ミカンの花の甘い香りが漂う季節です。
ミカンの花には蜜も多く、蜜蜂が蜜を集め
美味しい蜂蜜をもたらします。
実に、人間にはできない豊かかさをもたらします。
今日はミカンの花と春のバラ(その8)を紹介致します。
甘い香りを放つ「ミカンの花」
バラの愛好家の「春のバラ(そ8)」
ミカンの花の甘い香りが漂う季節です。
ミカンの花には蜜も多く、蜜蜂が蜜を集め
美味しい蜂蜜をもたらします。
実に、人間にはできない豊かかさをもたらします。
今日はミカンの花と春のバラ(その8)を紹介致します。
甘い香りを放つ「ミカンの花」
バラの愛好家の「春のバラ(そ8)」
偉大な創造者エホバ神の「エホバ」というお名前は、聖書に約7,200回も記されているだけではなく、国語事典にも記されています。その「エホバ」という、お名前にはどのような重要な意味があるのでしょうか。
神のお名前の「エホバ」は人間が付けた名前ではありません。モーセはすでに神の固有の名前が「エホバ」であることを知っていましたが、神エホバは、ご自分の名を自らお選びになり、モーセにご自分の名を明らかにしながら答えられました。(出エジプト記3:7、17;34:5~7)。「エホバ」というみ名には、深い意味があります。「エホバ」には、「自分がなるところのものとなる」・「彼はならせる」という意味があります(出エジプト記3:14)。確かに神エホバはすべてのものを存在に至らせました(創世記1章。イザヤ45:18.啓示4:11)。そのこと自体、考えるだけで畏怖の念を抱く事柄です。しかし、それが、神エホバのみ名に関する主要な点なのでしょうか。モーセは、もっと多くの点を知りたいと考えていたようです。神エホバのみ名そのものは耳新しいものではありませんでした。人々は幾世期も前から「エホバ」のみ名を用いていました(創世記参照)。ですから、神の名について尋ねたモーセは、「その方の名は何というのか」、つまり「その名によって表わされている方」について尋ねていました(出エジプト記3:13)。モーセはこのように尋ねていたのです。「あなた(神エホバ)に関して何と言えば、あなたの民イスラエルはあなたに対する信仰を強め、あなたが本当にエジプトから救出してくださることを確信するようになるでしょうか」。
モーセの質問に神エホバは、ご自分の名の意味を説明し、モーセに、「わたし(エホバ)は自分がなるところのものとなる」とお告げになりました(出エジプト記3:14)。この神エホバの回答の意味は、神エホバは単にご自分が存在することを断言しておられるのではありません。むしろ、モーセに、さらに私たちすべてに、その名の包含する内容を教えておられます。神エホバは、ご自分の約束の実現のために必要ないかなるものにも「なる」、あるいは自らをならせるのです。聖書ヘブライ語の一権威者は、次のように説明しています。「いかんる状況や必要・・・が生じようとも、神は必要にこたえる解決策と「なる」のである」。
それは、当時のエジプトの奴隷下にあったイスラエル人にとって何を意味したでしょうか。どんな障害が立ちはだかろうと、またどのような窮地に陥ろうとも、エホバはイスラエル人をエジプトの奴隷状態から救出して約束の地に導き入れるのに必要ないかなるものにもなる、という保証の言葉となりました。そのエホバという名は、神エホバへの確信となったに違いありません。今日の私たちにとって同じです(詩編9:10.イザヤ55:8~11)。どんな点でそのように言えるのかを、次回にお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく思います。
天守閣 変わらぬ姿 若葉かな 今日の一句
近くの道辺に咲いている珍しい白の「アヤメ」
近くの柿畑にシラー・ベルビアナが咲いています。
この花は地中海沿岸が原産のようで、明治時代に
観賞用として渡来した花だそうです。
私の手持ちの花図鑑には紹介されていないので
珍しい花ではないかと思います。
今日はシラー・ベルビアナと春のバラ(その7)を紹介致します。
近くの柿畑に咲いている「シラー・ベルビアナ」
バラの愛好家の「春のバラ(その7)」
偉大な創造者エホバ神は、どのような方かについて知る方法は、聖書を調べることと、神の被造物を観察することによって出来ます。特に心の純粋な人たちは神エホバを見ることができます。イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始めに、幸福な人たちとは、どんな人たちかについて教えられた言葉に次の言葉があります。「心の純粋な人たちは幸いです。その人たちは神(エホバ)を見るからです」(マタイ5:8)。心の純粋な人たちはみ言葉・聖書を日ごとに調べ、また、神エホバによって創造された美しい景観や星空や花々や愛らしい動物たちや小鳥たちや多種多様な植物や食物や人体を観察し、愛情深い神エホバを見る、すなわち認識されます。神エホバを親しく知り、その教えを学び適用する人の人生は快い道、平安の道、命の道となります(詩編1:1~3.箴言3:17,18.イザヤ48:17,18.ローマ1:20.啓示21:4)。
モーセは、神エホバに、「あなたの名前は何と言うのですか」という趣旨の質問をしました(出エジプト記3:13)。モーセのこの質問には神にはお名前があることを明らかにしています。この重要な真理を軽視してはなりません。ところが、多くの人がこの点を軽く見て来ました。神エホバの固有の名は、長い間多くの聖書翻訳から除かれ、エホバというお名前を「主」や「神」の称号に置き換えられてきました。それは、キリスト教の名のもとに行われた、極めて悲しむべきこと、またとがめられるべき事柄です。そもそも、私たち人間はだれかと出会って、あるいは仕事の初対面の人に対して最初にすることは何でしょうか。自分の名前を紹介し、相手のお名前を尋ねるのではないでしょうか。そうしないなら、礼を欠くことになります。神エホバを知るようになる場合も、それと同じです。神エホバは、人が知ることも、理解をすることもできない、名のない遠い存在ではありません。人間社会において名前が非常に重要なのは、神エホバにお名前があり、神エホバのお考えに沿っているからです。神エホバは直接目で見ることは出来ませんが、人格的存在であり、エホバというお名前があります(詩編83:18)。前書きにも書きましたが、神エホバの被造物を通しても、神エホバを知覚することができます(ローマ1:20)。
さらに、神エホバが自らご自分の固有の名前を啓示されたことには、興奮を誘う素晴らしい事柄が伴っています。神エホバは、ご自分のことを知るように私たちを招いておられるのです(ヤコブ4:8)。私たちが人生における最善の選択を行うこと、つまり、ご自分に親しく近づくことを望んでおられます。とはいえ、神エホバは、ご自分のお名前を告げられただけではありません。そのお名前「エホバ」という意味も教えてこられました。その事については次回にお伝え致します。引き続きお読みくだされば幸いです。
婦人たち 少し深めの 夏帽子 今日の一句
庭に咲いている「雨の中のバラ」