私の子供の頃は、「親や先生の戒めに聴き従うように」という教えを受けましたが、日本が高度経済成長を遂げたころから、そのような教えの言葉を聞かなくなりました。皆様方は、どのように感じていらっしゃいますか。昨今は「戒め」という言葉は好まれないようです.
「戒め」とは「諭し」のことですが、厳しく感じるのでしょうか。ですから、「戒めを与える」と、言うよりも「助言を与える」という言葉が使われる機会が多くなっているように思います。聖書の箴言には、神エホバから与えられる戒め・諭しに聴き従う者の祝福について次のように記されています。
「(神エホバの)懲らしめを避ける者は自分の魂(命)を退けており、(神エホバの)戒めに聴き従う者は(神の)心を得ている」(箴言15:32)。
上の聖句の「懲らしめ」は「戒め」のことであり、「諭し」の意味です。聖句は明確に神エホバからの懲らしめを避ける者は自分の命を退けている、と述べています。神エホバは命の源の神であり、神エホバからの知恵と識別力に耳を傾けるなら、快い道、平安の道、命の道に至るのですが、神エホバの諭しを避けるなら、永遠の命から疎外されます(詩編36:9.箴言3:14~18)。イエス・キリストは、ご自分が教えるみ父エホバの教えは「道であり、真理であり、命です」と教えられました(ヨハネ14:6)。
上の聖句には、神エホバの「戒め(諭し)に聴き従う者は(神の)心を得ている」と保証されています。神エホバの「心を得る」とは、どういう意味でしょうか。それは神エホバの人間に対する目的、神エホバのご意志を理解し、守り行なうことです。神エホバは、み言葉聖書を日毎に学び、悪から離れ、その教えを黙想し、生活に適用し、人生が成功することを願っておられます。(詩編1:1~3)。イエスも有名な山上の垂訓の中で、イエスの教えを聞いて守り行なう「思慮深い人」として歩むように諭し、神エホバのご意志を行なうように教えられました(マタイ7:21、24,25)。
神エホバのご意志は、①神エホバとそのみ子イエスに関する正確な知識を取り入れること(ヨハネ17:3)、②イエス・キリストの贖いの死に、信仰を働かせ永遠の命に至ること(ヨハネ3:16)、③神の王国の良いたよりを証しのために宣明すること(マタイ24:14;28:19,20.ルカ4:43;8:1)。④神の王国を受け継がない「肉の業」を避け、愛を学び、霊の実を培い、適用すること(コリント第一13:4~8.ガラテア5:19~23)。⑤神の王国と神の義をいつも第一に求めること(マタイ6:33)。⑥義の宿る新しい社会・地上の楽園で義を求め、温和な人々が真の平和に満たされること(ペテロ第二3:10~13.詩編37:29.マタイ5:5.啓示21:4)。⑦互いを愛し、イエスの弟子であることを示し、イエスの残された手本の模範に見倣うこと(ヨハネ13:34,35.ペテロ第一2:21)等々です。
神エホバのご意志は聖書全巻に書き記されています。私たち人間は男性も女性もくすしく「神の像(かたち)」に創造されていますので、神エホバの諭しのご意志を学び、そのご意志を守り行うことができるのです(創世記1:26,27.詩編139:14~16)。それはまさしく神エホバの「心を得ている」ことになるのです。あなたも、そのお一人であれば幸いです。
稲刈りを 終えた田んぼに 煙り立つ 今日の一句
我が家の庭に来ている「ご近所の猫ちゃん」