千葉県佐倉市の友人は、若い頃は花屋さん希望だったそうで
花が大好きです。その方が庭で花々をお世話し
美しく咲かせています。
そのお庭に松葉菊が美しく咲き、輝いていました。
花期は5月~9月です。
用途は鉢植え、庭植へです。
花言葉は「無邪気」と紹介されています。
今日は松葉菊と春のバラ(その24)を紹介致します。
友人の庭の「松葉菊」
バラの愛好家の「春のバラ(その24)」
千葉県佐倉市の友人は、若い頃は花屋さん希望だったそうで
花が大好きです。その方が庭で花々をお世話し
美しく咲かせています。
そのお庭に松葉菊が美しく咲き、輝いていました。
花期は5月~9月です。
用途は鉢植え、庭植へです。
花言葉は「無邪気」と紹介されています。
今日は松葉菊と春のバラ(その24)を紹介致します。
友人の庭の「松葉菊」
バラの愛好家の「春のバラ(その24)」
あなたは、人体がくすしく創造され、しかも、人間だけが愛や公正(義)や知恵や力の優れた特質を反映出来る能力が備えられている、つまり「神の像(かたち)」に創造されていることにどのようにお感じになられますか(詩編139:14.創世記1:26,27)。偉大な創造者エホバ神に深い感謝を表し、唯一ま真の神エホバに栄光と賛美を帰される方々は幸いです(啓示4:11)。しかも、お父さんエホバ神は、最も聖なる方であるのを知るのは、何と喜ばしいことでしょう(イザヤ6:3,4)。美に魅了される方なら、神エホバの神聖さが身近に感じられるに違いありません。
神エホバの活動する力が、聖霊あるいは聖なる霊と呼ばれているのはふさわしいことです(ルカ11:13.ローマ1:4)。神エホバの目的に故意に逆らうなど、聖霊を冒とくすることは、許されない罪です。このことから、聖書が神エホバの神聖さと人間の側の敬虔な恐れとを結びつけている理由を理解しやすくなります。一例として、聖書の詩編99編3節には、「彼らがあなた(エホバ)のみ名をたたえますように。それは大いなるもの、畏怖の念を起こさせるもの、聖なるものなのです」とあります。とはいえ、この畏怖もしくは恐れは、病的に怖がることではありません。むしろ、内奥からの恭しい畏敬の念であり、最も高尚なかたちの敬意です。そのように私たちが感じるのはふさわしいことです。神エホバの神聖さは私たちよりはるかに高いからです。神エホバの神聖さは輝くばかりに清く、栄光に満ちています。とはいえ、私たちを寄せ付けないようなものではありません。それどころか、神エホバの神聖さに対する正しい見方を持つなら、神エホバにいっそう引き寄せられます。それは何故でしょうか。
まず、聖書は神聖さを美と結び付けています。イザヤ63章15節には、天は神エホバの「神聖さと美との広大な住まい」であると記されています。美は私たちを引き付けます。例えばあなたは、美しい星空や野山の景観や花々をご覧になり、その美しさに心を引かれませんか。それらが非常に魅力的なのはなぜでしょうか。渓谷の水が澄み切っているのに注目したことがあるでしょうか。空気も澄み、深呼吸すると心地よさを感じます。空は青く、光が輝いているように見えるでしょう。特に春から初夏の光景美は心を魅了するに違いありません。しかし、その光景が一変し、美しい小川にゴミが詰まり、樹木や岩が落書きで汚され、空気がスモッグで汚染されているなら、もはや心が引かれることなく、目を背けたくもなるでしょう。私たちはごく自然に美を、清さ、清浄さ、光と結びつけています。こうした表現は、神エホバの神聖さを描写するために用いることができます。私たちが神エホバに関する聖書の描写に魅了されるのは、何ら不思議ではありません。光を反射させ、宝石のようにまばゆく、火のように、また輝く真珠や高純度の貴金属のように燦然ときらめいている - それが私たちの聖なる神エホバの美しさなのです(エゼキエル1:25~28.啓示4:2,3)。
引き続き次回も、「エホバの神聖さが人を引き付ける理由」についてお伝え致します。続いてお読み下されば幸いです。
ヤマボウシ 緑と白の コラボかな 今日の一句
第二東名高速SAの「ヤマボウシ」