皆様方の周りにも、偉大な創造者エホバ神の神聖さに見倣って、汚点も傷もない、安らかな者として、歩まれる方がいらっしゃるに違いありません(ペテロ第二3:14)。み子イエスは神エホバの神聖さを最高度に反映されました。そのイエスが、「神の聖なる方」と呼ばれているのは最もなことであることをお伝え致しました(ヨハネ6:68,69)。
神ご自身のみ名エホバについては何と言えますか。先にもお伝え致しました、そのみ名エホバは単なる肩書やラベルのようなものではありません。神エホバとその特質すべてを表わすものなのです。それゆえ、聖書は、「その名(エホバ)は聖である」と述べています(イザヤ57:15)。モーセの律法は、神のみ名エホバを汚すことを死に値する罪としました(レビ記24:16)。また、イエスが祈りの最優先事項とした事柄に注目してください。このように教えられました。「天におられるわたしたちの父(エホバ)よ、あなたのお名前が神聖なものとされますように」(マタイ6:9)。神聖なものとするとは、神聖なものとして取分ける、あるいは、聖なる者として擁護する、ということを意味します。しかし、神ご自身のみ名エホバにょうに元来清浄なものを神聖なものとする必要があるのは何故でしょうか。
神の聖なるみ名エホバは、偽りや中傷によって非難され、汚されてきました。エデンの園において悪魔サタンは、神エホバについて偽りを語り、神は不正な主権者である、とほのめかしました(創世記3:1~5)。それ以来、悪魔サタンは、神聖さとかけ離れたこの世の支配者として、神エホバに関する偽りが広まるようにしてきました(ヨハネ8:44;12:31.啓示12:9)。諸宗教は、神エホバを、専制的で、よそよそしく、残虐な者として描き出して来ました。そして、自分たちの行う血なまぐさい戦争にも神エホバの後ろ盾があると偽りを主張しています。さらに、神エホバの驚嘆すべき創造のみ業が、しばしば全くの偶然や進化によるものと説明して来ました。そのようにして、神エホバのみ名は、ひどくそしられて来ました。み名エホバは神聖なものとされることと、神エホバの主権の正しさが立証されることを待ち望んでおり、その壮大な目的に関して何らかの役割を果たせることを喜びとしています。
神エホバに密接に関連しており、ほぼ例外なく聖なるものと呼ばれているものがほかにもあります。神エホバの霊つまり、活動する力です(創世記1:2)。神エホバは、この圧倒的な力を用いて、ご自分の目的を達成されます。どんな場合でも神エホバは、清く、神聖、清浄な方法で物事が成し遂げられます。ですから、神エホバの活動する力が、聖霊あるいは聖なる霊と呼ばれているのはふさわしいことです(ルカ11:13.ローマ1:4)。神エホバの目的に故意に逆らうなど、聖霊を冒とくすることは、許されない罪です(マルコ3:29)。
次回は、エホバの神聖さが人を引き付けるのはなぜか、ということに関してお伝え致します。引き続きお読み下されば嬉しく存じます。
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- 5月20日 -