭司たちの前、エホバの家の中(神殿の中)、香の祭壇の傍らで、らい病が彼(王ウジヤ)の額に突然現れた。祭司長アザリアと祭司たち全員が彼(王ウジヤ)の方を向くと、何と、彼(王ウジヤ)の額はらい病に冒されていた。そこで、彼ら(祭司たち)は興奮して彼(王ウジヤ)をそこから立ち退かせたが、彼(王ウジヤ)もまた急いで出て行った。エホバが彼(王ウジヤ)を打たれたからである」(歴代第二26:16、19,20)。
上の聖句に記されている通り、王ウジヤは心がごう慢になり、祭司のみの特権である、香をたく祭壇で香をたこうとする不忠実な行為に及んだのです。そのため直ちに祭司長のアザリアと祭司たちは、王ウジヤに向かって聖なる所から出るように、そうしないなら神エホバからの栄光はない、ことを伝えました(歴代第二26:17,18)。しかし、王ウジヤは、心がごう慢になっていたので、祭司長アザリアと祭司長たちの諭しの言葉に激怒し、神エホバへの不忠実な行為を止めませんでした。そのため王ウジヤの額には突然らい病が現れ、エホバに打たれたことが記録されています。
王ウジヤは心がごう慢になっていなければ、神エホバの取決めを破る不忠実行為は、指摘された点で、すぐに止めることができたはずです。ところが心がごう慢であるゆえに、誤りを直ぐに改めることができませんでした。そのため、神エホバは王ウジやの罪を打たれました。私たちも、聖書に記されている神権的な取り決めを注意深く守るようにしたいものです。
法師ゼミ 忙しく鳴く 陽は西に 今日の一句
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